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                 訪問記-2 

このページは、仲間開催のイベントの案内 と 誰かが誰かを訪問した
報告を簡単な文章と写真や資料で紹介するページです。
訪問先は人でも 場所でも結構です。 皆様の投稿を待っています。
  

            「フリーダ・カーロの日記−新たなまなざし」刊行記念講演会

        

 今回同級生で参加したのは、相馬一君、阪本都紀子さん、松尾淑子さんの3人でした。


 
お三方の、参加しての感想を掲載させていただき、ご報告といたします。

堀尾真紀子さま
今回も刺激のある講演拝聴させていただきました。

絵画や小説などの創作活動の重要な概念に、”描く側”、”描かれる側”という
視点があること、初めて触れました。
この視点からフリーダの”自画像”を見ると味わいが深まります。
”自画像”をネット検索したところ、
「自画像を描いた45人の芸術家たち」というのが出てきました。
時代順に先頭にはレオナルド・ダ・ヴィンチ、そして42番目に
フリーダ・カーロ。  成程。

ご丁寧なメールありがとうございました。猛暑の中ご自愛ください。
                     相馬 一(Eクラス)

昨日7月19日、メキシコ大使館で行われました堀尾真紀子さんの
「フリーダ・カーロの日記-新たなまなざし」刊行記念講演会へ、伺いました。

永田町のメキシコ大使館に到着したときは、まだ明るかったのですが、
すぐに夕闇に包まれ、木々に包まれたホールでの講演が始まりました。

堀尾さんは、白いスーツに身を包み、いつものように穏やかに
お話を進めていかれました。

この日記は亡くなる前10年間の心の内が絵と文で表現された貴重な記録です。

私は、昨年秋、2日にわたっての国分寺市もとまち公民館の美術講座
「『フリーダ・カーロの日記』を読み解く」に参加しました。

その時、メキシコを代表する女性画家を日本に紹介された
堀尾さんのフリーダへの理解の深さに、圧倒されてしまいました。

今回は時間が短いので、多分、堀尾さんも、その点、
残念に思われたのではないかと思いました。

 この日記の最初には「フリーダ・カーロの芸術と生涯」という堀尾さんの
長文の解説が載っています。ご講演の内容は、
この解説に基づいていると思いました。
 一生にわたって彼女を苦しめた小児マヒと若い時の交通事故での脊椎損傷、
ドイツからの移民のハンガリー系ユダヤ人の父親とインディオの血を引く
メキシコ人の母親の間に生まれて、医者を目指していたはずの彼女が、
事故により運命が変わり、絵を描くことで自分を成り立たせていった様子が
読み解かれています。
絶対的な深い絆で結ばれた夫、壁画画家のディエゴ・リベラとの関係も
メキシコという風土文化を外しては語れません。
亡くなる数日前までに描かれた絵を見ると最後まで描くことで
自分を力づけていたのだと、切なくなります。

 日本的なセンスとはかけ離れた圧倒的な絵から、生きることから逃げないで
最後まで自分に忠実に生きたフリーダの真実が伝わってきます。
堀尾さんのご著書、この日記の解説、どれもフリーダが乗り移ったような
力が込められているように感じます。

日比谷高校の前にある大使館から地下鉄駅までの坂道を、
3人で感想を言い合いながら歩きました。

堀尾さん、本当にありがとうございました。

                      松尾淑子(Aクラス)

「何回かフリーダ.カーロに関する堀尾さんの講演、ご本など拝見し、
彼女のフリーダに対する情熱を素晴らしいと
思っておりました。
今回の講演開催所は彼女の母国、メキシコ大使館と
いうこともあり、楽しみに参りました。


 開会の挨拶から、通訳を通しての事で、はて?という思いでのスタートでした。
でも、講演が始まりますと、フリーダの独特な絵画の映像等を通し、
堀尾さんのフリーダに対するお気持ちの溢れた素敵なお話に
胸が打たれる時となりました。
同窓のお蔭でこういう機会にも恵まれた事改めて幸せと実感した夏の夜でした。」
 
                          阪本都紀子(Aクラス)

  
                   
                     ・講演開始時の堀尾真紀子先生

  
               
                    ・講演後,来場者にお礼挨拶中の堀尾先生

 

 ・講演後の参加同級生 松尾さん、 阪本さん、   堀尾先生    <写真提供 相馬一君>
  ノーベル生理学医学賞 大村智氏 の講演会 堀尾真紀子(Aクラス) 2023/8/22


 立秋というのに厳しい暑さが続いております。
お変わりございませんか。
今日はノーベル生理学・医学賞受賞者の大村智氏の講演のお知らせをさせていただきます。
テーマは来年新千円札に登場する「北里柴三郎」、大村氏も感染症特効薬で何億という人を
救った功績で受賞、話好きの楽しい方です。子供の頃から絵が大好きとのこと出身地韮崎に
大村美術館建設、ご著書の中でフリーダ・カーロに触れていらして驚きました。
今春から日本エッセイストクラブの会長に就任、たまたま私が理事長に選出され、
ご縁をいただきました。暑さも和らぐ時期の開催ですので、
ご興味ありましたら是非ご参加いただきたく、ご案内申し上げます。   堀尾眞紀子


          
 大村先生 講演会
  演題 「北里柴三郎先生の求めたるところを求めて」

   日時   2023年9月26日(火)
         15:30~16:30(プラス質疑応答)

   場所   北里大学 白金キャンパス 大村記念ホール
         東京都港区白金5-9-1

   参加費  無料
  
 アクセス 東京メトロ日比谷線広尾駅>0.9km、徒歩13分>北里病院

*会場は北里大学・病院・研究所と同じ敷地内にあります。
  北里柴三郎記念館(入場無料)
  開館時間 午前10時~午後5時
  講演会の前に見学をお勧めします。



 大村 智 <さとし> (化学者)
1935年 山梨県韮崎市生まれ
微生物の生産する天然有機化合物の研究を専門とし、50年以上の研究生活を通して
約500種類の新規化合物を発見。 うち26種類が医薬、動物薬、研究用試薬として
実用化され、感染症などの予防や撲滅、さらに生命現象の解明などに貢献している。
そのうちの一つであるイベルメクチンは、寄生虫感染症の多くを予防・治療する
特効薬となった。
65年北里研究所入所。監事、理事、副所長、所長などを歴任。
国内外の受賞歴多数。
2001年学士院会員。12年文化功労賞。15年文化勲章、ノーベル生理学・医学賞を
受賞。
現在、北里大学特別栄誉教授。学校法人女子美術大学名誉幹事長。韮崎大村美術館
館長。
2023年日本エッセイスト・クラブ会長就任

著書
『ストックホルムへの廻り道』 『人生に美を添えて』 『人をつくる言葉』
『自然が答えを持っている』 『縁尋機抄』他

下記は、同期の堀尾真紀子さんが、今回は出版に際し、解説、監修にのみ関わられた
そうで、著者は、フリーダ・カーロ本人で翻訳は別の方です。
堀尾さんにとっては、LifeWorkの多くを関わられたメキシコの女性画家であることは、
同級生の我々は周知のとおりです。
朝日新聞に書評が掲載されたのが7月1日で、前日にお知らせがありました。
徳永
件名: 『フリーダ・カーロの日記』刊行のお知らせ 堀尾

今日は私ごとで恐縮ですがお知らせまでさせていただきます。
7,8年ほど前に企画し、出版社が決まり動き出して5年近く難航した
『フリーダ・カーロの日記』がようやく刊行となりました。
明日の朝日新聞朝刊に書評が載るようで、もしご覧頂けましたら幸いです。
横尾忠則さんが書いて下さり、どんな内容か私も楽しみです。
翻訳は専門の方によるもので私は解説、監修。 朝日新聞の規定により
たぶん著者であるフリーダと翻訳者名のみで私の名前は出ないかと思います。
いずれにしろ日本では知名度の低いフリーダが知られるのはうれしい限りです。
出版社のちらしを添付させていただきます。よろしくお願いいたします。
(もしもご希望の折は著者買上げ2割引ですので堀尾まで。お送り申上げます)

それではどうぞよろしくお願い申し上げます。 堀尾眞紀子

<書評の部分を切り取って、写真にしたものが下記ですが、文章の下地に、
 フリーダの顔写真があるため、HPでは読破するのは、難しいです>

朝日新聞 2023年(令和5年) 7月1日(土) 読書 22面  を図書館で見てください。  評:横尾 忠則 美術家
 
フリーダ・カーロの日記 新たなまなざし フリーダ・カーロ(著) 星野由美、細野豊 訳 富山インターナショナル 8800円

 
 
   さだまさし 「さだの辞書」 が第69回日本エッセイスト・クラブ賞

 近況報告に以下を添付させてください。

私事ですが自粛のこの夏、読書に追われ50冊を優に超えました。

昔、賞を戴いた縁でこの日本エッセイスト・クラブの常務理事を仰せつかっていて

審査委員をしたせいでして、 その中で添付の受賞作がたいへん面白かったので、

もしご興味あれば…  この閉塞感ある状況下、

ぜひ皆さんに知っていただきたくて、ご紹介します。


                             堀尾眞紀子

(徳永追記) 

  • 堀尾さんは、第35回(1987年)に『画家たちの原風景』でこのクラブ賞を受賞されています。
  • 本年は第69回(2021年)は下記2名の方が受賞されています。

 




 眞紀子さん  さだまさしさんとの2ショット
        ◆TVのご案内               

万葉講座を担当している、堀尾眞紀子さんが、

2月の講座はコロナ騒ぎで、中止になりましたが、 

来週月曜日、彼女がいつも観ている大好きな番組「グレーテルのかまど」に

フリーダ・カーロの結婚式にちなんだお菓子で出演します。

スイーツに込められた珠玉の物語という副題で、国や時代を超えそれぞれの

物語と、それにちなんだお菓子をつくるという甘やかで楽しい番組です。(25分間)

放送日程は以下です。時間のある方は、是非お楽しみください。

・初回放送:Eテレ 2021年1月25日(月)22:00~22:25

・再放送 :総合    2021年1月27日(水)11:05~11:30
      :Eテレ  2021年2月 1日(月)10:25~10:50
・国際放送:2021年1月27日(水)01:05~01:29 ※日本時間


★番組HPにも情報が出ています。
https://www.nhk.jp/p/kamado/ts/VNWVWYKX3Q/schedule/

                                        以上 

 同期の皆さま                        3A   堀尾眞紀子

★ようやく暑さも和らぎ、秋の気配を感じるようになりました。 お変わりございませんか。
「若竹」創立100周年記念号が送られてきましたね。
この100年の写真もたくさん掲載され、また知らなかったことも多くて感慨深く、
たいへん興味深く読ませていただきました。
森本さん石川さんの対談の中に「僕は秩父先生の影響が大きかった」とあり、うれしかったです。
「校友」が戦時下「報國」となっていたようで、時代の波も感じました。
永井愛さんの芝居が好きで、高橋明也さんとの対談は面白かったです。 

★ところで先ごろメキシコ大使館主催『私はフリーダ・カーロ』訳者と堀尾のオンライン対談をご案内し、
 皆さんからうれしいご感想を寄せていただきましたが、このほどYoutubeにアップされました。
 ご覧になれなかった方もいらしたようで、もしお時間ありましたら有難く、お知らせさせていただきます。
 フリーダについては思いが溢れ,つい喋りすぎていて冷や汗ものですが。 

 メキシコ大使館 YouTube『わたしはフリーダ・カーロ』刊行記念オンライン対談

      ・Ctrlキーを押しながら、下記をクリックして画面が出ます。
      https://www.youtube.com/watch?v=kvoWxErLmr0

 (約75分ですが最初の10分程は文化担当官や大使の挨拶などが続きます)
         画面右下の#のような部分をクリックして、全画面で見ると見やすいです。

未だコロナ禍は収束をみず不安が続きますが、どうぞお大切にお過ごしくださいますよう

またお会いできる機会を楽しみにしております。           以上

 

★読者の感想
                                柴田貴美子
「わたしはフリーダ・カーロ」のYouTube拝見しました。
久しぶりに集中した一時間余。フリーダへの思いが充分伝わりました。
素晴らしい画家とその人生の巡り会い、素晴らしいです。ありがとうございました。

「若竹」を読んで同じような感想を持ちました。
森本さんが秩父先生の授業の事に触れていらして、やはり嬉しかったです。
秩父先生の朗読はいまだ忘れられません。
写真がもう少し大きいといいなと思ったのは年齢のせいでしょうか?   以上

   

「万葉集」にも疫病の歌           2020/6/21開催
    堀尾眞紀子さんの講座を聴いて       内藤 好之(3D)2020/6/30

 ▽疫病の治療と予防について、各地に書面で通達。▽迅速化のためハンコの数を減らす。
▽薬、米などの配布。▽税の減免。▽食糧増産のため田畑の私有を認める――どこかで
聞いたようなこれらの施策、実は1300年ほど前の奈良時代のものなのです。

 堀尾真紀子さん(3A)の講座「万葉集にみる色と染め そして暮らし」の中に、
思いがけず出て来た話です。まさに「歴史は繰り返す」。タイムリーで、とても
興味深かったので、私なりのサマリーをご紹介します。

 「万葉集」が九州防備の防人の歌なども収め、時代を反映していることは承知して
いましたが、疫病に倒れた人の歌や挽歌もあることは寡聞にして知りませんでした。
斃れた人の名前を知り、また、ハンコの数を減らすなどという、今と同じような対策を
知って、歴史が身近になり、動き出す思いがしました。

 疫病の犠牲者に関する歌は、巻15の新羅への使節団である、遣新羅使(けんしらぎし)
の歌145首の中に出て来ます。大半は、家族を思う歌、航海の辛さを詠んだ歌です。

 平城京を出て難波津から瀬戸内を航海中、嵐に遭ってあわや難破。大宰府に寄って、
一路、新羅を目指しましたが、途中、
壱岐で雪連宅満(ゆきのむらじ・やかまろ)という
占い師が、「にはかに鬼病(えやみ)に遇ひて」
客死しました。鬼病は疫病。天然痘と
みられます。
大陸との交流の盛んな大宰府で感染したようです。挽歌が9首。その一つ。

《岩田野に宿り(永眠)する君 家人の いづらと吾れを問はば いかに言はむ》

さらに帰路には大使(団長)の阿倍継麻呂(あべのつぎまろ)が対馬で感染死しました。

《玉敷ける 清き渚を 潮満てば 飽かず我れ行く 帰るさに見む》

往路の対馬で継麻呂は、帰りには美しいこの景色を心ゆくまで眺めたいと詠んでいました。
戻ってきたその地で継麻呂は果てたのです。当時、新羅との仲は微妙で、継麻呂一行は彼の
地で、使節団として正当に遇されませんでした。継麻呂はさぞ無念だったことでしょう。
100人の団員のうち半数以下しか戻れなかったという資料もあります。

一行の渡海前後の735年から737年にかけ、国内では2回にわたって天然痘が大流行しま
した。総人口の3割、約150万人が犠牲になったと推計する人もいるほどの猛威でした。

当時、国政を担っていた藤原武智麻呂ら藤原四兄弟も全員、感染して死去。政治、経済、
宗教に甚大な影響を与えました。

冒頭に書いたのは、疫病対策と疫病からの社会復興策です。そういえば、日本史で
墾田永年私財法」などと習いましたね。たしか。帰宅後、年表などを見直しました。

天然痘は飛鳥時代にも大流行しています。しばしば襲って来て親しい人をさらっていく
疫病は、昔の人々にとって恐ろしい事この上なく、まさに鬼の仕業と映ったことでしょう。

 厄払いのための鬼やらい、門口に鰯の頭と柊の葉、夏祭、茅の輪くぐり、隅田川の花火
などの行事が、形だけは今に伝わっています。

特効薬もワクチンも未だ無い新型コロナにさらされている私たちは、こうした行事に込め
られた昔の人たちの思いを「迷信」と笑うわけにはいきません。

◆堀尾さんの万葉講座は17年から東京の全国教育文化会館で続いています。「万葉集」には
4500首が収録されていますが、染織や服飾、色彩に関する歌が半数近くにのぼります。

古来、霊が宿ると考えられていた衣服を通じ、万葉びとの生活と文化を知り、日々の哀歓に
触れようという講座で、染や織の現場を数多く取材している堀尾さんの話は迫力があります。

 今年は第4シリーズ。同期生の聴講の常連は7人で、今回は柴田貴美子さん、相馬一さん、
松尾淑子さんと、マスク姿で聴いてきました。次回は9月6日。

         
講義風景 
 
 
                                                    
 2019/11/08掲載
この情報は、10月18日にメールで頂いた情報を一部触って、HPを通して、紹介しています。(HP管理人)
  皆様 お変わりありませんか?

先週は台風が大変でしたね。被害はありませんでしたか?

こちらでもテレビで被害の様子が放映され、心痛めています。

お見舞い申し上げます。

  パリに来て早や1ヶ月半が経ちました。1969年初めて留学生としてきて以来なんと50年!

いまや高齢者(!)2人、助け合って毎日よく歩きよく食べ元気にしています。

時々来る30年来所有のわが家はセーヌ河左岸のカルチエラタンですが、

先日は右岸のデパートに1人で買い物に出かけたらセーヌ河畔でウキウキする音楽が 、、

写真送ります。

わが家(18世紀の建物の3階)で毎朝パッカパッカ音がし窓を開けると警備隊のお馬たちが、

2頭だったり6頭だったり、車の中をお利口さんに歩いています。窓からの写真も送ります。

ここから大通りを眺めていると面白くて時間の経つのを忘れます。この3月退職以来、市民大学、

講演等あまりに慌ただしかったので、ようやくフリーになった実感を味わっています。

 ここは美術館や建物はほんとに立派で歴史の重みの中で暮らす実感があるけど、

お店は時間が来ると目の前で締めるし、相変わらず時間にはルーズだし、

人はおおかた呑気で昼間からカフェにデンと座り込み延々とおしゃべり、

フリーダがパリに来て、あきれて怒ったのもよくわかる気がします。 

  でもパリは懐深い街、鷹揚でウイットに溢れているように思います。

日本ではあまり見かけなくなった小さな本屋さんが昔のままに多いのにも驚きます。

美味しいパン屋はもちろんのこと、肉屋、魚屋、野菜果物、チーズ屋など。

お店で日本のひと昔前のような人情ある会話が飛び交うのも懐かしい…

また街を歩いて感じるのは、日常の中に音楽がいっぱいなこと。

ご存知のように今もメトロの構内に車内に、街路の端に辻音楽師が。

あちこちの教会ではだいたい夕方8時から、これは本格的な演奏者が

ピアノ、ヴァイオリン、管弦楽だったり、音響がいいから素晴らしいです。

  サンジェルマンデプレ のドラクロア美術館の中庭では詩の朗読会があり、

毎日曜午前中はバスチーユで哲学カフェ、当日集まった450人の提案の中から

テーマを決め真面目に討論、私は半分も理解できませんが穏やかでいい時間です。

日本でも広がってますがこのカフェが発端とか。

生活の中に芸術、文化がごく自然に溶け込んでいる感じです。

  こんな呑気な日ばかりではないのですが、まあどうやら楽しんでいます。

台風で甚大な被害が出ているときに、こんなタワ言で失礼します。

この辺りの数百年の石造りの建物の中を歩いていると地震が無いことに改めて気づかされます。

  それではまた。季節の変わり目、どうぞお大切に。

年内には戻る予定ですので、またお会い出来る機会を楽しみにしています。

                     堀尾眞紀子  



  セーヌ河河畔、わが家の近くの橋。
後ろは火事で焼けて改修中のノートルダム寺院
    

    サンミシェルで見かけた坊やとパパ














  早朝、わが家の窓から右手を眺めところ
 












  
    ドラクロワのアトリエ(今は美術館)
     の中庭での朗読会


 
  
 建物の奥に進んで行くと、真っ先に鼻が反応した。火事取材で何度も嗅いだことのある
焼け跡の匂いだ。目の前に現れたのは、何本もの黒焦げの丸柱。一抱えもあり、中央部が
やや膨らむ古代建築独特の形をしている。表面は炭化して魚の鱗状。柱の間の壁は、薄汚れ
てしまっている。惨状に文字通り息を呑む。不謹慎と知りつつ、「世界で最も貴重な消し炭だ」
と呟いてしまった。
 
 “凍結保存” 奈良・斑鳩の法隆寺境内の奥まった場所にある収蔵庫。そこに、1949
(昭和24年)の火災に遭った金堂初層(1階)の内陣、外陣(げじん)部分の木組みと、
7世紀の飛鳥時代の美を伝える、世界的傑作の壁画が描かれた壁12面がそっくり保存されていた。

焼けた柱や梁、壁面は樹脂などで固めたうえ、鉄骨を支えに、元通りの配置で組み立てられていた。
映画のセットを思わせる。火災当日のまま時が止まり、いわば“凍結”保存された形だ。
焼失したわけではないので、「焼損」と称している。
 




収蔵庫内に組み立てられた 


本尊の顔に穴が開いた 
 
   金堂の焼け跡 阿弥陀浄土図  焼ける前の阿弥陀浄土図 

原則非公開なので、一種の「秘仏」状態だが、私が最初に訪れたのは94年(平成6年)。
この年、全国から募集、20日間、計1万人に限って公開された。5年後には「法隆寺夏期大学」の
受講生として再訪した。

土壁は高熱にさらされて瓦状に焼き締められていた。仏教絵画の逸品といわれる壁画は、
ほとんど色を失い、白黒フィルムのネガのように変わり果てていた。縦3m、横2.6mの大壁は
ひび割れたり、一部が欠けたりしている。

中でも、無残なのは最高傑作とされる阿弥陀浄土図だった。本尊の顔は無く、
粘土で埋められていた。壁裏からの消火作業によって、放水の圧力で顔の部分に穴が開いて
しまったという。向かって右に侍る観音菩薩の顔は、金堂壁画の象徴として10円切手にも
なっているが、図版で見慣れた美しく端正な顔は、煤けて見る影もない。思わず合掌する人、
目頭を押さえる拝観者もいた。

また見られる! 今年1月、心躍るニュースが流れた。焼損壁画と部材を一般公開する
方針が固まったという。各分野の専門家による「金堂壁画保存活用委員会」が、公開しても
焼損壁画に大きなダメージは与えない、収蔵庫の耐震も問題ないとの診断を下した結果だ。
時期は未定だが、法隆寺は2021年に聖徳太子没後1400年を迎えるので、その年に収蔵庫で
公開されそうだ。火事から72年後のことになる。

それに先立ち、来春(20年3月14日から5月10日まで)、上野の東京国立博物館で特別展
「法隆寺金堂壁画」が開かれる予定。焼損前に数回行われた模写と、実物大に撮影した写真、
さらに金堂ゆかりの仏像などを展示する。
 

金堂炎上 出火は1949126日早朝だった。情報が混乱、早い段階では、「法隆寺全焼」
との号外も出され、「世界最古の木造建築が全滅!」と人々にショックを与えた。しかし、
実際に燃えたのは金堂。それも、不幸中の幸いというか、米軍の空襲を避けるため、上層と、
初層の外周の裳階(もこし)部分などは解体されて疎開していた。アルカイックスマイル
(古式の笑い)で知られる釈迦三尊像などの諸仏も大講堂に移されていて難を免れた。

 いま、金堂は焼けた初層内部に新材を補って再組立てされ、何事もなかったように建っ
ている(国宝)。

 壁画のごく一部も外されていて無事だったが、大壁・小壁計12壁の壁画は蒸し焼き状態に
なってしまった。

インド・アジャンタ石窟や中国・敦煌の莫高窟(ばっこうくつ)の流れをくむといわれる
壁画は、年月による傷みが激しかったため、現状を記録しておこうと、191617年に写真撮影、
また1940年からは、当代一流の画家による模写作業が始まっていた(戦時中一時中断)
 

保存模写があだ 火事の原因は確定していないが、電気座布団の漏電ではないかと
いわれている。寒中、絵筆をとる画家を暖めようと、文部省が用意したものだった。
保存のための模写が、逆に壁画の寿命を縮めるという皮肉な結果を生んでしまった。

新聞には焼け跡で壁画に合掌する佐伯定胤貫主の写真が大きく載った。この写真を見ると、
壁画がただの古い絵画でなく、信仰の対象でもあることを改めて思い起こさせる。
10歳で出家、法隆寺と共に生き、当時83歳だった佐伯貫主。まだくすぶる堂内に飛び込もう
とするのを、弟子が羽交い絞めにして止めたとの逸話も残る。2日後には辞任を表明した。

 
焼けた壁画に合掌する佐伯定胤貫主   画像が比較的よく残った釈迦浄土図
 
    焼ける前の観音菩薩
  (
阿弥陀浄土図の向かって右側の仏像)
 観音菩薩の10円切手。 新旧2バージョン

この火事は社会に衝撃を与え、翌年、文化財保護法が成立、1955年からは出火の
1月26日が文化財防火デーとなった。金堂壁画の大きな犠牲の上に、文化財保護の
態勢が整ったことになる。 

本物の迫力 いま、金堂の壁には、安田靱彦、前田青邨ら高名な画家が、精密な
複製写真に彩色した再現壁画が掛けられている。

焼損壁画は、ほとんど瓦礫に近い状態だが、それでも、オリジナルの迫力は
まるで違う。圧倒される思いだった。オーラを感じるという人もいた。目を凝らすと、
のびやかな描線が見える。脚立の上で、絵筆を走らせる飛鳥時代の第一級の画工たちの姿
を想像する。

文化財としての価値は十分残っているとして、国が焼けた状態のまま重要文化財に
指定したのも、当然だと思う。

飛鳥時代に壁画がどうやって描かれたか、画法はどこから伝わったか、画工は何人ぐらい
携わったか、どんな顔料(絵の具)で彩色されたか、など現物が残っていればこそ解明
できることは多い。釈迦浄土図などは、図像が比較的よく残っている。

例えば、下絵を壁に写す転写法。壁画は下絵を壁に写して描かれるが、同じ下絵を
使い回しして、一部を変えたり、反転させて左右逆の像にしていることが分かっている。

下絵を壁に写す方法としては、下絵の裏に炭粉を塗り、カーボンコピーの要領で写す方法、
下絵の輪郭線を鉄筆様のものでなぞったり、点々と突いたりして、壁に線や点を刻む方法
などが考えられている。今後、3次元レーザースキャンなどで、壁表面の微細な凹凸を
立体的につかめば、はっきりさせられるという。写真版や複写の絵からでは分からない。

顔料の種類も完全には分かっていない。多くの顔料が千度近い熱で変色してしまった中で、
赤色の弁柄(べんがら)は化学変化を起こしていない。幸いなことに輪郭線は弁柄で
書き起こされていたため、残ることになった。

そのほか、三層構造の壁の材料、木材の加工法など、研究材料に事欠かない。 

もう一つの金堂 金堂火災は日本の文化財保護の遅れとして世界から糾弾されたが、
文化財当局と法隆寺は、瓦礫として捨て去ることなく、今に伝える努力をした。
在りし日の姿のまま眠りから覚める日も近い。

中学校の修学旅行以来、奈良にとりつかれている私は、“知られざる、もう一つの金堂”の
拝観を心待ちしている。

【収蔵庫内は写真撮影が許されないため、特別公開記念の図録「法隆寺金堂壁画」
(朝日新聞社)など、同社刊の資料から複写しました】
            

           堀尾眞紀子さんの 『万葉集講座』が、 全4回開催

     ・2019年  7月6日、9月7日、来年の1月18日、2月15日
             いずれも土曜日14:00~16:00開催です。

     ・文化学園大学を、退職された後も精力的に、活動しておられます。 
     ・興味ある方、下記添付を参照して、婦人民主クラブへ直接申し込みください。
              メキシコの女性画家
    『フリーダ・カーロの芸術と生涯』
         堀尾眞紀子氏講演会    
フリーダ・カーロは幼いときの小児麻痺に加え、
18才のときバス事故で瀕死 の重傷を負います。
その後、メキシコの国民的画家ディエゴ・リベラの3人目 の妻となったフリーダは、
生涯に30数回に及ぶ手術、夫の不実など、そのす べての痛みを
絵画に昇華させていきます。
その数多い自画像は、自分の傷だら けの身体と心の葛藤をさらけだして、
見る者をたじろがせずにいないでしょう。
メキシコ革命下、トロツキー、イサム・ノグチら時の文化人を魅了し続けた
華麗なる遍歴と、苛まれる心身の痛み、それはそのまま16世紀の
スペイン侵攻以来の、メキシコの歴史の光と影を象徴するものでもありましょう。

 
◆講師 堀尾眞紀子氏プロフィール                      
文化学園大学名誉教授
東京藝術大学美術学部、同大学院美術研究科修了。
フランス国立パリ美術工芸大学 留学。主な研究として造形とその文化背景。
また国内外の造形作家、特に女性 画家の研究。メキシコの女性画家フリーダ・カーロを
日本に初めて紹介したこ とでも知られる。
著書に『画家たちの原風景』(第35回日本エッセイストクラ ブ賞受賞、NHK出版)、
『フリーダ・カーロ』(中央公論社)、『絵筆は語 る』(清流出版)、
『フリーダ・カーロとディエゴ・リベラ』(ランダムハウ ス講談社)
『女性画家10の叫び』(岩波書店)など多数。
日本エッセイストク ラブ会員、日本ペンクラブ会員ほか。
NHK教育テレビ『日曜美術館』第3代 司会者

● 開催日=2019年5 19(日)14:00~
● 会場 =ポンセホール (住所は下記 御宿駅より徒歩4分)(東京ー御宿 列車 約2時間)
● 会費 =1,000円 定員45名で締め切り
(黒沼ユリ子のヴァイオリンの家・日本メキシコ友好の家3階)
    下記をの写真をクリックして、会場情報を得る
             

http://chihoyorozu.hatenablog.com/entry/2016/10/01/100457

● 要予約=土・日曜日、祝日(11:00~16:00)のみ受付
●会場住所 〒299-5106 千葉県夷隅郡御宿町須賀478-2 
TEL&FAX 0470-62-5565
携帯: 080-1052-7096
Email : casa.violin930@gmail.com

*今回は、参加者のとりまとめは行いませんので、参加者の責任で、申し込みから行ってください。
        

      「堀尾眞紀子さんの講演を受講して」 松尾淑子 Aクラス 平成31227

 堀尾教授の最終講義ともいうべき「万葉びとの染織文化――万葉集にみる古代人の知恵と
日々の哀感」と題する講演が、文化学園大学で行われ同期の
15人で参加いたしました。
1時間半では語りつくせない堀尾さんの膨大なご研究のエッセンスの一滴を伺うことが
できました。その余韻は、帰宅後のいまも胸に響いています。

 ご専門の染織と万葉集との結びつきは、第一に、設立から携われ現在まで続いている
「奈良県立万葉文化館」のお仕事でした。
4516首の膨大な万葉の歌を読み解かれ、
その中から服飾、染織、色彩にまつわる
1948首を選んで分類されました。第二に、
5年間に渡り、染織に携わる伝統工芸の人たちを訪ねて全国を巡られ、雑誌「ミセス」
にその丹念な仕事ぶりを連載されたことです。万葉の昔と全く同じやり方をそのまま
受け継がれていることに気づかれたのだそうです。


 万葉集には自然への祈りが込められていること、そして当時の人々の生活文化を知る
手がかりを知る資料でもあることに着眼されたのです。


 植物(庶民向けの(こうぞ)、藤、葛、三椏(みつまた) 、上流階級向けの麻)を採取して繊維とし干
して糸により布を織り、晒し、植物染料で染めて仕上げるまでは大変な作業でした。当時の人々は、
日常の喜怒哀楽をその作業に託し飾らない言葉で歌に表現しました。

「多摩川に晒す手作(たつくり)さらさらに 何ぞこの子の ここだかなしき」

「庭に立つ 麻手刈り干し 布晒す 東女(あずまおんな)をわすれたまふな

「君がため 手力疲れ織りたる衣ぞ 春さらば いかなる色に摺りてばよけむ」


 堀尾さんの流麗な語り口での歌の紹介を耳にすると、当時の人たちの哀感がしみじみと
伝わってきて、「ああ、そういう感情って今も同じだな」と共感できます。


 このような万葉集への理解の仕方を学ばせていただき、新しい世界が広がっていくような
新鮮な思いにとらわれました。堀尾さん、ありがとうございました。

                                      2019227日            
      『堀尾真紀子氏の講演会後のひとこと』    平湯克子(旧姓:岩間)Bクラス 

昨年6月、武蔵野市民会館で「女性画像と自画像」と題したお話を聞いて味をしめ、今回も是非!と
参加させていただきました。講演会に出ると途中で睡眠時間をとることが多い私ですが、
堀尾さんの講演会ではその間はありません。それもあの高校時代に悩まされた古典ゆえ、
万葉集も無理! と思っていましたが、自然相手に衣食住のすべてを試行錯誤して工夫していった
当時の人々の姿が浮かび、尊敬の念が起きました。とともに男女の恋焦がれる、あるいは飽きる想い
を上品ないでたちでさらりと解説してくださり、クスっと笑いながら人間の本質をみる思いをしました。

なんだか万葉集が気になって、「うっかり」紐解いてみようかなと思ったり、堀尾さんが精魂注いで
設立に貢献されたという奈良の万葉文化館に行ってみようか、と思ってしまったのでした。

講演会後の同級生との飲み会(食事)に初参加しましたが「はじめまして」状態の私をすっと
受入れていただき、とても安心しました。ありがとうございました。 


富士高同期の皆様


2月27日は、皆様それぞれにお忙しい中を公開講座にお越しいただき、
ほんとうにありがとうございました!

富士高の皆様にいらしていただけたのは、格別の感慨、とってもうれしかったです。
しかもあんなに大勢とは思いも寄らず、内藤さんのお言葉通り“花束”のよう、
どんな豪華な花束より感激で、うれしく、うれしく、言葉も見つかりませんでした。

みんなで一緒の記念写真撮りたかったなあと、あとで気が付いて…
あんな慌ただしい中、写真どころかきちんとお一人お一人にご挨拶もできず失礼いたしました。
こんど是非ゆっくりおしゃべりしたく楽しみにしています。

それにしても90分、硬い椅子でお疲れになったのではと恐縮、
マイクの声は、画面は鮮明だったか、内容は、と気になることばかりですが、
拙い話を最後までお聞きいただきほんとうに感謝!です。

40数年の職場もとうとう今月末まで、きちんと仕事し終えて卒業したいと思っています。
4月からどうなりますことやら、皆さん、どうぞ仲間に入れて遊んでくださいませ。
ほんとうにありがとうございました。

                       堀尾 眞紀子

 
堀尾さま

 ご丁寧なメールをありがとうございました。

本当に長い間のお仕事ご立派に勤め上げられましたこと
素晴らしく、同期生としてとても誇らしく思っております。

沢山の分野でのご活躍でしたが、私が時々聴講させていただきました
「万葉集」にみる色と染めの講座もお教えいただいた事、うなづけること沢山でしたし、
大人になったからこそ理解できるくすぐったいような、お話など、とても楽しくその時間を過ごせました。

しばらくはまだまだご多用かと思いますが、お時間できましたら、是非、ご一緒に遊びましょう。
どうかお疲れの出ませぬようにお過ごしくださいませ。又お目にかかるのを楽しみにしております。
 
                                       阪本 都紀子


 ①特別講座中の堀尾さん     ② 浦木さんと歓談    ③講義後 多くの聴講者に囲まれて
(参加者500人の大盛況でした)          写真①は、堀尾さん、②、③は相馬君より提供 

★当日の高校の同級生の参加者は15名、気が付かなかった方がいたらごめんなさい。

旧姓で、
荒井A,大島A,熊倉A,岩間B,高田B,都筑B,沼生C,山内C,渡邊C,内藤D,堀野D,建部E,前谷E,相馬E,小室F,広瀬F (敬称略) 

       ★堀尾さんの現役最後の講演です 
     

お変わりございませんか。

40数年にわたった大学生活もあと1ヶ月余となりました。

ご縁のあった皆様に感謝の思い募り、11日を愛おしむ日々です。 

大学がこのような講座を企画してくれました。

もしお時間ありましたらご来校いただければうれしく、

ご案内させていただきます。

寒さ厳しい折、どうぞご自愛くださいますよう 

堀尾眞紀子

平成30年度 文化学園大学 特別公開講座
「万葉びとの染織文化」

日 時  2019年2月27日(水) 16:30~18:00  (16:00~受付開始)
会 場  文化学園大学 A館20階 A201 アクセス
参加費  無料・申込不要
お問合せ 文化学園大学 事務局 TEL:03-3299-2517
【講師】
文化学園大学 教授・造形学部長

堀尾 眞紀子  
東京芸術大学美術学部卒業、同大学院美術研究科修了。フランス国立美術工芸大学留学。主な研究として、染織文化および色の文化背景を中心に生活の中の造形とその社会背景の研究。また、国内外の造形作家、特に女性画家の研究。中でもメキシコを代表する画家フリーダ・カーロを、日本で初めて紹介、数多くの著書を出版している。
                      下記をクリックして、学校からの同様の詳細な案内を見てください。

https://bwu.bunka.ac.jp/info/2019/02/6024


(案内が綺麗に掲示できません、上記の学校のHPで確認ください。
               2018/11/19

「お寺の屋根裏に潜り込んでみない?」と、誘われた。屋根裏といえば愛媛の脱走受刑者が潜んでいた場所。
古くは天下の大泥棒・石川五右衛門の隠れていた場所……。「で、どこ。面白そう」 なんと、奈良市の元興寺(がんごうじ)の国宝・禅室(僧房)だという。趣味で長年、古社寺建築を見て歩いている身には千載一遇のチャンス。一も二もなく、「屋根裏探検ツアー」に参加を決めた。

 最古の寺 日本史の授業で、飛鳥時代、異国の宗教である仏教を受け入れるかどうかで蘇我氏と物部氏が争った、と習ったのを思い出す。その蘇我の馬子が6世紀末、飛鳥の地に我が国初の本格的寺院として建てたのが法興寺(飛鳥寺)だ。平城遷都8年後の718年に平城京に移り、元興寺と名を改めた。かつては、興福寺や東大寺と肩を並べる大寺だった。今の寺域は狭く、往時の面影はないが、「古都奈良の文化財」の一つとして世界文化遺産に登録されている。鎌倉時代に改築された禅室と極楽堂(本堂)、それに五重小塔などの国宝を持つ。

 古代の音 探検ツアーは移設1300年記念の催し。11月初めのツアーの物好きな仲間は各地からの33人。ヘルメットと懐中電灯を渡され、「足を踏み外して天井を破ったら新聞ダネですよ」とおどされる。禅室内のはずれに特設された階段からいよいよ国宝の天井裏へ。幅1メートルほどの足場が建物の端から端まで設けられている。腰を屈めて梁を潜らなければならないが、ヘルメット分、頭が「伸びている」感覚がつかめず、ついコツンコツンと梁(はり)にぶつかってしまう。「古代の音だ!」と冗談が飛ぶ。

 年輪は語る 懐中電灯の光に浮かび上がるのは縦、横、斜めの部材。木と木がうまく組み合わされて力強く建物を支えている様子がよく分かる。人目に触れるわけではないので、皮をはいだだけの丸太、粗削りの梁、太さも長さもまちまちの垂木(たるき)……、大雑把、いや、実にダイナミックだ。

要所要所に張り紙があった。部材の名称と、いつ頃の古材か説明してある。最も古いのは飛鳥時代のもの。年輪年代法により西暦568年+αごろに伐採された木材と特定されている。年輪年代法は樹木の年輪の幅が気候変動の影響で年ごとに微妙に異なるのを利用した判定方法。多くのデータをもとにした年輪幅変動のパターンが出来ており、それと試料の年輪を照合して、いつ伐採した木材か年単位で割り出すことが出来る。

再利用 飛鳥時代伐採の木材があるということは、禅室の一部が飛鳥から移築されたことの有力な証拠になるという。製材に、鋸(のこ)や台鉋(だいがんな)が登場するのは中世のこと。古代は、鑿(のみ)や楔(くさび)を使い、丸太を打ち割って柱や板を作った。電動工具による今の同一規格の板や柱のようには到底いかない。割って作るので微妙に寸法が違ってしまう。伐採、製材には大変な手間と時間がかかるため、まだ使える部材はとことん再利用される。無用な穴が開いているのは、ほかの部位からの転用材だ。表面がすり減り「痩せて」しまった部材は、長年風雨にさらされた外装材を内部に転用したものとみられる。修理で外したものの、削ったりすれば再利用できそうな古材が屋根裏にはストックされていた。

小修理や、時には建物を完全にばらす解体修理を施して、足りない部分をその時代の木材で新たに補う。こうして、建物の寿命を延ばし、今に伝えてきた。白鳳、奈良、平安中、後期、鎌倉時代、江戸時代や昭和の木材も使われている。

職人の息吹 建物を支え合う各時代の部材に囲まれて、1300+α年の歴史のただ中にいる不思議な感覚。木材を割る時の鑿跡や、表面を削った釿(ちょうな)の跡、土壁に落書きされた鏝絵(こてえ)などからは、当時の作業音や職人たちの息遣いまで聞こえてくるようだった。

終えて外へ出ると初冬の日が眩しい。屋根では飛鳥の瓦も現役で、風雨から禅堂を守っている。内外を共に細かく観察することが出来たが、何よりも、自然素材の木や土の強靭さに驚かされた。解体修理で瓦を取り外すと、重さから解放された千年以上の部材が跳ね上がることもあるという。弾力を失わないのだ。さらに、精密加工する工具など無く、不揃いのままの部材や瓦をうまく組み合わせて、きちんと収める古の大工や瓦職人の腕前に、驚嘆させられた探検だった。

アフリカ材 折から、五重塔で知られる興福寺では、平家の焼き討ちや落雷、失火で7回焼失、江戸時代の享保2年(1717年)から礎石だけになっていた中金堂の再建が300年ぶりに成り公開が始まっていた。太く長い外柱(そとばしら)用の木材は国内では入手できず、遠くカナダと中部アフリカのカメルーンから調達したという。コンクリートにしなかったのは英断だが、どのくらい持つのか。

焼失建物の再建や古社寺の大修理、名古屋城の木造再建計画などもあるが、今後、果たして良材を手に入れることが出来るのだろうか。     完

・元興寺の国宝建物。左が禅室。飛鳥時代の屋根瓦も活躍している
屋根裏探検には若い女性も  
 
斗栱(ときょう)などの組み物

懐中電灯に浮かび上がる生々しい釿(ちょうな)の削り跡
 ・垂木(たるき)は丸、四角が混在、長さもまちまち
  
  元興寺(極楽坊)(上の写真をクリックしてみる)
ウィキペディア情報を見る

 2018/5/23  
Aクラス堀尾眞紀子さんの、二つの講座の開催案内です。
①人気を博した、昨年度の講座に続き、今年は『色と染めそして暮らし』の講座です。
②6月16日(土)には、彼女の女性画家の研究エリアの『女性画家の自画像』と題した講座です。
 本日時点、まだ空きはあるそうですので、武蔵境方面の方、早めに申し込みください。
 




                       
★多趣味で、忙しい浦木さんの草木染、いつもの場所で開催です。
JR市ヶ谷駅から徒歩5分くらいの『一口坂ギャラリー』をどうぞ訪ねてください。

          本人は期間中(5/28~6/2)、ほとんど現場に居るそうです。


◆訪問された方で、感想文・写真を送付頂ければ、掲載し訪問記が、完成します。◆

一口坂ギャラリーの判り易い地図は、上の地図の部分をクリックすると表示されます。
 
 
                                  2017/6/20
                               阪本都紀子A  相馬一 E  
 6月17日(土)午後 神田・学士会館
一般社団法人 日本淘道会 創立記念 第6回 東西合同研修会
において 高橋阿津美さん(E)の特別講演 「平塚らいてうの祖母と淘宮」がありました。
講師の高等学校友人として阪本A、相馬E 2人が聴きに行きました。

◆高橋阿津美さんの講演会をお聴きして。

「日本淘道会」の創立記念研修会の中で、講演をなさるという一年の時の同級生阿津美さん、聴講に伺いました。入り口でにこやかに緊張感もなく出迎えてくださって、落ち着いた雰囲気の会場に入り、間もなく講演会が始まりました。              
表題は「平塚らいてうの祖母と淘宮」となっており、初めて耳にする淘道、淘宮とはいかがなものかと、お聞きしてますと、どうやら、講演者の阿津美さんも会員ではなく、聴衆の会員の方々にとても気を遣われてお話を進めておられるのが良く、わかり、
「頑張って
!」と心の中で応援してしまいました。               

前回の「広岡浅子さん」今回の「平塚らいてうさん」等、母校の先輩方の生き方をあらゆる方面から研究されて、著書にまとめておられるお姿は本当に素晴らしく、心から尊敬いたしております。これからも、ご健康に留意されて益々ご活躍されます事お祈りしております。 
ありがとうございました。
阪本都紀子  

 ◆講演は、幼いらいてうに無限の愛を注いでくれた祖母八重の人物像と祖母が熱中した淘宮術などについての考察が話され、らいてうの宗教性、精神性の根底には、祖母八重との生活の中で、幼い時に培われたものが多くあるのは間違いないだろうと結ばれました。 
小生、人文科学系の研究というものに生で触れたのは、今回が初めてです。
良い経験をさせて頂き有難うご座いました。
今回のお話は、らいてうの「元始、女性は太陽だった」という言葉の背景にもなっているなと感じました。  

講演前には、ご主人、ご子息のご妻女を紹介頂きご挨拶できましたこと有難うございました。
また、小生退場の際、阿津美先生と握手をしましたが、先生の握力の強さが印象に残りました
。  相馬 一

 
 
 
 
 
                               2017/6/01
                            浦木E、柴田C、松尾A,内藤D 
 5月28日(日)午後、堀尾眞紀子さんの「万葉集」にみる染めの講演がありました。
聴きに行ったのは、浦木、松尾、柴田、内藤の4人。とても面白く、2、3回目はさらに多くの同期生に聞いていただきたく、4人それぞれの感想を紹介します――

3回シリーズで、今回は繊維素材―糸や布の話でした。 2,3回と話は続いていくようで、次回は色や染色の話です。堀尾さんは奈良の万葉文化館建設に関わり、万葉集4521首から絵になる200首を選ぶ仕事、全国の手仕事布を訪ねた織り紀行など、豊富な経験と知識に裏打ちされた話は、流暢で面白みもあり、分かり易くてどんどん惹きこまれました。刈る、績む、紡ぐ、織る、晒す、と分けて選んだ和歌を解釈し、それにまつわる話。万葉の世界がすっと身近になった思いでした。終わって堀尾さんに挨拶しましたが、高校の友達!と喜んでくださいました。 次回も今から楽しみです。
               (浦木祀子)

「万葉集」は宝箱のように思え、その上、布にまつわるお話。講座に飛びつきました。
約4500首の和歌から200首を選び、画家に絵を描いてもらった万葉文化館。一度訪ねてみたくなりました。
素材になる植物と和歌。その素材を布にする過程。布さらしの現場に何回も出かけ、取材をする。万葉の時代から現在に脈脈つながれて行く技と受け継いでいる人々。堀尾さんのなさってることには頭の下がる思いでした。机上の学問だけでなく、実際に経験に裏打ちされたお話で聴いていて時間の経つのも忘れるほどでした。
古典文学のアプローチの仕方も様々あると気付かされました。ただ字面と筋だけ読むのではなく、もっと意味のある読み方を模索しようと思いました。
今後の二回が楽しみです。    (柴田貴美子)

堀尾さんの、気の遠くなるほど大変な作業を伴うご研究の一端を伺いました。
「つむぐ指に唾をつけて糸を撚る。若いときより6070代の唾の方が柔らかくて良質の糸になる…」という大昔のやり方を受け継いで現代の紬の糸をつむぐ人の話。採取から布にするまでの過程を、万葉の歌にからませて、当時の人たちの哀感と共にご紹介くださいました。
  晒す歌「多摩川に 晒す手作り さらさらに 何ぞこの子の ここだかなしき」

次回の色と染の歌「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」
「紫草の にほめる妹を 憎くあらば 人妻ゆへに われ恋めやも」
熱い語りに、すっかり酔ってしまった2時間でした。
                (松尾淑子)

◆古代の色への興味と、万葉の人々が、「もの」(今回の場合は布)にこと寄せて歌を詠むやり方を学びたくて駆け付けました。万葉集には布の製法や色、染めに関する歌が驚くほどたくさんあることを、改めて知りました。自給自足のような生活だったので、麻の栽培方法や蚕の飼い方、織りや染めについて、多くの人が知識を持っていたようです。《麻衣着ればなつかし紀伊国の妹背の山に種まく我妹》という歌からも分かります。
文法と語彙解釈に終始して入り口から躓いた古典の勉強。堀尾さんのようなアプローチの仕方を、もっと早く知っていれば、との思いが湧きました。幅広い階層の人たちが生々しく哀歓を詠った「万葉集」。俳句・短歌改革者の正岡子規が、上層階級の歌を集めた「古今集」を「くだらぬ集」と切り捨てる一方、「万葉集」を高く買った理由もはっきりしました。
「当時の人は、自然の恵みをもとに暮らしを立てていた。伝統的な織物の糸の紡ぎ方や布の織り方には、今も万葉のころのやり方が伝わっている」「養蚕と漆芸は危機的状況」という話が印象的でした。
                (内藤好之)   

            
                               2016/1/30 徳永興亜F 他
                                        写真 by徳山
 演題 『実業家 広岡浅子 ~日本女子大学校の援助者~』 
 日時:1月25日       会場:横浜マリンタワー3階  マリンタワーホール 

◎高橋阿津美(Eクラス)さんは日本女子大学出身の有志で1978年に発足した、近代女性文化研究会
に属し今まで、・新劇俳優:花柳はるみ、・実業家:広岡浅子、・新生日本女子大学の成立と『家庭週報』
などの論文を発表しています。
その実績から、今回、現在のNHKあさドラ主人公) 実業家 広岡浅子(日本女子大の援助者)の講演会が
開催され  講師を依頼されたのだと思います。
 今回は、同大学のOGの集まりである桜楓会横浜支部連絡会主催の講演会に、講師の高校時代の同級生
ということで聴講させていただきました。写真にはいませんが、同じ卒業生の平湯(旧姓岩間B)克子さんも
お友達と参加してくれました。写真にいる同級生7人は、講演の後、マリンタワーの展望台に上り横浜の
風景を 楽しんだ後、中華街にて ランチと団欒の時を過ごし散会しました。

                      皆さんの感想
 阿津美さま
浅子さんの興味深いお話を楽しく伺いました。
長年の研究がドラマにまでなって多くの人から注目されるようになって
良かったですね。
私もこれからの朝ドラの見方にもおもしろさが増すことと思います。

同窓の大先輩方を前にして緊張もなさったことと思いますが、堂々といろいろな事実をつなぎ合わせた
お話は研究あって
のことと感じました。これからもお続けになって社会に発信なさってください。
陰ながら応援しています。
                         池田京子A

 阿津美さん、今日はお疲れさまでした。準備など大変でしたでしょう?
始終笑顔で、貴女らしさが出ていて楽しく聴けました。 有難うございました。
大勢の前で大きな経験ですね?感心してしまいました。
       桑田治子F

 高橋さん、今日はお疲れさまでした。 まだまだ話し足りなかったでしょうね。
いっぱい調べて、勉強して、頭に一杯あることがすらすら出てくることに感嘆していました。
細かい数字、人の名前などなど。 私が近頃もっとも不得意、というか出来ないことです。
講演会と中華街でのランチ、いい組み合わせでしたね。 マリンタワーからの眺めも最高でした!
                                        浦木祀子E

 高橋さん、今日はお疲れ様でした!
楽しかったですよ~!熱意が痛いほど伝わりました。
それにしても、勉強なさっていらっしゃるのですね~!頭が下がります。
 徳山清子B


講演開始前の会場(マリンタワーホール)風景


講師:高橋阿津美さん(E)

参加した、同級生
桑田F、池田A、徳山B、浦木E、松永F、小谷野A、徳永F
 
高橋さん執筆の1ページ目

★日本女子大学校の
広岡浅子特集は
下記をクリックして見てください。



◆広岡浅子展が3月4日まで、
日本女子大学校・
成瀬記念館にて開催中です。

マリーンタワー展望台から見た富士山

 横浜マリーンタワー

                                                                                     2014/10/03
                     「青木勤君の水彩画展鑑賞報告」相馬 一(Eクラス)

先ほど青木君の水彩画個展から帰宅しました。
絵はとんとの小生ですが、青木君の個性的な水彩画は、
素晴らしいの一言です。「ホッとする一時」もさることながら、同時にエナジーを貰いますね。
青木君とは富士高で同じクラスはなかったですが、
彼も
「相馬です」に「あ、有難う」とすぐに認知してくれました。
家内が水彩画を習い始めて3年位になりますが、一緒に会場に伺いましたところ、
彼女が青木君に色々質問する中で
テクニカルなことが出て来たので、
小生が「それは
企業秘密じゃないのと言ったら「あ、」との反応が。(本気で?)
写真OKでしたので、アリバイ証明に何枚か添付いたします。
                            一平 (相馬君の俳句同好会での俳号)

 
 訪問者・相馬君 と 青木画伯
 
経歴と今回の水彩画展 取材旅行先の地図
 
             作品
 
               作品
 
           作品
 
  素晴らしい絵と仲間からの花に囲まれた画廊風景
  小生も、2日目に作品を鑑賞に行きました。精力的に作成された確かで緻密な技術、爽やかなセンスに満ちた
作品群に圧倒されました。  多くの同級生が顔を出してくれて、ファンが増えたことと思います。
次回は1年後か、もう少ししてからか判りませんが、楽しみですね。 ご活躍をお祈りします。 HP管理人・徳永 

2014/6/29 名越寛子(Fクラス)
                     「フランス地方料理の会 参加報告」            

料理研究家 稲見浩子さん(3年F組)主催の「第10回フランス地方料理の会」
(le 29 Juin 2014)に6月29日に参加させて頂きました。この会は、毎回フランスの
いろいろな地方の料理が紹介されており、今回はブルターニュ地方の
料理とのことで、健康にとてもやさしいメニューでした。

     
そば粉のガレット 
  (卵・ハム・チーズ入り)
 ② ブルターニュ産いちょう  蟹のカクテル(柑橘風味)  ③鯖のヴァプールと海藻のサラダ(シードルヴィネガー
 
 ④ オマールブルトンと帆立貝 <アルモリケーヌ>      ⑤ パリ ブレスト
  (リング型のシュー)
 ⑥オリジナルティーとガレット    ブルトンヌ(焼き菓子)

これにパンとバター(ブルターニュ産)

飲み物は

シードル ヴァル ド ランス ブリュット(リンゴ酒)

ミュスカデ セーヴル エ メーヌ2012年(白ワイン)

ミュスカデ セーヴル エ メーヌ2009年(白ワイン)

食事の前に総料理長より食材の説明・シェフソムリエよりワインの説明が、また食後に
ブルターニュ地方の歴史の説明が稲見さんより細かくなされました。

元気一杯の山下久仁ちゃんを含む富士高同期生4名が、テーブルを囲んで座り話に
花を咲かせた1日でした。と同時に東京ステーションホテルレストラン“ブラン・ルージュ”に
おいて参加者70名にも及ぶ大掛かりな会で、お食事がとてもおいしく
同期生の活躍に元気を頂く会でもありました。

 名越(F)、稲見(F)、山下(B)、津田(D)、木村(D)
2013/12/15
                                  柴田貴美子(Cクラス)

◆小出、下田、松永、吉田、高橋、柴田の6人が
街歩きの会、「
Paseoの会」を始めて3回目。
12
1日(月)は高橋芙久さんの案内で横浜を
散歩しました。


高橋さんの作って下さったコースは
横浜~商業ビル「マークイズ」でランチ~
ランドマーク
69Fの展望台~「赤いくつバス」で
港の見える丘公園へ~「山手十番館」で
ティータイム~イギリス館~エリスマン邸~
ベーリックホール~元町公園~元町~中華街
でした。

横浜駅前そごうデパートの時計下に集合。
日産自動車ビルの中を通って左に
横浜マリノス練習場をみながらみなとみらい地区へ。


パネルになった横浜の歴史写真をたどりながら
横浜美術館の反対側にある新しくできた

「マーク・イズ」でインドカレーのランチ。
それぞれ好みのカレールーを2種類ずつ選んで、
できたての大きな「ナン」をつけて食べました。
マンゴーラッシーとともにおいしく完食して
お腹一杯に。


         クリスマス・ツリーをバックに
      柴田、高橋、下田、小出、松永、吉田さん
それからランドマークに行き、日本最速(750m/分)
のエレベーターに乗って横浜の空の道(273m)を
通ってスカイガーデンへ。360度見渡して
楽しみました。
動く歩道を歩いて桜木町駅へ。
「赤いくつバス」に乗って「赤レンガ倉庫」、

「中華街」を経て「港の見える丘公園」へ。
イギリス館を見てから「山手十番館」で
一休み。
おいしいケーキセットを食べながら
ひとしきりおしゃべり。

その後、「エリスマン邸」や「ベーリックホール」など
クリスマスデコレーションを施した外人邸宅を
見てまわりました。元町公園を経て元町へ。
それから中華街を少し歩いてそれぞれ帰宅しました。


自称「晴れ女」6人組は顔も晴れ晴れ、満足の
横浜散歩をすることができました。(高橋芙久)

                   「エリスマン邸」にて

晴れた一日の横浜散歩は存分におしゃべりあり、
笑いありの一日でした。

ただ残念だったのは、山手の外人邸のクリスマスの
デコレーションが去年より寂しかったことです。
昨年下田さんと見たクリスマスを思い出すとちょっと
がっかりでしたが、早々とクリスマスを楽しみました。

横浜は一年に1、2回は行きますが、こんなに
ダイナミックに歩いたのは初めてでした。
高橋さんの企画の素晴らしさに感激しました。

                     (柴田貴美子)


        ランドマーク・タワーから見た横浜港


2013/11/26  徳永興亜(Fクラス)

去る、10月28日から11月3日まで人口坂ギャラリーで開催された、
『平安の襲の色を染める』というテーマで川崎先生のもとで頑張っている、
35名の皆さんのグループ展に浦木さんの作品を拝見しようと、
富士高の仲間も沢山訪問してくれたそうです。

 襲(かさね)とは、平安貴族の男女の衣服の表地と裏地、
 また衣服を重ねて着た時の色の取り合わせのこと。
 男女とも季節や年齢などで着用する色が定まっていた。

 


上:左の作品の色を出す為の草木の説明

左:色々な試行錯誤の結果、出来あがった
  鮮やかな布の作品群

    吉田さんの右後ろの ストールは
    絹糸を染めて織ったものです。
浦木さんのグループは、
二年に一度の作品展をグループで開催しているそうで、精力的に活躍しているご苦労の話を現場で聞きました。

左:展覧会を訪問した、松永さんと吉田さんに囲まれて、

富士高の皆さんに沢山来ていただいて、一緒に見たりお話しできて楽しい時でした。
私の作品ですが、上の写真のロングベストは絹地に絞りをいれて染めたもの。

2013/7/27  西村周一(Fクラス)

既に大分時間が経過し、6月下旬に息子一家に帯同しての沖縄旅行も昨年の事のように思える。昔は、沖縄には全く興味を示さなかった息子であるが、学生時代にサーフィンに興じ、今でも週末は時間がありさえすれば房総の海に出掛けて行く彼には沖縄は元々十分気を引く存在であったのかもしれない。一粒種の孫娘を連れて遠出するにも支障がなくなってから、徐々に遠隔地へも家族ぐるみで出掛けるようになり、この処3年連続で沖縄(本東北部東シナ海に面した万座ビーチ)への合同旅行が定着し、爺、婆も孫娘(5歳)の相手をしながら時折は”疲れるわい“と愚痴りながら結構楽しんでいる。

今年も出掛けた6月下旬は、首都圏では未だ梅雨期だったが、彼の地では一足早く夏入り。流石に、直射日光には厳しいものがあったが、適度な海風は肌に気持ちがよくハワイ程ではないが、十分快適であった。特に、孫娘に付き合ってプールの水に浸かった後は格別で子供が夢中になるのも宣なりしかなである。

ANAインターコンチネンタル万座ビーチリゾート・ホテルで
扨て、本稿では35年近く前に出張で初めて訪れて以来30年余を置いての
2度の沖縄を体験して今昔の感想を中心に紹介したい。

「沖縄は近くなった!」と感慨を覚えずにいられないのは、沖縄の本土復帰が実現(1972年)して間もなく沖縄での新ビジネス展開を目的として親しい4年先輩が英語の辞書も手に慌ただしく出張の準備をしてた様を今でも昨日のように思い出すからである。当時は本土復帰と言っても、沖縄は外国へ渡航するのと同じ位の手続きを要したらしい。それから10年近く経って自分にも初めて沖縄出張の機会が巡って来た。担当業務の関係で沖縄本島に新設された石油基地を往訪する為であった。

初めて踏んだ沖縄の地では、仕事もそこそこに子供の頃映画で見た「ひめゆりの塔」を始めとして大戦の跡地を訪れたく、同行の人に頼んでrent-a-carした車を運転して貰い本島南部を観て周り、慰霊の碑の前では手を合わせた。最近でも、数冊読んだ大戦末期の沖縄の様子を伝える本から当時島民の味わった地獄の日々を思い起こされ胸が痛む。沖縄では至る処に、「沖縄の歴史」の類の本が並べられてる。戦中・戦後の特集もあれば、縄文・弥生式時代にまで遡るものもあった。此処でも、「沖縄の歴史」問題あり、県民にとって悩みの深い米軍基地の重負担問題と相俟って沖縄のidentityを強く主張する余り「沖縄独立」志向を促す一面もあるのだろうかと今回初めて察しられた。

今日、沖縄本島を訪れると、高速道路が網の目のように張り巡らされ車での移動も非常に楽である。最初に出張で訪れた時の様子からは信じ難い変貌であるが利便性と引き換えに生まれたのは景観の悪化である。沖縄が「観光で生きて行く」上でインフラ整備が齎した負の側面としたら悲しいことである。新興のホテルも海辺にどんどん誕生している。故小渕総理の強い思い入れでサミット開催地として決まったブセナテラスはその代表例だろうが、今回我々の泊まったANAインターコンチネンタル万座ビーチ・リゾートもその一つ。35年近く前、出張で初めて訪れた際に、2泊目の宿としてムーン・ビーチ・ホテル(当時のNo.1)を予約したかったが、生憎満室で、已む無く隣の地区の万座毛のコッテージ形式の宿に投宿して、夕食だけムーンビーチ・ホテルまで出向いた。 格式、雰囲気とも落ち着いていて流石に一流、終戦後占領軍の接収も成程と思わせられたものであった。
今回宿泊した我々のホテルは嘗てのコッテージを取り壊して近代的ホテルに模様替えしたのでコンパクトに纏まった清潔なホテル。ムーンビーチ・ホテルの方は今回久し振りに立寄った処、学生の合宿所の様相を呈していて甚く失望、月日の経過と時代の変化を痛切に感じさせたものであった。 

最後に、沖縄のユニークさの一つとして食事に触れておこう。

 本土の料理とは大いに異なる。
那覇のような大都会ではいざ知らず、中心部を離れると食べる所は数多くの食堂と称される野暮ったい店とレストランで、提供されるのは沖縄郷土料理onlyと言って過言でない。或る夜訪れた店で、「本土の和食」と区別されたメニューを見つけ、好い加減食べ飽きた沖縄郷土料理に代えて、「本土の和食」から肉じゃがをオーダーしてみた処、出て来たのは固い肉の量の多く、にんにくの利いた料理で吃驚、似て非なるものと言ってもよい。

 正しくは、「本土の和食」ではなく沖縄風にarrangeした本土の和食メニューが正確な表現だろう。食事面では間違いなく、国内を旅行してると言うよりは東南アジアを旅してる感じに近い沖縄と言えよう。


「沖縄そば」

「昔ながらカレーが現代の沖縄のカレー」
 
                                  2013/7/21  
                                  津田典子(Dクラス)

マチュピチュへ行きたいと思い初めて10年位に
なるだろうか。


少し遅い報告になりましたが、2012年11月下旬
から12日間ブラジル アルゼンチン ペルーを
友人と旅行しました。
長年の夢がかなってとても嬉しい旅でした。

イグアスの滝 自然の力の素晴らしさを感じます。
マチュピチュは、人の力の素晴らしさに
感動しました。
科学も機械も発達していなかった昔に、
大きな石を切り出し、
ぴったりと積み上げて出来た建物の神秘的な
魅力に惹きつけられました。
日本のお城の城壁とは全く異にする作りです。


ピスコ空港にて(真中が津田さん)


イグアスの滝  ヘリコプターから撮影


イグアスの滝を背景に

クスコの聖なる谷を見下ろす  人口が増え、
標高3400Mからどんどん上に家が建っている

マチュピチュ 標高2400Mにある天空の都市
 
オリャンタイタンボの街で

クスコへ向かう途中で   
 
                                   2013/6/22 
                     文:吉田祥子
写真:堀野正勝 (Dクラス)

平成25年4月2427日、堀野、高橋(芙久)、小出、柴田、吉田で長年の思いが実り、鹿児島県・屋久島に行ってきた。
超多忙の中、堀野さんがご参加下さり、予想以上の旅となった。
第一日目 レンタカーで島内一周。2日目 決死()の往復22km、歩行11時間の縄文杉登山。3日目 苔むす森の白谷雲水峡トレッキング。
4日目 滝めぐりとヤクスギランドウォーキング。
1993
年世界遺産となった屋久島は、太古の昔、海中から盛り上がった
花崗岩から成る、周囲100Kmのほぼ円形の島である。
6月の海がめの産卵地としても有名だが、思いの外、浜は狭い。
人口13000人。その数を超える屋久鹿、屋久猿が島を覆う深い森に生息している。どこもかしこも石と木の根と多種の苔。
豊富な水はその強弱の水音を至る所に響かせている。
なによりの圧巻は目を見張る程の巨石と巨木。1000年を超えた杉しか
「屋久杉」と呼ばれない。
朽ちた木々は次世代のベットとなり命を繋いでいく。光(幸運なことに初日を除き快晴だった)と鳥水風の自然の音。
何も言わないが確かにそこに在る木々。ただそれだけ。何も無いことが
多くのことを語りかけてくる。
見えないものの存在と悠久の時の循環を感じさせる4日間だった。


屋久杉へ思わず頬ずり


満開の桜つつじ咲くトロッコ道を軽快に

縄文杉を目指す


巨岩を乗り越え白谷雲水峡トレッキング


小出、吉田、柴田、高橋、堀野

苔むす森の白谷雲水峡(参加者全員)

2012/10/15 小出瑞穂 (Bクラス)

きらめき南フランスバカンス8日間の名前のツァーに9月末から桑田治子さん、松永まゆ薇子さんと参加しました。

題名どおりフランスの南部に行ってきました。

渓谷にかかるポン・デュ・ガール、趣のある法王庁があったアビニヨン、アルルの古い街並み、ニースの輝く碧い海に、都会にない華やいだものを感じました。
失敗もありましたが、天気にも恵まれ、楽しい旅行になりました。

海外旅行余命が幾許もないと思っていましたが、まだまだ大丈夫と自信もつきました。

2012/7/10 斉藤慧子 (Aクラス)

          集い
 6月28日、1-C有志による恒例となった年に一度の「女子会」を横浜の齋藤宅で開きました。早いもので今年で四回目です。今年も会えた喜びを分かち合いそれぞれ近況を語り、楽しい昼食です。
デザートは阪本さん(料理研究家)手作りの和菓子、目にも涼やかな「金玉」をいただき大満足。清流を泳ぐ鮎・・苔むした川底には大小さまざまな丸い石。しばらく眺めてからいただきました。写真で伝わるでしょうか。

食後はこれも恒例のミニコンサート。武田さん(ボランティアで老人ホーム慰問活動中)のオカリナで童謡と懐かしい富士校校歌。池田さん(当集いの幹事)はフルートで我々若いころのJPOPメドレー。さらに独唱や合唱で大盛り上がり。往年の声量はちょっと無理でも、その分とても味のある歌を聞かせてくれました。人生いろいろ♪♪♪ですので・・・・。

合間合間にあの頃やこの頃のおしゃべりが途切れません。
あっという間に時間が過ぎてしまい、別れがたい心地よいひと時を過ごしました。


池田、高橋(建部)、阪本(熊倉)
  武田、斉藤(沼)、浦木(前谷)
    
阪本さん作成の和菓子

2012/6/25    渡邊 武(Cクラス)


先日、町内の日帰りバス旅行で、浜離宮から浅草までの隅田川の船旅を楽しんで来ました。

 10年前の栃木県足利勤務の時、中国研修生を東京見物ということで、浅草から浜離宮まで隅田川下りをやって以来です。

 当時は、浜離宮庭園から見えるビルと言ったら入口傍の三井造船のビルぐらいでした。 ところが、今回は庭園内で写真を撮るのに、ビルを入れずに写真を撮るのに、大変苦労しました。特に汐留操車場跡のビル群の景観変化には、驚き以外の何物でもありませんでした。高層ビルに入居して浜離宮を見る側はいいでしょうが、庭園を鑑賞するものにとっては、ビルが目に入ると庭園の良さは半減します。
(古いものと新しいもののごちゃまぜが、東京の文化かもしれませんが。) 


高層ビルに囲まれた浜離宮

浜離宮に着岸直前の遊覧船

一世風靡の佃島リバーシティー21

隅田川・金雲・スカイツリー

浅草寺から見えるスカイツリー

浅草については、以前ホームページの「浅草七福神巡り」で、古い浅草の景観の良さが紹介されていましたね。スカイツリーについては、トマソムさんが車窓からの風景を文章で、また最近では、やこ様の訪問記でスカイツリーからの景色を写真で紹介してもらいました。今回のバス旅行では、残念ながらスカイツリーに上ることはもとより、空町にもいけませんでした。(いつか行ける日を楽しみにとっておきます)

 東銀座にあった会社を離れて15年、近頃たまに都心に出かけるとあまりの変貌ぶりに、目を見張ることしばしばです。平成19年に東京都にも景観条例ができたようですが、多様な人間のいる東京は、今後どのような景観を求めていくのか興味津々です。 




   隅田川を浜離宮から浅草まで上った 
       柏のおのぼりさん ナベ


2012/5/29
                                         山岡 靖子(Bクラス)

上ってきました東京スカイツリー  

開業後初めての日曜となった昨日、家族7人でスカイツリーに上ってきました。新し物好きの息子がネットの予約抽選に申し込んだところ、第8希望の午後の時間帯のチケットが当たったのです。 

まずは地上350メートルの天望デッキへ。エレベーターのドアが開いた途端、目の前に広がる雄大な景色に「わあっ」と歓声が上がりました。デッキをさっと一巡した後すぐに100メートル上空の天望回廊行きチケットの列に並びました。15分待ちでした。 

広い窓の向こうに新宿、渋谷の高層ビル群、開通して間もないゲイト・ブリッジ、ディズニー・シーの火山やタワー・オブ・テラーがくっきり見えます。屋根の形が特徴的な国技館や東京ドームはすぐに見つかりました。東京タワーも低く可愛らしく。足元を見下ろせば車はミニカーよりも小さく、人はゴマ粒のようです。遠くの山並みは霞んでいました。 

入場人数をおさえているせいかデッキも回廊も適度に空いていて、外の景色を心ゆくまで眺められ、床が素通しで真下を見下ろせるポイントでさえ、人だかりで動きがとれないといったこともなく、晴天の下、旬のスカイツリーをたっぷり楽しんで来ました。 

テレビでご覧になった方も多いと思いますが、いちど足を運んでみてはいかが?オススメします。


この翌日28日夕方、スカイツリー周辺に、二本の虹が出たそうです。
日経新聞提供の、虹の写真です。   ここをクリック













地上450メートルの天望回廊から撮影


左上の景色を高さ350メートルの天望デッキから撮影
 
                                 2012/5/2
                                   渡邉 武(Cクラス)

静峰ふるさと公園(1)

ゴールデンウイークに入り気候が良くなってきたので、どこかへ花を見に行こうと考えていたところ、テレビニユースで那珂市の静峰ふるさと公園で八重桜まつりが行われていると知り、早速インターネットで調べ行くことに決めました。
天気と車の混み具合を加味し平日の5月1日に決めました。
(最近はメーデーも休みの会社が少なくなったみたいで、混雑に会わずに済みました)
家から約100キロメートル、常磐自動車道を使うと1時間半のコースです。
八重桜だけで2100本を見るのは初めての経験でした。
桜を見た後、時間に余裕があったので、10キロ程離れた西山荘(水戸光圀隠棲の地)に立ち寄ってきました。こちらは新緑がとてもきれいでした。水戸の偕楽園よりも風情があり個人的には気に入りました。


静峰ふるさと公園(2)

西山荘(1)

静峰ふるさと公園(3)

西山荘(2)

2011/12/1  徳永興亜(Fクラス)

僕は2009年の春ごろまで、西荻窪にあった、
梶原(三浦)清枝さんが経営する、SNAKジョッピンで高校時代の仲間と時々飲んでいました。

晴天の霹靂、ご主人が交通事故に遭われ止むなく
お店を知合いに譲られた後は、色々な御世話で
時間と気持ちのゆとりが取れない状態で、
我々も会う機会がありませんでした。

最近、少し心のゆとりが出来たとのメールに
飛び付いて、忘年会が実現しました。

急遽お店に行ったことのある人に声をかけ、
8人が集まれるという事で新宿で忘年会をしました。
懐かしいおしゃべりと、二次会は予定の無かった
カラオケになり、3次会まで夜遅くなるまで
旧交を温めました。
                
徳永 


 左から
金子、桑田、木村、渡辺、梶原、名取、高橋

とてもとても、楽しいひと時でした。皆様に御心配を、おかけしていましたが、安心してもらえてうれしいです。
春のハイキングにも参加させてください。寒波が、少し続きそうですので、どうぞ、お体に気をつけて、良いお年を、お迎えくださいませ。ありがとう。
                                 清枝

寒い師走のひと時 大いにおしゃべりをして、飲んで(?)歌って踊って楽しかった!
どんどん老化していく自分にうろたえつつ 同期生と一緒だと心地よいので
春の再会を楽しみにしています。  
                            金子

まづは、梶原さんの元気な姿を見れて最高の幸せでした。
また、それぞれの同好会での顔見知りのメンバーとも、久しぶりに会え、楽しい一年の締めくくりが
出来ました。
今年一年は、震災等で同期生それぞれ色々考えることが多かった年ではなかったでしょうか。
来年はまた以前のような平穏な日々が来ることを期待したいですね。
「"幸せ"だから笑うのではない、”笑う”から幸せなのだ」
「良い天気を作りだすのも、悪い天気を作り出すのも私自身なのだ」  (アラン幸福論)

ここ一・二年事故後、多少落ち込んで、皆さんにご心配お掛けいたしましたが、
アランの幸福論のように、まづは自ら楽観主義者になるよう努力していきたいと思います。

 最近、額(ひたい)と共に、心も少し広くなってきたとうぬぼれている ナベ
 (人間なにが怖いと言って、うぬぼれが一番怖い)


2011/12/31   徳永興亜(Fクラス)

いつもハイキングに参加してくれている、仲良しの
4人の女性が12月19日に開催する忘年会を兼ねた
昼食会に、幹事役の野口さんから、ハイキング同好会の
世話役に声を掛けてくれた。

偶々都合の悪かった浦木さんは欠席となったが、
日本橋のユイト4Fのイタリアン・レストラン
サルヴァトーレ クオモ ブロス』にて6人での会食となりました。
お洒落なコースの食事とハイキングや同期会の話題での
楽しい食事を3時間以上かけて楽しみました。



 参加者は、写真左から
野口E、徳永F、川船B下田C、堀野D、柴田Cさん 

19日にはおしゃれなところで、みなさまとゆっくり
お食事ができ、楽しかった。
野口さん、いつも素敵なところを選んでくださり、
ありがとうございます。
いつも大きな顔をしている私ですが、
奥に居たのは正解でした。

暗い時代に負けないで、自分で楽しい暮らし方を
探して生きたいですね。
時には、少しは誰かのために何かをするよう
心がけながら、過ごせたらいいかな、なんて
思っています。これからもよろしくお願いいたします。 

        下田 汎子

昨日は楽しい時をありがとうございました。
私には数回しかない忘年会でしたので、
大変楽しく過ごしました。

野口さん、おしゃれなお店にご案内くださって
ありがとうございました。

また、あちら方面に行きましたら寄ってみようかと思います。

              柴田貴美子

2011/12/1 徳永興亜(Fクラス)

11月27日午後 「鎌倉彫後藤会」の春秋展の秋の部を横浜赤レンガ倉庫1号館に山岡さん、高橋芙久さんと現地で待合わせをして見に行きました。

後藤会は教室が全国レベルでカルチャーセンターなどに現在134教室あり、会員が1352名の大きな組織です。
そこには後藤会の皆さんの作品がテーマを決め
300点以上の展示されていました。

鎌倉彫を約50年やっていて、金子椙和の名前で
教室を持っている金子昌子(D)さんと生徒さんの作品のコーナーで作品造りの詳しい説明を聞きました。 

鑑賞の後は3人で 飲茶を食して帰りました。

金子教室の作品コーナーの前にて

金子教室の生徒さんの作品群 右手が金子さんの作品

金子さんの作品を背景に

2011/9/25   森嶋郁子(Dクラス)


初デビューの森嶋(富田)郁子です。
結婚後神戸に住んでいます。

皆さんの活発な活動に参加したいと思いつつ、いつもうらやましく画面を見させていただいています。

昨年夏、紘子さんより「重い病気になったので、幹事が一緒にできなくなって」とメールがありました。
私と紘子さんは開進第三中学校の2、3年同じクラスでした。
それから早く元気になられますようにと念じていたのですが、8月23日にお亡くなりになられたとの連絡に驚き、陰ながらご冥福を祈っていました。


         偲ぶ会の会場にて

中西 桑田  横溝 柴田 森嶋  徳永 下田


私の上京に合わせて徳永、横溝さん中心に企画した「紘子さんを偲ぶ会」が9月17日池袋で催されました。

高3の時同じクラスの柴田、下田、高1の時の桑田、徳永、同じ中学だった横溝、中西(小谷)さんに森嶋の計7名がこたつ形式の座卓を囲み、いつも颯爽として明るかった紘子さんを偲びました。

皆の思い出の中の紘子さんを話すうち、高校時代に戻ったかのような3時間半でした。

最後に、みんなで、紘子さんやご主人に宛てメッセージを書き、葬儀に参加できなかった人からのお花を添えて、ご主人の伸行さんに送ろうということになりました。

◆横溝さんが送った、お花とメッセージに対しご主人からお礼のメッセージが返ってきました。

「本日、紘子の高校の同級生の方々の追悼文と、可愛いくきれいな花拝受し、早速すべてを紘子の仏前に供えさせていただきました。皆様方の暖かくやさしいお気持ちを強く感じました。 結束力の強いすばらしいクラスメートですね。 紘子ももう少し長生きできたら、皆様方ともっとお付き合いさせていただけたのにと残念に思っております。

私自身もそうでしたが、紘子もミカンを食べ過ぎて手足が黄色くなったという話を以前にしておりましたが、そのことが皆様にもかなり印象深く残っていたのだなぁと、ちょっとおかしくなりました。本当に有難うございました。 皆様に暮々もよろしくお伝えください。

季節の変わり目、お体を大切になさってください。」


        

    
 
8/27 沼津の葬儀場にて告別式

  2011/4/25
                                          渡邉 武(Cクラス)

           造幣局の桜

先日、大阪にいる息子の新居訪問の用があったので、せっかく行くのにそれだけではもったいないと、造幣局の桜通りぬけのタイミングにあわせて行くことにしました。
◆初日:造幣局の桜通り抜け。
テレビで良く見ているライトアップは、残念ながら震災の影響で今回は自粛で中止でした。
一本一本の桜は種類も多く素晴らしいが、片側にマンションが立ち並んでいるので、全体の景観は今ひとつの感じでした。直ぐ傍の大川の桜の方が全体の景観は良く感じられました。    

◆二日目:高野山金剛峯寺(和歌山県)。

表参道から奥の院までの杉の(古・巨)木と歴史上著名な人の墓がずらりと並んでいるのに圧倒されました。
金剛峯寺の日本で一番大きい(500余坪)石庭(蟠龍庭)が素晴らしかった。
桜は標高1000メートルなのでまだ蕾でした。 
   
    「金剛峯寺」  
 
     奥の院表参道」

◆三日目:吉野山(奈良県)。
天気も良く日曜日だったので、大阪から吉野への電車は満員でした。
駅を降りてのバスもケーブルカーも、待つ人でいっぱいだったので、しかたなく上)の一目千本まで歩くことにしました。
一番上の(奥)まではきついのでので行きませんでした。
往復坂道を四時間半の歩き、歩きには自信を持っていた私もちょっと疲れました。
下から上まで人の途切れが有りません。
一目千本の眺めは素晴 らしく、私の住んでいる柏地域の桜とはスケールが違いました。
一見の価値がありました。

◆四日目:仁和寺、(京都府)。
憧れの仁和寺の御室桜を見ることができました。
日当たりの悪いところ以外はほぼ満開でした。
(この日は同期生の高尾山ハイキングの日
だったので、皆も花見をしているのだろうなと
思いながら桜を眺めていました)

◆五日目:大阪城、法善寺横丁の水掛不動を見学後、難波繁華街にて、たこ焼き、うどんで食い倒れの雰囲気をちょっと味わいました。 

大阪へ行く前は、観光は造幣局の桜の通り抜けが
できれば、一応満足の積もりで出かけましたが、一度も雨に会わず、地震によるストレスも忘れての物見遊山の五日間でした。
50年前の修学旅行を上回る盛りだくさんの関西旅行となりました。
           (以上)
          造幣局桜通り抜け
        吉野山上の一目千本
         仁和寺の御室桜1

仁和寺の御室桜2

  2011/4/2   徳永興亜(Fクラス)
  

4/2土曜日の夜、
堀尾さんのお誘いもあり、富士高の有志を募って5人で、下北沢の『聖葡瑠』に集まり、先客の同級生と雑談の後、軽い夕食を済ませて、明大前駅の近くにキッドアイラック・アート・ホールを訪ねた。
このような時節柄、観客は少ないのかと思っていたら、会場は既にお客様で狭い薄暗い部屋は満員。
補助椅子を出してもらって、開演を待った。
主宰の窪島氏は長野県上田市にある信濃デッサン館・無言館の館主で12回の公開対談の最後を締めくくるもので、お二人は美術を通しての古くからのお知り合いという事でした。
テーマは堀尾さんが1987年から取り組んできた
メキシコの女流画家“フリーダ・カーロ”をテーマにした対談。
彼女がフリーダ・カーロに惹かれ本を書くに至ったいきさつや、フリーダの愛憎を含めた興味ある話を色々、時には司会者の勝手な脱線しながらの対談を、2時間近く拝聴しました。
                      (完)
1944、1943年 フリーダの作品

『ひび割れた背骨』と『いつも私の心にいるディエゴ』

堀尾さんからのお礼のメール
徳永君
昨日は御多用の中いらしていただき本当にありがとうございました。
こんな時期なのでどなたも御無理かと、壇上の2人だけしか居ないのではと懸念しておりました。たくさんの方々がいらして下さり、感激、
ほんとうに感謝、感謝、ありがとうございました。講義、講演はこれまであるものの打ち合せ無しのトークは初めてでどうなることやらドキドキハラハラ…、そんな落ち着かない気持のまま言いたいことの半分も言えないうち、あっという間に終了でした。
暗い(なにしろ暗黒対談なもので)窮屈なお席でお体が痛くなったことと恐縮しております。私にとってはこんな時だからこそ小さな空間で縁のある方々と思いを一緒にできたことはこの上ない貴重な時間でした。歳とともに“いま、ここ”を共有することの感動をかみしめております。またぜひ何かのかたちで楽しい時間をご一緒できたらと願っています。
ほんとうにありがとうございました!

池田京子さん、柴田貴美子さん、渡邉武さん、金子昌子さんにすみませんが徳永君からくれぐれもよろしくお伝え下さい。心からの感謝を込めて…
  堀尾眞紀子

A組 堀尾眞紀子(旧姓:金子)さんは、文化学園大学(文化女子大学はこの4月に校名変更)の造形学部 の教授 です。
この大学は2012年から全学部男女共学に変わるようです。
当大学のHPはここをクリック

窪島誠一郎氏と暗黒対談中の堀尾さん
研究室での堀尾眞紀子さん(2009撮影)

 
                     2011/1/8

                               柴田 貴美子(Cクラス)
今年は穏やかに晴れわたった元旦でしたので、

頑張って早起きして江ノ島の初日の出を拝みに行きました。

同じように考える人はたくさんいるものです。

小田急線に乗った千歳船橋ではすいていた電車も藤沢では満員状態でした。

海岸方面の空がほのかに明るくなっていました。

江ノ島に着くと皆海岸に。東の空が赤く染まって・・・待つ事20分ほど。

6時50分過ぎ、正面の山の端から太陽が上ってきました。

初日の出を拝んで江ノ島神社に初詣。

富士山が美しく初日の光を浴びていました。

東京では穏やかに開けた今年の元旦。

北も西も荒れ模様だったとか。

世の中も東京のお正月のように穏やかであって欲しいです。


皆さま、良いお年をお過ごしください。