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  俳句同好会(誕生2013・9) 


      「大川下りと浜離宮コスモス吟行」      2024/10/08
    
                               3A 松尾淑子
  「大川下りと浜離宮コスモス吟行――江戸の潮風そよぐ浜御殿」

9月30日、月曜日、薄曇り、残りの暑さもなく、銀座線浅草駅改札口へ集合。

富士校同期の春のお花を見る昭和記念公園ハイキングにヒントを得て、

私たちの不尽句会も秋に浜離宮庭園のコスモスを見に行くことを決めたのでした。

吟行と名がつくからには俳句を作るに絶好のコースをと、往路は浅草から浜離宮まで

水上バスを利用しての大川下りです。江戸時代には、隅田川の吾妻橋より下流が

大川と呼ばれるようになったとか、何やら浮世絵が浮かび江戸の昔もしのばれます。

早めに到着して浅草雷門付近を散策する人、デパ地下のお弁当めがけて一目散の人、

昭和レトロな地下飲み屋街で写真を撮る人、なぜか全員ゆとり。

浅草の水上バス乗り場は、吾妻橋のたもと。待合室から眺める隅田川、

吾妻橋とスカイツリー、川下りは風情があってよさそうと期待が膨らみます。

外国人が多いためか、チケットも飲み物もカードのみで現金は使えません。

オンライン予約をした私たちは優先的に早めに乗れました。船尾の席を確保。

これから、それぞれ形も違い歴史も違う14本の橋をくぐるのです。

船は1994年就航のレトロな「竜馬」号、反対方向へ松本零士デザインの

宇宙船をかたどった新型水上バスが通り過ぎます。

次々と橋をくぐるたびに資料と首っ引きで名前をチェック。

新大橋を過ぎると左手に毎月の句会の会場、薄いグリーンの屋根の

芭蕉記念館と芭蕉の座像も見えて一同歓声を上げる。

あっという間に浜離宮の船着き場へ到着、真っ先に休憩所へ向かい昼食タイム。

「歩く図書館」の内藤呈念師匠のガイドでいよいよ園内を散策。

お目当てのお花畑のコスモスは、オレンジや黄色のコスモスが多く、

ピンク、白、濃いピンクのコスモスを期待していた私は、ややがっかりでした。

手入れの方に伺うと、今年の暑さで、最初に蒔いたピンクのコスモスは

途中で枯れてしまい種を蒔きなおしたとのことで、

この日は、まだ丈も短く咲くのはこれから、11月まで楽しめるそうです。

海水を引き入れた潮入りの池、二つの鴨場を持つ徳川将軍家の別邸は、

関東大震災や戦災で御茶屋などの建造物や多くの樹木が焼失し、

歴史資料に基づき昭和から平成にかけて再建されました。ぐるぐると歩きまわり、

竹芝桟橋の見えるベンチで一息ついて汐留駅へ向かい、解散。

時間に余裕がある人は、呈念師匠のご案内で、ホトトギス派俳人の正岡子規が

16歳の時、松山から船と鉄道による長旅の末に降り立った

旧新橋停車場あとを見学しました。

たくさん見て歩き、俳句を作る宿題が残りました。

吟行の俳句は10月の句会でご披露されます。

一番心に残ったことは何でしょう。潮風でしょうか。

浜御殿の風情でしょうか。80歳同期生同士のおしゃべりでしょうか。

吟行の模様を収録したビデオを下記URLをクリックしてご覧ください。(約 22 分)

  ★浜離宮全編Ver6 0

  https://youtu.be/wHsSx7bqb_Q
  

                    不尽句会10周年記念の旅   

            ―横浜の中華街と名所旧跡を巡るー

   2013年に発足した不尽句会は10周年を迎え、横浜一泊旅行を企画しました。

 残念なことに体調不良で師匠の呈念さん他2名は参加できませんでした。  

 ペリーの来日後、小さな漁村に過ぎなかった横浜を幕府は九万両を投じて立派

 な貿易港にしました。近世の日本の歴史の舞台の一部となり、いまや目を見張

 る近代都市となりました。                                                

 堀野正勝さんの計画されたウォーキングコースは興味深いものでした。港の見

 える丘公園、外人墓地、ブリキのおもちゃ博物館など名所旧跡を辿り中華街で

 昼食をとった後、横浜赤レンガ倉庫から湾内クルーズに乗り込みました。船内

 からは京浜工業地帯の埠頭やクレーンなどが見え、ベイブリッジの下を通過す

 るなど青い海もあり興趣を覚えました。それに美味しいケーキも魅力を倍加し

 ました。                                                               

 翌日は人形の家、氷川丸、大桟橋等を見学しましたが、横浜が港だけあって
 外
国の影響をいかに受けているかわかりました。関東大震災被災都市としての  

 横浜も認識を新たにしました。                                             

不尽句会の横浜巡りが相馬一さんのユーチューブに賑やかに写されています
でご覧ください。                                                     
                                              
★★★★横浜散策ビデオ-Final-HP   (約30分)                          

              https://youtu.be/OGEwrL-uN7Q     左をクリックしてご覧ください                              

                             小出 瑞穂 (3B 俳号・みずき) 

 

 伊能忠敬のふるさと 千葉県佐原(小江戸)を訪ねて     2023/7/9 掲載

 不尽句会の有志 10 人は梅雨さなかの 6 月 9 日、千葉県の佐原(香取市)を

訪ねました。
かつて利根川水系の川港として栄えた町。古い商家が残り、

佐原ばやしを奏でな
がら山車を引き回す大祭が 300 年以上も続き、

「小江戸」として知られていますが、
私たちの最大の目的は、

伊能忠敬(いのう・ただたか)のふるさとをこの目で確かめ
ることでした。

忠敬さんは江戸後期の人。佐原で酒造業を営んで成功、名主などを務めました。

居後は江戸へ出て、50の手習いで天文学を修め、国土の測量を手掛けます。

天体観
測で自分の居場所を確かめながら、とにかく一歩一歩、「4千万歩」と

いわれる歩測
を重ね、とうとう「足で」日本地図を完成させました。

江戸末期、東京湾に現れ、測
量を企てた英国海軍が、伊能図を見て、

その精確さに驚嘆したといいます。

たまたま句会メンバーに、日本地図の元締めである国土地理院 O B の

堀野正勝くん
がおり、忠敬さんの研究と顕彰に力を尽くす彼の影響で、

私たちはすっかり忠敬ファ
ンになりました。

いつかは忠敬さんの佐原を訪れようという念願が、言い出してから

1 0 年近くたって実現しました。

次は忠敬さんを N H K の「大河ドラマ」に、が願いです。

佐原散策の模様を相馬一君制作のユーチューブでご覧ください。

             ★★★佐原散策 HP Final   (約30分)

           https://youtu.be/jxrP6Iu4Euo    (左をクリック)

  参加者の感想を以下に―――――――――――――内藤 好之(3D 俳号・呈念)

◆地図の町・佐原    堀野 正勝(3 D 俳号・静岳)

佐原との付き合いは、現在の伊能忠敬記念館(1998 年創立)の新設に伴う検討委員会

への参画に遡るので、かれこれ 35 年余になろうか?

「地図の町佐原」を合言葉に、伊能忠敬を軸に街を盛り上げようというものでした。

その後、測量の大先達である忠敬さん(地元では親しみを込めて「ちゅうけいさん」と呼ぶ)

の顕彰にどっぷりと浸かったという次第です。

測量・地図という地味な素材ですが、これからも我々測量マンの大先輩「伊能忠敬」さんを

軸に、佐原を盛り上げていきたいと思っています。

◆江戸時代もかくや  浦木 祀子(3 E 一草)

バスから降りて「佐原駅と染め抜かれた藍暖簾を見たとたん、時代が遡りました。

 古い町並みや、蔵造(くらづくり)の商家を興味深く見ながら小野川沿いを行くと、

両側の柳と流れに江戸時代もかくやと思われました。忠敬さん旧宅前の川岸に「だし」と

呼ばれる荷揚場があり、米や酒や味噌を積み込み、江戸に送る様子が目の前に
現れました。

当時は賑やかな町として栄えていたのでしょう。

 当日は雨模様でもあり、人が少なく、ゆったりと町を散策できたのは幸いでした。

帰りのバスでは田植えの終わったばかりの一面に広がる緑に、目を奪われました。

 ◆郷土の偉人称える町  川辺 直子(3 F)

事前に「佐原の街のこと」「伊能忠敬翁のこと」を少しだけ調べ、空想を膨らませ

て佐原行きのこの日を楽しみにしていました。

小野川に育まれた往時の商業都市「佐原」は、五月雨の似合う街でした。郷土の偉

人を称える気持ちに溢れた町でした。

ずうっと憧れていた伊能忠敬翁のふるさと「佐原散策」が実現し、大満足で帰路につきました。

◆故郷に錦の伊能図   阪本 都紀子(3 A 都風)

 あれは 2014 年夏、堀野静岳さんのご案内で、中央区浜町の体育館の床一面に敷き詰められた、

250 枚大の日本の伊能全図に接し、深く感動しました。以来、富岡八幡宮にある伊能さんが

測量の一歩を踏み出す銅像や、伊能さんを題材にした映画「大河
への道」を観て、

その人柄にますます魅了され、関心を持ち続けてきました。

そして、今回、遂に彼の故郷佐原を訪ねる事となりました。伊能忠敬記念館、旧宅などに

感銘を受けつつ、足跡を辿るうち、昼時となり、小野川沿いの旧醤油蔵の趣の
ある

フランス料理店「夢時庵(むーじゃん)」で、思いがけず正真正銘のフランス料
理、オードブル、

スープ、ビーフステーキ等のフルコースを堪能することが出来まし
た。

帰り際、たまたま翌日から現地の香取市民体育館で開かれるという「伊能全図展示会」の様子を

垣間見ることが出来ました。床を埋める伊能図。
10 数年がかりで全国各地を回って

「故郷に錦を飾った」姿です。
10 年越しの素敵な佐原の思い出になりました。 

 

◆イノウタララカ    下田 汎子(3 C 斑菜)

小学生の私は、地図帳を見るのが好きで、地図上の旅をしていました。ある社会の時間、

伊能忠敬の名を「イノウタララカ」と読んで、笑われて以来、忠敬さんの名を


ゆっくり丁寧に言うようになりました。

6月9日、いよいよその伊能忠敬さまの街、佐原へ。心躍る思いで、東京駅地下の奥深くの

バスターミナルから千葉県佐原へと向かいました。

 忠敬さんが一歩一歩歩幅を揃え、歩測する方法で、日本地図作成の道を歩み、

現在
の地図と全く同じと言ってよい地図を作成したことは驚きです。

 初めて佐原を訪れ、江戸から明治大正の時代を偲ばせる街並みを歩き、街の趣に魅せられました。

 

◆がんばれ小江戸!   白井 仁(3 F 羊念)

佐原は何度か訪れています。10 数年前に佐原駅(駅の暖簾が楽しい)の駅前広場が整備され、

利用しやすくなったようですが、残念な点があります。以前にあった、

き先と忠敬さんの歩幅を印し、忠敬旧宅まで何歩、どこそこまで何歩という標識が

くなってしまった事です。

 また、東日本大震災で千葉県も大打撃を受けています。震災直後に佐原を訪れましたが、

あちこちの地面が盛り上がったり、亀裂が走っていたりで、ぞっとしたもので
した。

よく家が倒壊しなかったと、日本の建築技術に感心しました。

今は復興が進み
被災の跡は感じられません。

街は閑静といえば聞こえがいいが、人通りが少ないせいか活気を感じませんでした。

往年の殷賑どこへやら、寂しい限りです。商店も、建物は昔のまま残しているが、

屋か分かりづらい。

小江戸として観光都市を目指すなら、もう一工夫欲しいところで
す。がんばれ佐原!

 

◆いつか思いはかなう   相馬 一(3 E 一平)

 風情のある町並み、季節を迎え随所で目にする花菖蒲、落水音が、札幌の時計台などとともに

「残したい日本の音風景
100 選」の一つでもある「樋橋(とよはし)」など、

佐原には印象に残るものが多かった。

一方、心を巡らせて止まなかったのは、やはり、佐原の偉人「伊能忠敬翁」という人物と彼の偉業だ。

「プロジェジェクト X ~挑戦者たち~」というテレビ番組があったが、彼こそが偉大な挑戦者であり、

「思いはかなう」を見事に証明して見せてくれたその人であると深く感じ入ったからだ。

このことは、散策ビデオの BGM に、同番組のテーマ曲「地上の星」を選んだ理由でもある。(安直!)

堀野君、企画並びに現地でのガイド、ありがとうございました。

 

◆勝手すぎた天気祈願?  田中 道雄(3 D 三丁目)

今回の旅行については、幹事ということもあり、ただただ天気だけが気掛かりでした。

雨の中、傘をさして歩くのだけは避けたかった。そこで、気象神社に願掛けに行きました。

日本唯一のお天気の神様で、高円寺氷川
神社の境内にあります。

しかし後になって考えて見れば、普段、神社に足を運んだ事も無い人間がいきなり

行って勝手な願い事を頼んでも、神様は聞き届けてはくれませんね。

これを反省点として次回の旅行の際は前もってなんとか神様とコミニユケ-シヨンをとり、

願いを聞き届けてもらえる様にしたいと思う次第です。

 

◆大利根と共にある街   松尾 淑子(3 A 花酔)

早朝よりワクワクそわそわ、東京駅八重洲口のバスターミナルから佐原駅への

高速
乗り合いバスに乗り込み、安心したとたん眠ってしまい、

気が付くと窓の外をとうと
うと流れる大きな川が。寝ぼけ眼が一気にパッチリ。

川幅の大きいこと、水量の豊か
なことにまず感嘆。両岸は草原や田んぼ、

梅雨の増水で泥色の流れでした。

雨に濡れた佐原の街は、人も少なく、しっとりとした風情が楽しめました。

小野川
など水路の発達した街の歴史は、「坂東太郎」利根川と共にあると感じています。

伊能忠敬記念館で 2345 点もの国宝の伊能図を拝見、あらためて偉業を偲び、

大利根
の迫力を目の当たりにして、私たちも何か大きなことを分けていただいたような

高揚
感に浸った 1 日でした。                        (完)

                        2022/11/03掲載
   
千畳敷カール吟行記 霧におぼれた氷河跡。銀河は次の楽しみ


                   D内藤 好之(俳号・呈念) 

    https://youtu.be/5nkUi6GHbXs ←URLクリックして、まずご覧ください。
  (※相馬一平編集長制作のユーチューブ<約34分>。)

 ロープウエーを降りると、そこは標高2612m。りっぱな高山だ。わが登山記録では、
富士山、乗鞍岳に次いで3番目。
耳が変になる。気温15度。
酸素濃度は地上の70%ぐらい。息苦しいはずだ。

 不尽句会の宿泊吟行。「次は銀河が見たい」という要望にこたえ、
幹事さんが駒ケ岳千畳敷カール(長野県駒ケ根市)のホテルを確保してくれた。
 104日から6日まで、10人の旅。

山は紅葉シーズンでもあり、期待はふくらんだが、着いたところは霧の中。
二晩とも空は晴れなかった。
しかし、「
俳句は全天候型。どんな天候でもそれなりに句になる」という先人の教えを
思い出し、気を取り直して、霧の振る舞いと、特有の氷河地形を楽しむことにした。

氷河跡 千畳敷カールは、濃い霧に“おぼれて”いた。
カール(圏谷<けんこく>)とは、2万年ほど前の氷河の跡。
長年積もった雪が圧縮されてできた氷の塊が、重力や自重でゆっくりと流動し
山頂直下の斜面を削り取った、すり鉢型の地形のことだ。

高度に馴れるため、さっそくカール内の遊歩道に繰り出した。1周1キロ余、
標高差60mの回遊コース。
はるか昔の氷河の跡に、いま立っていると思うと、
にわか地質学ファンとしては感慨深い。

墨絵の世界 周りの山々はすべて霧の中。深海の底にいるような不思議な気分だ。
一帯は乳白色。大岩や藪、登山者の影法師が、ぼおっと浮かぶ。
墨絵の世界。雪舟や長谷川等伯の絵が頭をよぎる。

手品師のように、山を隠したり、突然、目の前に池(剣ケ池)を出したり、
天帝の演出には息を呑む。
氷河時代にいた
ナウマン象がぬうっと現れそうな錯覚にとらわれる。

霧のベール 視線は自然、足元に向かう。
真っ赤な実をつけているのはナナカマド(七竈)だ。
札幌で見たのと比べると、ずいぶん小さい。
ここは、高木が生育で
きる森林限界を超えた世界なのだ。
木でありながら草のように小さいチングルマ(稚児車)やシラタマノキ(白玉の木)
、多年草のヤマハハコ(山母子)などが、風に震えている。
俳句では、
木々の紅葉だけでなく、「草紅葉」も愛でる。
黄色、橙、赤、褐色と色のモザイクが平面に広がる。
それを、霧のベールがやわらかく包む。
岩場に小鳥が一羽。イワヒバリ(岩雲雀)だ。

ビデオの銀河 宿は国内最高所で営業のホテル。星は如何にと、
何回も外に出てみたが、無情の霧。
ホテルでは星の見えない夜のため、社員の撮った銀河、
星座のビデオ上映会を開いてくれた。

3部屋に分かれ、お喋りや翌日の句会の準備。“定番”の病気や背の低くなった話、
薬の話、物忘れや探し物の話。部屋には「高山病の注意」が貼ってある。
寝苦しく、うなされる。夜中に激しい雨音。

登山隊と脱力隊 翌日は、本格的な山歩き。霧に加えて小雨。
ヤッケやポンチョで身をかため、荒い息をしながら歩き始める。
2665mの八丁坂分岐には、「ここから先は登山の装備が必要です」との看板。

ここで、カールを登り切った所にある2825mの乗越(のっこし)浄土を目指す
「登山隊」6人と、遊歩道に戻る、脱落隊、いや「脱力隊」4人に分かれる。

 「気をつけて。無理しないで」「待っててね」。原色のヤッケが、
映画のフェイドアウトのように霧に呑まれてゆく。
「登山隊」には、同期会ハイキングのリーダーが二人とも加わっている。
石塊のがらがらした急斜面、いわゆる「がれ場」が続き、
両手も使って攀(よ)じ登るような場面もあったという。
6人とも何とか登り切ったが、上も霧の中。見晴らしは利かなかったものの、
「達成感は味わえた」というのは、何より。

「脱力隊」は、散策路を逆回り。写真を撮ったり、おしゃべりしたり、
前日に続いて剣が池のほとりで
休んだり。時どき「登山隊」が気になり、乗越浄土方面を見上げる。

句会、虹 全員無事戻って、一休みしてから句会。
「登山隊」は相当疲れているようなので、
句会を延期しようとしたが、「大丈夫」と力強い答え。
始まると次から次へと霧の句。

ふと窓の方を見ると、「えっ、にじ、虹だ!」。
思わず叫ぶ。太く短い虹柱。ばたばたと句会中断、
カメラを持って部屋を飛び出す。見知らぬ人が空を指さしている。
虹は幸運の前兆と言うが……。

やっと全容 翌日は小雨。一瞬、霙(みぞれ)に変わった。
外出はあきらめ、レストランで談笑するうち、
帰る直前になって、霧が布をはぐようにぐんぐん晴れて行った。
窓の外に大パノラマが広がる。千畳敷はやっと全容を見せてくれた。
豆粒のように色とりどりのヤッケがカールを登ってゆく。
乗越浄土に立つ人影も見える。双眼鏡の出番。
「あんなところまで、よく登ったわね」「登り納め。もう無理よ」と、こもごもに。

後ろ髪を引かれる思いで、晴れ渡った千畳敷カールを後にした。

銀河と氷河 いずれ、どこか銀河吟行にみんなで再チャレンジしたい。

個人的には氷河をできれば見てみたい。帰宅後、氷河の“復習”をしたところ、
日本には氷河が無かったと長い間考えられ、
氷河跡の存在が確認されたのは1905年(明治38年)のことという。

さらに、にわかに信じられなかったが、日本には“現役”の氷河があるという新聞記事。
富山県の北アルプス立山連峰で発見された三つの巨大な万年雪の氷塊について、
日本雪氷学会は2012年4月までに、日本初の氷河と認定した」とあるのを見つけた。
立山カルデラ砂防博物館のGPSを使った調査で氷塊の流動が確かめられたという。

千畳敷吟行を機に、銀河と氷河、この2つの天と地の壮大なロマンを
追いかけることになりそうだ。

                                  完 

 ★★★青梅 御岳渓谷吟行 HP
                      2022/08/03掲載
        https://youtu.be/Qfii8XRomJI   ←左をクリック

   瀬音聞き、木漏れ日の中を行く ……不尽句会 御岳渓谷吟行記 3D 内藤呈念

(※相馬一平編集長制作のユーチューブ<約23分):上記URLをクリックして、まずご覧ください。)

 不尽句会の第106回は718日から御岳渓谷の一泊吟行。コロナ禍で宿泊吟行がままならず、
34か月ぶりの“合宿”となった。総勢11人。リハビリ中などで加われなかった3人も、
「投句参加」した。

レトロ 都心から一時間半ほど。青梅駅のホームに降りて驚いた。他のJR駅と違い、
駅名表示板は模様付き、待合室は山小屋風でステンドグラスがはまっている。
地下通路の両壁には、
「ティファニーで朝食を」など東西名画の大看板。
気分は昭和30年代、レトロなわれわれにぴったりだ。わが頭の中では、
「ムーンリバー」や「鉄道員」のレコードが繰り返し回る。

青梅はかつて機織りや木材の集散地だったが、近年は、「最後の映画看板師」といわれた
久保板観さん(18年没)が住んでいたこともあり、映画看板を中心に昭和レトロを街づくりの
テーマにしているのだという。駅前にはツバメが飛び交う。
ツバメが巣をかける街は人にもやさしい。
  水しぶき 多摩川上流部の御岳渓谷には、御岳駅を中心に、
両岸約4キロにわたり遊歩道が設けられている。
水辺まで寄って渓谷美を楽しむことができ、「日本の名水百選」の一つ。
「大都市のそばだから」とやや見くびっていたが、どうして、
幽邃(ゆうすい)とまでは言わないが、
予想をはるかに上回る。
  カヌーやゴムのいかだで、岩をよけながら流れを下るラフティングのコースとしても名高い。
  カンゾウや玉アジサイの咲く水辺を木漏れ日に染まりながら行く。
瀬音に交じるウグイスの声。
岩の上で羽根を大きく広げているのはカワウ。
羽根を日に干す滑稽な姿の真似がはやり、諸手を広げた記念写真も。
渓流の両岸には寺や美術館などの見所がある。渓が深いので、
足腰の弱った身には、そこまでの上りが
一苦労だった。
 
鐘の音 元禄年間創業の蔵元の経営する澤乃井ガーデンのテラスで昼食をとった後、
櫛かんざし美術館を経て、寒山寺へ。
中唐の漢詩、「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」で名高い中国・蘇州の寒山寺から、
釈迦像一体を託され昭和5年に創建された寺という。
いつ習ったのか、「月落ち烏啼きて霜天に満つ……夜半の鐘声客船に至る」の詩句が、
とぎれとぎれに浮かぶ。こちらの寺にも、立派な梵鐘があり、「煩悩よ去れ」とばかり、
さっそくワンコイン献じてひと撞きさせてもらった。
  水の風景 歩き疲れたころ、玉堂美術館が見えてきた。自然を愛し、
数多くの風景画を描いた日本画家の川合玉堂(1957年没)は戦災で牛込の自宅を焼かれ、
1945年から御岳に住んだ。水のある景色を主に描いたが、
歩いてきた実景とダブり、清澄な絵に汗も引く思い。館の石庭を見ながらしばし休憩して
元気を取り戻した。
  句会、暑くない? 宿のホテルは多摩川が大きく湾曲した袋のような土地に立っていて、
「全室“リバービュー”」。早朝散歩でカジカガエルの鳴き声を聴けたのは大収穫だった。
古の歌人たちが惹かれて詠んだカエルというのは、鳥のように鳴く
カジカガエル
のことだという。
句会は客室の布団を片付け、座卓を並べて。「なんだか暑くない?」「大勢いるからね」
「密、だねー」「人間一人の発熱量は100ワットの電球一個分だって」
「句会を前に燃えているから、もっとじゃない」「それにしても暑い」
「(ホテルが)冷房切っちゃったんじゃない?」「電話してみようかしら」

 飛んできた客室係。「お客さま、暖房になってます!」
 土用丑の日を前に、古い鰻屋で昼食をとり、コロナの日常に戻って行くのだった。
                        <完>

    ※それにしても、「戻り梅雨」開け、感染大爆発の直前という際どい時期に
    設定してくださった幹事さんに深謝。
  今回もみんなで撮った動画と静止画が
    一平さんの手で一編のユーチューブになりました。ご覧ください。

 

       「自粛」の3ヵ月経て、やっと緑陰句会    2020/06/30掲載

                                    内藤 呈念(3D)

 不尽句会は、コロナ禍による「自粛」で一堂に会することが出来ず、3、4、5月は“テレワー句”
と称し、通信句会を続けてきましたが、「屋外なら大丈夫だろう」との声が出て、6月16日(第81回)
は、新宿御苑で緑陰句会という運びになりました。

 梅雨最中とあって、天気が心配、それに、緊急事態宣言の解除後なのに新宿を中心に感染者が
出続けていたこともあって、気遣われましたが、17人中11人が参加(6人は“欠席投句”)しました。
(帰宅後、外国在住の句友から、よくシンジュクでやったね、とメールあり)

 早めに着いた幹事団が下見。ヒマラヤ杉の下なら雨が降っても大丈夫、いや、雷注意報も出ている
ので危ない、などと、あれこれ迷って目を付けたのが小高い場所にある東屋。11人なら密にならず、
ちょうどよい広さ。何より雨に強いし、四方が開けっ放しなので、換気はこれ以上なく良好。
予報では降水確率30%、32度だったが、心地よい風が始終吹いて、(元)富士高晴れ女に
感謝しつつ、わいわいがやがやと久しぶりの「座」を楽しみました。

 マスク暮らしで、不精ひげを伸ばしていましたが、「や~ね」「うそ!」
「おじいさんね~(たしかに!)」。
とどめは「男っていうものはね、髭を生やすと3割さがるのよ」と酷評の嵐でした。

 例によって記録係の相馬一(3E)さんが動画に仕立てて下さったのでご笑覧ください。
(露出不足で画面の暗い所とブレル画像がありますがお許しを)

 投稿文に続き、下記のユーチューブ動画です。

★第81回不尽句会「緑陰句会」  2020/06/16 at 新宿御苑
 閲覧は下記を ダブルクリック して観てください (4分27秒)     
       

 https://youtu.be/02-Tr119kWE     

         青春のうた――思い出の富士高俳句   2020/2/5掲載 3/11更新
創立100周年を迎える母校・富士高校の思い出を「五七五で詠んでみない?」――出て来る出て
来る、あっという間に100句を超えました。「そうそう!」「そんなことあったの?」。
ひたむきな、楽しげな、時にはおバカな、60年前の高校生。ジグソーパズルの失くしたピースを
見つけたように、懐かしさ、愛おしさがこみ上げてきました。

そんな私たちの、俳句と俳句もどき(季語無し)による「思い出の富士高俳句」を、
お祝いのメッセージ代わりに100周年記念誌に投稿してみることにしました。その前にHPで
同期の皆さまにも目を通していただこうと思います。事実と異なる点、お気づきの点、
ご感想などありましたら、ぜひお知らせください。
   不尽句会 内藤 好之(俳号・呈念 3D)
teinen.na@gmail.com

最後に、youtubeで映像が見れます。

★私もあのセーラー服を 入学 通学
近所に住んでいて、ずうっと見ていた制服!      憧れのセーラー服身に入学式
・「箒はこう持つのですよ」と中村重太郎先生が女子にも。 入学時掃除の仕方教わりて

バスからこぼれ落ちそ~
・バスは満員。手すりにしがみつき、揺られてだんだん車内に。車掌さんが手で押さえて
くれました。

練馬駅」発「伊勢丹行き」で70分かかったことも。ちょっとした旅行でした。
ステップに足かけやっとバス乗車      バスガールドアー閉まらず手で押さえ

新入生中野弥生町までバスの旅       春の朝ぎりぎりのバス同じ顔

・通学は雨の日も風の日も自転車。裏道を辿って。
チャリンコで通いし路に露の玉       梅雨時も黒塀ぬって三段ギ

校門に仁王立ち

門を閉めて遅刻者をチェック。立ちはだかる式田次雄先生、
あだ名「シキデン」の存在感は抜群。

校門の遅刻関所やシキデンさん       シキデンの横すり抜けてぎりぎりセーフ

赤セーター君だめだよとシキデンさん

いとながながし 授業

・午前の授業1時間40分。代わりに隔週土曜休み。  春眠や英数100分いと辛し

土曜待ち長い授業に堪えにけり        春眠の午後の授業に続きおり

授業中、矢口忠先生の似顔絵をこっそり描いて見つかった女子。友達と二人、
放課後、残され、ガ版刷りのお手伝い。


叱られず謄写版刷りお手伝い

・生物の解剖実習後、ねんごろに葬りました。   校庭の蛙の墓に手を合わせ

夢でお会いできたら 恩師列伝

秩父良子先生の国語の授業。           淀みない源氏の朗読居眠りも

 俳句読み心ゆたかにのびのびと        きらきらと文読む師の目導きぬ

・漢文は安藤和郎先生。あだ名はイワヒ(鰯)。  江戸っ子や「ヒとシ」混乱イワヒさん

英語の大塚勲先生は和製英語?     「デペンドアポン」ジャパンイングリッシュ

・国語の中村重太郎先生。都立青山高から。    歌舞伎声色新学期

・物理の糠谷正行先生。後に都立西高へ。     教科さてスリッパ音とあの白衣

・英語の堤浩二先生。後に埼玉大教授。      春眠や漢詩英訳韻を踏み

・体育の安藤覚先生。後に都立西高へ。      予科練を思わす鍛錬風薫る

・体育の荒木豊先生。生徒にルールを考えさせたことも。工夫された体育授業若葉風

授業で「エデンの東」

三木紀人先生。映画好き。後にお茶の水女子大教授。授業内容枕草子とエデンの東

・家庭科の岩田時子先生、優しくご指導。      あなたたち賢い主婦にねと諭される

・日本史の橋本喜一先生。自信満々入試対策万全と。  頼もしや日本史暗記で合格す

・世界史の小宮進先生の駄洒落Look at Zama」(ざまあみやがれ)が記憶に。

古代ローマー軍がザマ
でカルタゴ軍のハンニバルを降した場面。
     ポエニ戦争ざまあみやがれハンニバル

音楽の清水和先生、かっこいい方でした。     爽やかや男子に人気清水先生

空飛ぶチョーク


突然コラーッという声とともに。新井孝二先生。    チョーク飛ぶ化学の実験新井先生

・数学の杉多津先生。                 すっきりと頭脳明晰杉先生

・松岡ツル先生ら、第五、富士高出身の先生も。     梅の香や大先輩のツル先生

・富士高史の生き字引、石垣惟雄先生。         校庭でサツマイモまで作ったよ

・英語の中島敏雄先生、ほれぼれするお声で。      ハムレットの例の独白を朗々と

・西村章先生の幾何。

楽勝の数ⅢAの西村先生           授業中わかった気になり後忘れ

・消去法で選んだ岩田和子先生の地理だったが、面白し。  地理嫌い地図へ誘う名授業

・生物の原村文先生。甘党、大甘党!          羊羹にお砂糖かけるの甘いの好き

プールにどぼん

・泳げなかった生徒はプールに投げ込まれました。    無我夢中横13メートルバタ足で

 試験

・テスト後の映画鑑賞「風と共に去りぬ」。原作を読破すべく、試験捨てました!

 試験前「明日は明日の風が吹く」       テストの日にわか勉強バスの中

 学園生活

・正面の校舎の窓下一帯に、浅野時一郎校長ご自慢の白薔薇、講堂の前には珍しい黄緑色の桜。

  校門に入れば校長薔薇手入れ         講堂の鬱金(うこん)桜に迎えられ

五女の名残りそこここに

・木造校舎が2教室分。窓ガラスに第五高等女学校の校章。家庭科の調理器具にも第五時代からの物。

  古校舎第五のマークに見守られ        まな板の裏に焼き印「五女」の文字

・ガタガタと木の渡り廊下で新校舎へ。         木造の校舎に夏の日差しかな

男子100人女子228

生徒数は女子が圧倒的。11人対43人のクラスも。・恥ずかしくてダンスに加われない男子もいた。

  体育の着替えは男子締め出し      フォークダンス背高女子が男役

“伝統”の早弁・黒板消し落とし

・旧校舎で。男子数人午前の休み時間に。・黒板消しを教室のドアに挟むトラップ。
引っかかった。堤先生、「どうしてこういうことを」と、
あまりにも悲しげに呟かれたので、一同悄然。

  早弁や隣の小部屋で堂々と        面白うてやがてしんみり皆後悔

 標準服

・スカーフのように柔らかな臙脂(えんじ)色シルクのネクタイ。各々自慢の結び方が。

  休み時間えんじのネクタイ結び合う    六月や教室満ちる白きセーラー

パーマかけた生徒も

・パーマネントも黙認。お洒落さんがいました。パーマかけタータンチェック着て登校

・体育のある日は着替えが楽な私服で登校。    おしゃれ上手大人びた級友夏ブラウス

・今の生徒は体操の時、なに着るのかな。     ブルマーはもう死語なるや運動会

 部活     

・炎天でも雨が降っても練習をしている運動部員たち。銭湯は17円でした。

    泥まみれ銭湯に行くラグビー部      泥まみれプール飛び込むラガーマン

   炎天下グランド走る球児あり       夏合宿体育館のうさぎ跳び

小腹満たして帰宅

野球の練習後、中野車庫周辺で空腹をしのぎ帰宅。    食の秋ラーメン一杯30

1961年、中野坂上―中野富士見町開通。初乗25円。    丸ノ内線ほんとに乗車昼休み

狩野川台風の爪跡を踏査

・狩野川台風の翌年、伊豆半島現地調査。 ・JRC(青少年赤十字)松沢病院を訪問。
院内で収穫したトマトでもてなされた。
・学校の紹介で大先輩の日本画家・堀文子さん宅を訪問、取材。
大変有名な方とは知らず、ろくな質問もせず心残り。   
台風の跡をつぶさに地歴班

   トマト旨し人形劇持ち訪問す         新聞部堀画伯秋訪問記

後ろめたさも味のうち 下校 寄り道

下校時に寄り道して食べたりするのはダメと言われていましたが……。 ・ご法度の喫茶店。
国内で本格的に製造されたばかり(1961年)の
コカコーラなるものを初めて飲む。

     宇治金時後ろめたさの味もして        道草やこっそり不二家ソーダ水

   下校のこれがコーラか喫茶店

・初恋とてなく寂しい高校時代でした。

     下校時もときめきなきや夕桜         徒歩通学不二家も寄らず卒業す

・帰り道、上級生の後をつけよう、と悪がき達が。   カップルのあと付いて行く秋の夕

・井の頭池に初デート。 ・映画「ウエストサイド物語」のナタリー・ウッドの姿、いつまでも。

   秋夕焼オールの波紋ほほえみて        トゥナイトと独り歌うや真夏の夜

ミッチーブームも仮装に 富士高祭 運動会

・富士高祭の華は仮装行列。ミッチーブーム、ウエスタンなど時代を映して。

     軽井沢の恋の扮装富士高祭          秋晴や仮装のミッチー男の子

やってみた日劇ウエスタンカーニバル     三度笠いったいどなた? 秋の風

    下駄履いて手ぬぐい腰にバンカラ女子     デモ行かず安保反対鉢巻で

先生もノって下さった
・松岡ツル先生を駕籠に乗せ、毛槍を振り振り、「下に~、下に~」と、大名行列のクラスも。

    秋の日や大名行列ツルの守(かみ)      新聞紙工夫で裃かっこよく

楽団「仲間はずれ」結成。聴衆の反応いま一つ。    文化祭ギターもコントもすべりがち

・ダークダックスによりロシア民謡が流行。       ロシア民謡ともに歌いし友風に

屋上は秘密の造船所

・公開中の映画「ヴァイキング」をヒントに、他のクラスに気付かれないよう作業。「乗船者」は
先頭の一人を除き全員女ヴァイキング。        屋上に隠して製作ヴァイキング船


800m走で足がつり、歩くようにゴールインした男子。介護班のマッサージで恢復。

                          運動会ふくらはぎ揉むやさしき手

・清楚で美しい友達がいました。富士高祭出演の古今亭朝太(後の志ん朝)も見つめていたとか。

   白百合や頬透き通る十七歳

火事はどこ? ここ!

ゴミもまとめて燃やしたところ、ボヤ騒ぎに。     文化祭打ち上げファイヤー消防車

遠足 林間・臨海学校

・バンカラぶりたい年頃。鼻緒ですれ足の指が痛かった。 粋がって陣馬遠足下駄登山

夢路の先は椿の島

・大島航路では船酔い。寝ていて海も見ず。 ・船上で友が美しい声で歌い、ロマンティックな夜。

船底に寝て着く大島椿咲き          星月夜海にころがる玉の声

・福島で夏の合宿。安達太良登山。・友人の現地在住のおばあさまから桃の差し入れ。

憧れの智恵子の山に夏休み          差し入れの桃の甘さに舌つづみ

お化け稲荷寿司

志賀高原。料理なんてしたことのない女子、油揚げ1枚そのままで。

     キャンプの夜なんとビッグな稲荷寿司     初めての飯盒炊さんテント泊

・奥志賀高原でスキー教室。ちゃんとしたゲレンデなどなく、結構きつい訓練でした。

野うさぎの足跡点々山スキー         山スキー長い山道半ベソで

・岡田忠久先生。登山、スキーではお世話様でした。    スマートでクールな山男岡忠さん

修学旅行

・修学旅行は京都を経て神戸港から関西汽船で四国へ。源平合戦の屋島から瀬戸内海を眺めた。

   春潮や駕籠で屋島に登りけり       願いこめ思い切り遠くかわらけ投げ

知らぬが仏の枕投げ

・翌日、京都へ戻り、新京極で買い物をして清水へ。 ・「長生きしたくない」と言いながら音羽の
滝の延命水。 ・
京都の旅館。女子の部屋でもお決まりの“就眠儀式”が始まったのだが……。

     おしろい紙みんなで試しお化粧気分      神妙に音羽の滝の延命水

枕投げ下は教員部屋でした!         ひので号語り明かせし友は今

華の伊勢丹ウェイトレス アルバイト

土曜日、学校の紹介で、新宿伊勢丹の食堂でアルバイト。昼食は硬いパンをかじって。日当は
240円。かつて日当がこの額だった日雇い労働の人たちはニコヨンと呼ばれていました。


年賀状整理のアルバイトでは、「多く採用し過ぎた」と、こちらが“整理”対象に。

     唾ごくり御馳走運ぶウェイトレス      休みの日ウェイトレスをニコヨンで

                                       郵便局の仕事たったの三日間

蛇屋? あったあった ああ中野

・懐かしい中野駅周辺。北口に蛇屋・龍昇堂あり。・「潮来笠」「いつでも夢を」などヒット曲連発
の橋幸夫の自宅は中野の旧昭和通り沿い。          
アーケード蛇屋のへびが脱走す

   橋幸夫実家の呉服屋のぞき見し        秋夕焼中野はいまも中野かな

半世紀後、また机並べる そして今

70歳から同期生と句会。同期の物故者30数人。今会いたい人は、米国の大学に入学、
 向こうで暮らすK・Oさん

     秋澄むや共に学びし旧友ありて      秋吟行同期の友と分かり合い

   卒業時の仲良し四人二人欠け       長き夜やアメリカからの便り待つ
                              

◆不尽句会メンバー<俳号(本名)3年次のクラス>

池田京波(京子)A 牛久礫(瑤子)B 浦木一草(祀子)E 川辺直子F 小出みずき(瑞穂)

阪本都風(都紀子)A 柴田芽衣(貴美子)C 下田斑菜(汎子)C 白井羊念()

相馬一平()F 徳山一露(清子) 内藤呈念(好之)D 氷上直紀F 堀野静岳(正勝)

町田信子F 松尾花酔(淑子)A 松永まゆ薇子F              ★★★

 **この関連記事と映像(youtube)を 『祝 富士高100周年』の投稿記事として,
 同窓生のHP「若竹」に投稿することにしました。
 60年前の写真を、教師以外は名前なしで掲載しますので、了解ください。  2020/03/11
      
下記URL
★★をクリック
       Youtubeが見れます

★★★★★思い出の富士高俳句不尽句会版GMx4

https://youtu.be/AxqB5ioYwZc


上野山散策のすすめ―――不尽句会吟行で魅力を満喫        2019/11/08

上野の山というと動物園と博物館、それに西郷さんとお花見ぐらい、と思っている人も
多いようですが、実は、様々な歴史の積み重なった面白い場所なのです。古墳や五重塔、
時の鐘、大仏、社寺、戊辰戦争の名残である銃弾で穴の開いた門や彰義隊の供養塔、
偉人の銅像など、見どころ満載。先日行われた不尽句会の上野・忍岡(しのぶがおか)吟行
が、いわば、知られざる上野山の「魅力発掘会」の趣を呈したので、「プチ上野山案内」
として、その様子をUチューブでお伝えします。

忍岡とも呼ばれた上野台地(上野山)は、武蔵野台地の東端で、かつて、古東京湾の
入り江に臨み、太古から人が住んでいました。不忍池は入り江の名残です。
岡と池が、忍・不忍とセットになっています。入り江の対岸は本郷台(向ヶ丘)です。

江戸時代の一時期には、大名の江戸屋敷がありましたが、江戸の鬼門に当たることから、
鬼門封じの大寺を上野山全域に造営することになりました。京都の鬼門にある比叡山延暦寺
に倣って、寺の名は東叡山寛永寺。東の比叡山という意味です。不忍池は琵琶湖、弁天島は
竹生島に見立てられ、崖には清水の舞台を真似た清水観音堂も作られました。京・近江の
ミニ版です。その境内はやがて、花見の名所となり、蓮見の不忍池とともに賑わいました。


 しかし、江戸城無血開城の後、旧幕府の不満分子が彰義隊を結成、徳川家の菩提寺である
寛永寺に籠って新政府軍と一戦を交えました。が、あえなく惨敗(上野戦争。戊辰戦争の
一つ)、寛永寺の伽藍はほとんど焼失し、上野山は荒廃してしまいました。
彰義隊200数十人の骸は朝敵ゆえ、しばらくは野ざらしにされました。


 新政府は医学校と病院用地にあてようとしましたが、お雇い外国人ボードワン
(「上野公園の父」として銅像あり)の助言を入れ、日本で最初の公園にすることに
なりました。初の博覧会も開かれ、やがて美術館、博物館、動物園、音楽ホールなどが
集まる日本の一大文化ゾーンになりました。

不忍池は戦時中は畑に、また埋め立てて球場にする案(後楽園に変更)も出ましたが、
蓮池として残り、現在に至っています。

国立の東京博物館、西洋美術館、科学博物館は、いずれも常設展はシニア無料
(月曜休み)です。


 館内のレストランも整っています。雨の日や寒い日も大丈夫。私は東京都シルバーパスで
都営地下鉄を乗り継ぎ、月に何回か通っています。年金生活者の“楽園”です。

 Uチューブの制作は3E相馬一(俳号・一平)さんです。

なお、東京文化会館裏の正岡子規記念球場隣にある上野公園管理所で公園の案内図をもらえます。
               3D内藤好之(俳号・呈念) 投稿2019/11/01

下記がUチューブへのリンクURLです。 YouTubeへのリンク右のかえるをクリック

★★★上野山吟行2019-HP.wmv           約13分

https://youtu.be/yPr50edFMb8

 
      ********** 岩櫃吟行2014/9/8~9 ******   投稿2019/8/10

 不尽句会は
70回を越えました。毎年、泊まり込みの吟行会を催していますが、5年前には、
仲秋の名月の日に群馬県の岩櫃(いわびつ)を訪れました。月見吟行と洒落たのですが、
その時の写真が我がPCの中で迷子になり、最近やっと取り出すことが出来ました。
古稀の年のタイムカプセルが開いたというわけです。
 
同期会のスライドショーなどで実績のある相馬一君(3E)の手で編集されたものを、句会以外の
皆さんにも見ていただければ、とご紹介するものです。
各場面に付されたコメントと無署名の俳句は、句会内で募集したものです。洒落ついでに、
暑気払いの余興として
赤デミー賞と銘打ち、コメントのコンクールを実施、その結果も
スライドショーの最後に加えてあります。ご笑覧くだされば幸いです。

さらに、今回の一編には、「付録」として、
 露草と彼岸花(曼珠沙華)の開花の様子の間歇撮影画像が加わっています。


露草は散らずに、青い花びらは、どろどろになって植物体内に吸収され、青い色素は
次の花に活かされます。いわば、リサイクルの花です。

彼岸花は一斉に開かず、まず片側が先行して開き、残り半分が追いかけるという
咲き方をします。
 花の動きを確かめながら、時間を置いて、シャッターを押しました。これまた相馬君が
一枚の画面に合成してくれました。画面を止めてご覧ください。     
内藤好之(3D)

***************************************************************************
スライドショーのリンク 下記のカエルをクリック
岩櫃吟行2014HP S 約22分 
https://youtu.be/Xjwnx6-wJ0o
      以上ですので、宜しくお願い致します。 編集 相馬 一 (3E

  越後の秘湯で雪見吟行 不尽句会        投稿 2019/4/3

雪は昔から月、花とともに、日本人の心を揺さぶる自然美の代表とされてきました。
唐の詩人白居易(白楽天)も、「雪月花の時 最も君を憶(おも)ふ」と詠っています。
俳句をするからには、ぜひ、雪見吟行をしたいとの念願が叶い、同期会の
不尽句会メンバーは、早春の3月4~5日、勇躍、新潟県の南魚沼へ向かいました。

川端康成の『雪国』そのまま、長いトンネルを抜けると景色が一変、
車窓に雪景色が広がりました。しかし、よく見ると木の幹の周りには
黒く土が見え(これを雪間といいます)、山肌の雪が一部溶け、まだらに
なったところ(斑雪<はだら>といいます)もあります。駅舎の屋根から
は音を立てて雪解雫(ゆきげしずく)。着実に春が近づいていました。

目的地は越後湯沢の先の塩沢。三国街道沿いの商店や銀行は、深い雪の中
でも往来できるよう軒を張り出して通路を確保していました。中学校の社会科で
習った雁木(がんぎ)の実物です。裏通りに入ると、住宅や寺院の北窓は
板で塞がれ、庭木や灯籠は丸太やシートで雪囲いされていました。
なにしろ、一夜に1・4m、最大積雪量3・7mという豪雪地帯なのです。
生活の苦労がしのばれ、「雪見て一杯」気分の出端をくじかれる思いでした。

塩沢は、江戸時代の名著『北越雪譜』の著者・鈴木牧之(すずき・ぼくし。
商人で文人。牧之は俳号)の故郷です。牧之は、「雪の少ない土地の人は、
雪を画に写し、詞つらねて賞玩するが、我が越後の如く年毎に幾丈の雪を視ば
何の楽しき事かあらん。雪の為に力を尽くし財を費し千辛万苦する……」と、
雪深い地での厳しい暮らしを紹介しています。
雁木通りは郷土の偉人に敬意を表し「牧之通り」と名付けられていました。

塩沢は今、コシヒカリや清酒「八海山」で有名ですが、極細の麻糸で織る
越後上布や、大島、結城と共に日本三大紬とされる塩沢紬の産地として
江戸時代から知られていました。

一行は鈴木牧之記念館と塩沢つむぎ記念館のほか、越後一の禅寺で、
日本一の庵寺(尼寺)とされる雲洞庵(うんとうあん)を見学しました。

吟行参加者の半数は、堀尾眞紀子さんの「万葉の織と染」講座の受講生。
「各地の染織には万葉時代と同じ手作業が今もそっくり受け継がれていて驚いた」
と聞いていたので、つむぎ館の実演を見ながら千数百年前の万葉の昔に
思いを馳せました。

宿舎は日本秘湯百選の一つ大沢館。囲炉裏付き、洗面台はトタン貼りという
湯治場風の宿で、句会の最中、囲炉裏の火で背中を焙られ、カチカチ山の
狸になりかけた人もいました。女性たちは猿の足跡を見つけたといいます。
14年秋の群馬・岩櫃吟行では狸の姿を見た人もいます。
女性は野の生きものとの交歓能力があるのでしょうか。

今回のDVDの編集制作は、またまた相馬一平、池田京波の両氏に
ご苦労願いました。私が一番好きなショットは、宿の玄関に参加者全員13人
(4人は残念ながら不参加)の靴が並んでいる場面です。
回を重ねること66回、歩みを共にしてきた人たちの靴です。

DVDの冒頭、FJK48という言葉が出てきます。発足した時は
古稀の年だったので、ふざけてFJK70と名乗ったこともあります。
では、48は? AKBやSKEの真似。それとも自虐ネタ。
いえいえ、苦から逃れるための仏教の48願、あるいは天使からの
ンジェルナンバーと解釈しておくことにします。

雪月花の吟行、一通り終わりました。次は星空吟行?などと楽しみにしています。

3D内藤好之(俳号・呈念)

★★★第66回不尽句会 雪見吟行2019ダイジェスト BGM再設定 F 下記クリック

https://youtu.be/uV7wQA80NqM

 

 

不尽句会 『房総・千倉吟行 2018/2/19 -20』のご紹介
                                 2018/3/14

◆このHPで希望者を募ってスタートした不尽句会は5年目に入りました。
 第53回の句会は、早春の房総・千倉での泊まり込み吟行。

太平洋に低い山が迫り、その間に集落や葦原、花畑、古い寺と神社、
珍しい地層などがあって変化に富んでいました。
観光地らしい派手なものはほとんどなく、「東京の隣にこんな所が」と
思わせる、昭和の房州の匂いを残した懐かしく静かなところでした。

参加者は17人のメンバーのうち風邪などの4人を除く13人。
普段の月例会は題詠といって、前月に出題された季題(季語)の句を
作っていますが、吟行は、実際に現場に足を運び、五感でとらえた
ものを句にします。吟行句会では、一緒に行動していたのに自分が
まったく気づかなかったものが面白い句になって句会に出されたり、
同じものを見ていても、自分よりうまく表現されていたり、
普段とは違った難しさと面白さがあります。また、しっかりものを
見るので、ただの旅と違って、印象が強く脳裏に刻まれます。

 スライドショーをどうぞご覧ください。「写真班長」の相馬一氏が
参加できなかったため、みんなの撮った写真を総動員、相馬氏と
池田京子さんに編集してもらいました。

 今回の最大の特徴は、スライドの場面場面に吟行で詠まれた
句などを付けたこと。
 吟行に加われなかった4人にも句を詠んでもらって加えたので、
全会員によるミニ合同句集の趣きになっています。

  (3D内藤好之記)

2018年2月の房総・千倉吟行のスライドショー

■千倉吟行2019 ファイナル・HPV 約15分
  ここをダブル・クリックして写真集をスライドショーで見れます。

 

《場面転換が早すぎて俳句が読み切れない、
という方が居られるかもしれません。
YOUTUBEの時間制限の関係も
あり、申し訳ありませんが、
その時は画面を止めて
<右図参照ご覧ください。》

https://youtu.be/iQ5bZNTZ5A8



            相馬 一 


...  Youtubeを見ている時         

①画面を一時止めるには、上記画面の一番下の左端の
のマークをクリックすると画面が静止する、
 もう一度マークをクリックすると動き出す。
②全画面で見るには上記画面の一番下の右端のマークを
  クリックする
もう一回クリックすると、元に戻る
 
現在活躍中のメンバーの方々です。2018/3現在
番号 氏名 旧姓  俳号 連絡用 E-メール 携帯電話所有 コメント
池田京子 京波 幹事(4月~)
阪本都紀子 熊倉 都風  .
松尾淑子 大島 A 花酔  .
4  牛久瑶子   .   無し  . 
小出瑞穂 茅根 みずき 幹事(4月~)
徳山清子 高田 一露  幹事(~3月)
柴田貴美子 沼生 芽衣 幹事(~3月)
下田汎子 山内  班菜 .
内藤好之 . 呈念 03-3937-5494 道案内人
10 堀野正勝 . 静岳. .
11  相馬 一  一平   幹事(~3月) 
12 浦木祀子 前谷 一草. .
13 白井 仁 . 羊念  携帯 .
14 氷上直紀 .  直紀 幹事(4月~)
15 川辺直子 鴨志田 直子 .
 16 町田信子  深野 
信子    .
17 松永まゆ薇子 冨倉 まゆ薇子 .
. 17 . . . 公開可能な方は
申告ください.
.
 
         不尽句会 『箱根吟行 2017 2/ 6 - 7』の紹介   2017/05/20

◆同期会の有志で始めた不尽句会は4年目に入り、月一回のペースで

44回続いています。俳句の「は」の字から始めたことを考えると、みな長足

の進歩です。現在メンバーは18人。年に一回は宿泊吟行といって、

岩櫃、葉山、越生、箱根に泊まり込んで句作と句会をしました。小石川後楽園

には日帰りで吟行しました。6月には上野動物園吟行が控えています。

近所の人に、「ちょっとギンコーへ」と挨拶して、貯金にでも行くのかと間違われた

笑い話もあります。吟行先では、名所旧跡などを漫然と眺めているわけにはいきません。

何か一句作らなければならないのです。「これで、俳句がなかったら、どんなに楽しい

ことか」と、ぼやく人も多いのですが、そういう人に限って立派な句を出してくるのです。

時には句会抜きの、文学・歴史散歩もしています。

自ずと写真班も決まり、毎回、スライドショーに仕立て、さらにDVDに焼いて配って

くれるので、繰り返し見ては思い出を反芻しています。(3D内藤好之記)

2017年2月の箱根吟行のスライドショーはこちら をクリックして
 少し待つと見れます。(約15分)
 

  不尽句会追加募集              2014/1/23 
                                      小出 瑞穂

昨年9月に発足しました不尽句会は楽しく続いております。

句会で使用する部屋を大きくしましたので、ゆとりができました。

そのため若干名を追加募集することとなりました。

ご希望の方は幹事の小出まで5月7日までにお申込みください。

メイルアドレス:mkoide@tbz.t-com.ne.jp  電話:029-851-5207

 メールをする方は、この封筒をクリックしてメールが出せます。

句会は以下のように開催しております。

会場:津田塾大学同窓会施設会議室 (東京都 渋谷区 千駄ヶ谷1-18-24

http://tsuda-jyuku.org/alummnae/accessmap/index.html を参照してください。

日時:毎月1回 原則、第2月曜日 10:00AM12:30AM 
      ★そのうち寝言も、夢も、五七五?                 2014/1/20

  《半世紀ぶりの教室さわやかに》
                     不尽句会のエピソード  (3D 内藤 呈念=好之)

 富士高にちなむ名で昨秋、同期会内にスタートした「不尽(ふじ)句会」。
卒業後、半世紀と二年を経て、再び机を並べるという夢は、正夢となった。
1月14日には、新宿・住友ビル高層階の茶寮で新年句会を開き2年目に。
俳句は小中学校以来初めて、という会員も多かったのに、さすがFJK37
(「FJK70だろう」との声あり)の才媛、秀才。のみこみも早く、
句会も5回を重ねると、すっかり「さま」になってきた。新宿御苑を散策中、
冬桜に見入っていれば、通りかかった人から「俳句ですか?」と声を掛けら
れるし、就寝時、羊を数える代わりに、つい五七五と指を折ってしまうと
いうメンバーもいて、すでに自他ともに許すハイジン同様。同期会のハイ
キングに加わっても、つい目は俳句の素材を探している。

目下、会場と時間の関係で、残念ながら新会員募集はストップしているが、
このホームページが徳永くんらの努力で続いていたからこそ実現した句会。
何回も宣伝させてもらったお礼を込めて、会の5ヶ月間の歩みとエピソード
をご報告させていただく。
 

大型台風襲来の日 初句会は昨年9月26日。予定を書き込もうとカレンダー
をよく見ると、なんと「台風襲来の特異日」とある。洞爺丸、狩野川、伊勢湾
など超大型台風の襲来した日だという。予報も夕方雨。よりによってと、
いやな予感が。しかし、当日、幹事の津田塾出身の三人衆(瑞穂、遊子、
芽衣の各氏)が確保してくれた、千駄ヶ谷駅真ん前の津田塾ホール同窓会室
へ行くと、にぎやかな話し声。12人が出席、2人が「欠席投句」と、上々の
スタートだった。終了後は、近くの鳩の森神社にある、江戸時代の富士山
信仰の遺跡・富士塚に記念“登頂も果たした。
 

全員が宗匠 会は、自己紹介もなく、いきなり句会。実践のなかで覚えていく
のが早道だからだ。持ち寄った各自5句を、作者が分らないように手分けして
清書、その紙を次々に回して、それぞれ「これは」という句7句を選び、最も
良い句2句について短評する。最後に、選ばれた句をまとめて読み上げ、そこ
で、初めて作者が名乗るという互選方式で進めた。意外な句に意外な作者だっ
たりして、ホーッと喚声も。

 明治20年代ごろまでの句会は、俳人を職業とする宗匠が一方的に選句、
評を加えて終わりというものだった。だが、俳句革新者の正岡子規らは、
全員同列で“民主的”な互選方式を採り入れるようになった。いわば、
全員が宗匠というわけだ。俳句の好みは、人それぞれだから、自分の句を
きっと誰かがわかってくれる、という安心感もあり、俳句の裾野は一気に広がった。

不尽句会でも、経験者の私が、宗匠づらで講釈を垂れ、一人勝手に選句すると
思っていたメンバーも多かったようだが、互選方式は新鮮に映ったらしい。
「だれが自分の句を選んでくれるかドキドキした」「結果がすぐわかり、
思ったより楽しかった」「これならなんとかやれそう」と、概して好評のようだった。

そうした評判がメールや口コミで流れていたのを知り、手ごたえを感じたのは
もっと後のこと。第2回を前に、あろうことか、メンバーが半減した夢を見て
冷や汗をかいたこともあった。

二人句会? 実は句会のスタート前、水面下では、毎月開くか、隔月かで、
私と幹事役の津田三人衆の間で大論争が続いていた。「毎月でないと定着しない。
講義中心でない、次回が待ち遠しいような楽しい会にするから」と私。
「隔月がせいぜい。ゆるやかな会でないと、参加したがらない。この歳で
新たなストレスを抱え込みたくない」と三人。後で聞くと、加入者が
4、5人しかいなかった場合、何人かが休むと、最悪、私・呈念と二人だけの、
マンツーマンの句会になりかねない。そんなのはかなわない、
と尻込みしたのだという。

うれしい悲鳴 さて、第2回。夢は逆夢。出席14人。うち2人は「見学」。
カルチャーセンターなどでよくある、「下見」「お試し入会」に当たる。
つまらなかったら「やーめた」となりかねない。で、私は、「失敗はゆるされない」
と、授業参観日に教壇に立つ教育実習生のように緊張してしまう。

 結局、この二人も仲間に入り、「多くて15人」という当初のもくろみを
上回る20人まで増えたが、新たな悩みが。会場の座席数と、使用時間の制限から、
これ以上増やせないのだ。大変申し訳ないことだが、「募集一時ストップ」
のお知らせをホームページにのせてもらう羽目になった。月並みな表現ながら、
これぞ「うれしい悲鳴」である。
 

長足の進歩 俳句は、季題(季語)を複数入れないように作るのが普通だが、
初回は「秋」と「薔薇」、「秋風」と「露草」が同居するなど、一句に季題が
二つも三つも入った「季重なり」の句のオンパレード。「入門書の類は難しい
ことが書いてあるので一切読まないように」と、事前に言っておいたので、
無理も無い。「ぶらんこ」「風船」「しゃぼん玉」が春に分類されるなど、
思いがけないものが季題になっており、経験者でも間違える。歳時記を引き引き、
作っていくうちに覚えていくほかない。

しかし、2回以降、「季重なり」はぐっと減った。それよりも、手馴れた俳人
の作ったこぢんまりした句と違い、太い筆でぐいぐいと画用紙をはみ出さん
ばかりに描いた絵のような、荒削りながらエネルギーに満ちた作品が多いこと
に驚かされた。発想や言葉の使い方もユニークで、指南役のつもりが、逆に、
大いに触発される結果になっている。

これまで5回の句会で出された句をご紹介したいところだが、一度、
公にしてしまうと、雑誌、新聞などの俳壇に応募出来なくなってしまう
(新作に限るという条件の募集が多い)ので、見合わせるが、
素晴らしい句が次々と生まれている。三人衆旋風、三才氏の
鮮烈デビューなど、話題に事欠かない。興味がおありなら、
メンバー個々に聞いていただきたい。また、見学は自由です。
幹事にご連絡を。

十年選手の私の句も、当然、同じ土俵で吟味される。
が、いたって、低調。「あの、高浜虚子でも、一句も入らなかったことがある」と、
あらかじめ、不調な仲間を予想して、予防線を張っておいたが、この予防線、
なんと、ほかならぬ自分のためでもあった。みんなが、晴れがましく、
あるいは照れながら、名乗りをあげるのを、もっぱら聞く側に回っている。
「みなさん“爪を隠して”お人が悪い」とぼやきつつ、俳号・呈念を、
「低燃」と改称しようか、などと愚考するこのごろである。
 

俳号総スカン事件 「俳号は、もう一人の自分になったようで、
付けると楽しいよ」と、みんなに勧めてもなかなか付けようとしない。
そこで、私が独断と偏見で試案を発表したことがあった。「一人飯」
の句をつくるなど、やたら「独り」を連発する瑞穂氏には、孤食をもじって、
「湖色」。すると、イヤーッと悲鳴。このほか、「都? 手抜きね。
はるみになっちゃう」(都風氏)など、次々に却下。「鋭角」と「光陰」
という言葉で印象的な句を作った遊子氏に、旧派の宗匠風な「英格堂行印」を、
冗談半分に提案したところ、「戒名みたいなのはやめて下さい」とぴしゃり。

一方、まだ俳句も作らず、何がなんだか分らないうちに、呈念から俳号を
付けられてしまったのが芙蓉氏。陣馬山のハイキング中のことだ。
芙蓉(峰)は富士山の雅称。富士高の不尽句会にぴったりの名前だ。
メンバーの中には、お茶、生け花、日本画、書道、フラの名前など、
いくつも名前を持つ人もいる。
 

俳号ラッシュ 「呈念から変な名前を付けられる前に自分で」と、
昨年末は、俳号ラッシュとなった。それらを含めてメンバーの名前を紹介する。

▽池田京子▽牛久瑤子▽浦木祀子▽桑田治子▽小出瑞穂▽阪本都風(都紀子)
▽柴田芽衣(貴美子)▽下田斑菜(汎子)▽白井羊念(仁)▽相馬一
▽高橋芙蓉(芙久)▽徳山一露(清子)▽西村彩人(周一)▽氷上直紀
▽堀野静岳(正勝)▽松尾花酔(淑子)▽松永まゆ薇子▽山岡三才(靖子)
▽吉田遊子(祥子)

            

 夫君看病しながら 俳句の効用の一つは、句を作ることによって、
自分を第三者の目で見つめられること。苦境に立たされた時など、
ふうっと一息つき、次への力が湧く。会員募集でも呼びかけたように、
肉親の介護や看病、孫の世話に明け暮れているような人にこそ、
句作してリフレッシュしていただきたかった。

真っ先に入会した浜松の一露さんは、夫君を看病しながら、病院の送り迎えや、
また入院の付き添い中の窓から見える景色などを詠み続けた。
遠出はままならないので、句会にはメールで投句した。

祀子氏の夫君が、妻君に5句を託し、妻君以上の好成績を
あげたことも。「どれどれ」と句会報を覗き込んで、
「これならやれる。腕試し」と思われたのだろう。そのうち、
伴侶、子、孫などの家族参観日・参加日を設けたら面白いかもしれない。

穏やかな時間 「70歳で、まさか新しいことが始められるとは思わなかった」
「いつも見ている風景が変わって見えるようになった」
「雲や月をながめる余裕が出てきた」といった、感想を耳にするようになった。

句会が苦界(くがい)になっては、とんでもないこと。現役として飛び回っている静岳氏がもらした
「(句会は)とても穏やかな、よい時間だ」という言葉は、何よりありがたい。みんなが俳句をすれば、
世の中が少しは変わると信じている「俳句種まき爺さん」としては、これ以上うれしいことはない。
(完)
  
    『不尽句会』の募集打ち切り      2013/11/02  小出
「不尽句会」は、参加者が多くて15人の予想を超え、19人を数えるようになりました。
大変うれしいのですが、場所の広さと、借りられる時間の制約により、
これ以上、増やすのは無理ということになりました。
誠に申し訳ないのですが、ひとまず募集を中止させていただきたいと思います。
退会者が出たときなどに、募集を再開するつもりです。
投句のみの参加も時間の都合上打ち切らせていただきます。
なにとぞ、事情ご賢察のうえ、ご了解下さるようお願いいたします。

     『不尽句会』 開催報告     2013/10/2   柴田貴美子(Cクラス)

第一回不尽句会が千駄ヶ谷の津田塾大学同窓会室で行われました。
出席者は12名。欠席投句2名。
句会開始の10時にはほとんど全員が揃って会を開始。
まずシェルパの内藤さんから句会の進め方の説明。
 

句会は次の順序で行われました。
①投句 一枚ずつ短冊に作ってきた俳句を書き提出。
②清記(せいき)作者の筆跡を隠すために、短冊の句を手分けして清記用紙に清書。
③選句 清記した用紙を回し気に入った句を選句用紙に記入。
 その中から絞り入選句を5句から7句選句用紙に記入。特選の2句を選ぶ。
④特選句の発表・講評。
⑤披講(ひこう) 参加者の選んだ句を披講者が読み上げる。選ばれた作者は名乗る。
⑥合評、質疑など。 

参加者12名は選句しながら、「みんな上手ね~」「この字読めない!」
「難しい言葉がある」などとおしゃべりも。和気藹々と2時間はあっという間に過ぎました。
久しぶりに集中した時間を過して初句会は終わりました。
楽しく頭を使い古希からの手習いは滑り出しました。

句会後は津田ホールの地階の「ユーハイム」でランチ。
ランチ後内藤さんの案内で千駄ヶ谷の富士塚に登り解散しました。 

次回は小出瑞穂さんのご案内のとおり10月15日です。      以上 

 参加者感想 :              堀野正勝(Dクラス)
思いのほか楽しい会だなと感じました(第一印象)。
初回なので、恐れもなし、ずうずうしく句作にチャレンジしたり、選句?したりと時間のたつのも忘れました。
次回も時間が取れれば、できるだけ参加したいと思います。
世間の煩わしさを忘れ、結構楽しくやれそうだな(むずかしさを知らないからかも?)という印象でした。
次回も楽しみにしています。   それまでに句作(苦作)にいそしみます。



左から下田、白井、高橋、吉田、柴田、小出
 内藤、阪本、松尾、河内さん

                句会風景

 『不尽句会』・今後のスケジュール      2013/09/30 小出

『不尽句会』と名付けられた富士高校S37年同期会のメンバーによる俳句の会は、
9月26日初会合を開きました。期待以上に盛り上がり楽しく終わりました。
柴田貴美子さんの報告が下記にありますのでお読みください。

今後の会合のお知らせをいたします。見学も歓迎ですが、場所の制約で15人位が限界なので、
事前に小出まで連絡下さい。

時間はいずれも午前10時から12時半までです。
場所はJR千駄ヶ谷駅前の津田ホールの2階の和室です。
http://tsuda-jyuku.org/wp/?page_id=262)を参照ください。


◆10月の句会の題(兼題)は、
「紅葉」「渡り鳥」「秋祭(里祭、村祭など)」を主に、秋の季語すべてです。

◆10月15日(火) 

        俳句同好会発足時メンバー  
douki2013現在登録したメンバーの方々です。 2013/07/15  
番号 氏名 旧姓 連絡用 E-メール 携帯電話所有 コメント
池田京子 入会
奥田智恵子 菅沼 入会
阪本都紀子 熊倉 入会
松尾淑子 大島 A 入会
小出瑞穂 茅根 幹事
徳山清子 高田 発起人
山岡靖子 織田 無し 入会
柴田貴美子 沼生 発起人
下田汎子 山内 入会
10 内藤好之 . スマホ・メール所持 03-3695-4133 師範
11 堀野正勝 . 入会
12 河内直子 速水 入会
13 吉田祥子 中山 発起人
14 浦木祀子 前谷 入会
15 高橋芙久 建部 入会
16 白井 仁 . 携帯メール所持 入会
17 西村周一 . 入会
18 氷上直紀 . 入会
19 桑田治子 小室 入会
20 松永まゆ薇子 冨倉 入会
. 20 . . 公開可能な方は
申告ください.
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