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訪問記-1 

このページは、誰かが 誰かを訪問した報告を簡単な文章と写真や資料で
紹介するページです。
訪問先は人でも 場所でも結構です。 皆様の投稿を待っています。 

   
 
                                     2024/9/24
                              
 徳永興亜(Fクラス)
皆さんへ郵送された同窓会会報 「若竹」 に紹介のあった、
9月7,8日に開催された
「富士祭」に、下記の方々が、2日に分けて、参加した訪問記です。
富士中高校も随分変わりました。 若い力がみなぎっていて、輝いて見えました。


(9月7日参加者の報告)
62年ぶりの母校 終活の一つとして、かつて住んだ場所(引越し歴19回)や
赴任地を再訪する「センチメンタル・ジャーニー」を続けている。
島根県から単身上京、3年に編入した富士高は、中でも思い出深く、ハイライト。
富士祭にOB・OGも歓迎というので、チャンスとばかり句会の仲間たちと
出かけてみた。
早めに着いて、学校周辺の写真を撮って歩く。京王バス中野車庫の間に、
富士中・高専用の通路が設けられ、崖の上の校舎に直接、登れる近道が
出来ていたり、校舎が5階建て、エレベーター付きになっていたり、
すっかり様変わり、時がたったのを思い知らされた。
しかし、生徒たちは昔のままだった。高2C組は、ヨーヨー釣り、輪投げなど、
縁日がテーマ。モグラ叩きの装置は手作りだ。モグラに見立てたペットボトルを、
3人の生徒が、操り人形のように紐で引っ張り、穴から出したり隠したり。
傍からは、ばかばかしく思えることを大真面目にやっている。
修学旅行先の京都をテーマにしたクラスの、おみくじや、御朱印紙には、
ゴム板に彫った朱印がもっともらしく押してある。
チョコバナナ、フランクフルト、綿あめ。3年生3クラスは、なぜか、食べ物店。
セーラー服はそのままだった。それも、清々しい白の夏服。”超OB”が、
ズボンやスカートの寝押しを話題にし、ズボンの折り目が複線や複々線に
なってしまった話をしたところ、女生徒たちはきょとんとしていた。
大先輩として、丁寧にもてなされ、うれしいやら、歳を感じるやら。
富士祭限定という富士饅頭は売り切れで食べ損ねたが、若竹会の
「ひとことコーナー」に、「卒業後62年。夢に見た母校をやっと再訪。
青春ジグソーパズルの亡くしたピースを捜しに来ました。
母校は、その名の通り心休まる母なる場所でした。八十一翁」と書き残して、
感傷旅行を終えた。
   
    D内藤好之

暑さにめげそうになりながら、富士まつりに伺いました。

地下鉄「中野富士見町」に降り立って、駅の裏が富士校、
北通用門というのがあってまずびっくり!

富士祭は、全部は見られませんでしたが、ざっくりと回ることができました。

若さあふれる楽しい雰囲気!!

私たちのような80歳グループはもちろん、生徒のご家族でも高齢者は、
誰一人、お見掛けしませんでした。

年齢と卒業年度を告げると、生徒さんたちは、開いた口が塞がらないほど
びっくりされました。

新しくなった制服、ネクタイも生徒の方々に説明してもらい、
私たちも昔の制服とサンダル上履きの話もして、話題交換。


若竹会のお部屋では、新、旧の若竹会の会長様方とご挨拶ができました。

帰りの正門でまたばったり、

60年以上前の富士とは全く違う異次元の世界!!
しかし、どこか懐かしの母校へのホームカミングデーでした。

 

私が体験して、面白かったおすすめのお部屋は、高校2年A組の
「FUJI診断…質問に答えてあなたのタイプを見つけよう」でした!!

若竹会ルームステージでのカルテットのクラシック演奏もよかったです。
(私たちは教室外の正面からではなく、ステージ下の
冷房の効いた椅子に腰かけて聞きました)

ほかにも、もっともっと面白いお部屋があったと思いますが全部は見きれませんでした。

中学1~3年生のお部屋は混んでいて入室を諦めました。

暑いのでくれぐれもお大切に。    3A松尾淑子

久しぶりの富士校、校門から変わり、ウロウロしながら大きな階段を上がり、
受付に着きました。中高各々のクラス毎に様々な催しがされていて、
弦楽四重奏を聴いたり、展示物、絵画、写真、クイズ、性格判断、
他盛り沢山で4階の教室全てが飾り立てられ見事でした。
時間が足りない位でした。
おやすみ処で出されたお煎餅を頂いたり、富士校万頭は午後には売り切れで
手に入りませんでした。
中高生皆、感じが良く、母校が誇らしく思えました。明日、どうぞ、楽しんでくださいませ。 
                  3A阪本都紀子


(9月8日参加者の報告)
昨日は、12:30〜14:30 ・富士祭見学
      14:30〜20:00 ・二次会(中野富士見町) その後バスで中野駅まで
      ・三次会(中野マルイ・フードコート)   
 の長丁場、大変お疲れ様でした。
初々しい富士の中高生の姿とそれを見守る見学者、どことなく上品でした。
また、コーラス部の会場に入った時に、若いが風格・品格のある女性と目が会い
軽く会釈を頂きましたが、その方の椅子が空いたので座ったら、となりに座った
永江君が、「その席は校長先生の席だよ」と、会場を出る時に椅子の背の張り紙を
見たら、「校長先生」と書いてありました。だから空いても、誰も座らなかったのか!?

                   3E相馬一


おはよーございます。昨日は長い一日、楽しかったです。ソウ、校長先生、素敵な方なんです。
相馬さん良かったですネ。
座っちゃって。卒業以来初めてで多分最後の富士校祭。公立校の良さを改めて感じました。
可愛い子供達がリラックスして楽しんでいる様子に気持ちが暖かくなり元気を貰って帰宅しました。

ヒョンなことから中1生のご父兄と話しましたが、親子ともとても満足して通っていると。
課題も多く大変ではあるけれど、同時に可能性、刺激もあって良い学校ですと。
三万余の卒業生の一人として嬉しかったです。虫の音は弱々しくなっていますが、
まだまだ残暑は続きそうです。お互いに自愛致しましょう。又のお目もじまでご機嫌よう!
                            3D吉田祥子

昨日は何十年かの富士高校訪問がとてもフレッシュでした。
女子生徒さんの制服が変化していてびっくりしました。
前の方が良かったな、とは我田引水ですが。
中高が一つにまとまったエネルギッシュな文化祭でしたね。
オーケストラを聞きたかっので又の機会に行ってようと思います。
二次会では人生いろいろのお話やリラックスタイムをありがとう。
 皆様又お逢いしましょう。
 
3A奥田智恵子

同期会には神経痛で杖をついて参加しましたが、昨日はおかげ様で

無事に熱気あふれる富士祭を十分楽しませていただきました。

約10年前、1年B 組のクラス会で文化祭を楽しんだこと思い出しました。

二次会も楽しかったです。    3E野口博子

おはようございます!
昨日は秋晴れのなか、残暑は相変わらずでしたが、それに負けず、
一日楽しい時間ありがとうございます!

相馬さん 早速写真お送りいただきありがとうございます!
富士高校本当に自由な校風と、生き生きした生徒さんたちとお会いして、
日本の将来も頼もしいと,
気持ちを新たにしました。 
老婆は足だけでもと、これから散歩にいきますね。
 お元気で。 
                    
 
3F松永まゆ薇子


今日は有難う御座いました。久々の外歩きに疲は階段の昇り降りに体が
悲鳴をあげる状態になり途中脱落となりました。ご挨拶もせず失礼しました。
80才を過ぎると体力の衰えがはなばなしいです。
同期会のハイキングを楽しみにしていましたが
この状態では心配が頭をよぎります。  
D組 田中道雄 

 
若竹会室にて 阪本さん、内藤君、 松尾さん
   桑田さんF、阪本さんA  内藤君D

 9月7日残念!!売り切れだった 富士饅頭

内藤君、横山雅之前若竹会会長、桑田さん、阪本さん 
     帰り際 富士高正門前にて

  9月8日参加者 10名全員集合

   若竹会メンバー 歓迎室にて 集合写真
 
後列  相馬君 渡邊君 徳永君 田中君    永江君

前列 松永さん 奥田さん 高橋さん 野口さん 酒井君
 
    
        薙刀部の演技 見学

2022/10/01                                           宗澤 勝郎(Dクラス)


コロナ禍での海外旅行(タイ)
私はこの度、久しぶりの海外旅行に出かけました。
タイ赴任中の次男家族(バンコクとパタヤの中間地点シラチャー在住)を訪ねる旅でした。

 20203月、第2子出産の手伝いで訪タイ中の家内に合流する予定でしたが、コロナ禍で、
予定の航空便が欠航で行かれませんでした。
それから既に2年半、新生児に逢うはずが、その子も2歳半になってしまいました。

今年いっぱいで次男の帰国が決まったとのことで、思い切ってコロナ禍の中、
訪タイを決心しました。
夏休みを狙っての旅、家内と長男、今年大学生の孫の4人の家族旅行です。
8月20日~9月5日、羽田発、羽田着の夜行便による2週間の旅でした。
長男と一緒に動く最初の1週間はハードスケジュールとなりました。

 訪タイは、40年前、タイ国鉄の依頼で、
JAICA調査団員(チャオプラヤ川に架かる鉄道橋梁の補修調査)で出かけたのが最初、
次は
JICA案件(バンコクの都市開発と一体化した鉄道輸送力増強計画)でした。
短期滞在でしたが何度かタイを訪れております。間近は10年前のゴルフ旅行です。

 私が興味を持っていたのは、大都市バンコクの変貌ぶりを見ることです。
仕事で行った頃に比べ今回の旅での大きな違いは、都市交通の近代化が進んでおり、
市街地もすっかり再開発されて、昔の街並みは残っていませんでした。(浦島太郎状態です)

 国際空港は、新しく作られたスワンナプーム国際空港(バンコクとパタヤの中間)
に移っており、空港からのアクセスも車主体だったものが、快速鉄道が繋がっていました。

 当時、バンコクの道路は両面通行でした。地図さえあれば、タクシーで行きたい所に
行けたのです。その後、一方通行になったことで、車で出かけるのに道を知っていないと
目的地までなかなかたどりつけません。
高速道路はパタヤ方面に向かう路線の一部が開通したばかりでしたが、
今回の旅行で目にしたのは、市内から郊外に縦横に伸びた高速道路網です。
今は至る所で延伸工事が進められていました。

 車利用前提の移動を頭に描いていましたが、BTS(スカイトレイン)、MRT(メトロ)、
ARL(特急列車エアーポートリンク)が走っており、市内の各方面に出かけるには、
大変便利なことがわかりました。帰国時には、中心市街地から空港まで電車を利用しました。
(空港まで1時間弱)

 地図を見ながら行動することに自信があった私ですが、この度の旅行では大変苦労しました。
ホテルで貰った地図の地名、駅名を読み取れません(文字が小さすぎる)。
地図をスマホカメラで撮影、画像を拡大することで事なきを得ました。
しかし、タイの地名は、英字をローマ字読みにしても、なかなかタイ人に伝わらない。
カタカナと英字が併記された日本語ガイドブックの路線図に取り替えました。

 ホアラポン中央駅に隣接のタイ国鉄事務所を訪ねる為、ホテルからはMRT(メトロ)で
向かいました。
当時、バンコクは地盤が軟弱なので地下鉄工事は無理との考えが主流でした。
メトロから中央駅に通じる
通路に展示された地下鉄工事写真の中に、日本のシールド工法が採用されたのを発見。
早くその技術を取り入れていたら、もっと地下鉄路線は増えていただろうと思いました。

 世界遺産のアユタヤ、戦場に架ける橋のカンチャナブリ、お寺巡りと言った
定番スポットに加え、終着駅に列車が着く度に、急いで線路に張り出した屋台を
引っ込めるメイクロン市場、象と一緒に昼食が楽しめる象カフェ等に行きました。
アユタヤ遺跡を訪ねたその夜、摩天楼マハナコンタワーの展望台から
見たバンコク夜景。新旧の光景を一日に見られたのには感激でした。

                        

    ・パタヤぞうカフェ       ・アユタヤ          ・マハナコンタワー 

 トムヤムクンを代表とするタイ料理を堪能し、マンゴウ、パパイヤ以外の珍しい
果物を食べる事も出来ました。海沿いのレストランのテラス席、
海の彼方に沈む夕日を見ながらゆったりとビールを
飲みながらのタイ料理(海産物)は最高でした。

              
  海鮮レストラン (ムンアロイシラチャ)  にて    宗澤君 at 2016


 タイは微笑みの国と云うことで海外の観光客を集めることに力を入れております。
新しく大きな都市公園が作られ、新たに美しい寺院や仏像が建てられて
観光客の目を引いています。
インスタ映えのする仕掛けも沢山見かけました。新しく素晴らしいホテルも建設されています。
寂しいことに、中心地にあった伊勢丹や大丸といった日本のデパートは撤退、その跡地は
巨大ショッピングモールに変わり賑わっていました。40年前、屋台の椰子油のにおいが
鼻をつくバンコクの町並みの変わり様はすごいものです。
日本料理店を捜すのに苦労したのも嘘の様で、
日本料理が簡単に食べられる店がならんでおり、タイ料理に飽きたところだったので、
しゃぶしゃぶの店に入ってしまいました。

 タイ人は親切な国民です。電車に乗ると、すぐに席を譲ってくれます。昔は地図の読めない
タイ人と言われてれておりましたが、道を聞けば丁寧に教えてくれます。
今回は中国人観光客がいなかったことで快適な観光が出来ました。
割安になった高級ホテルに泊まって、すばらしいホテルライフを楽しむことができました。

 屋台の麺料理にも挑戦、また全米女子オープンの舞台
SAIAM COUNTRY CLAUB PATTAYA Old Course
での息子とのプレーも忘れられません。
タイ出国時には
PCR検査が義務付けられており、メールで陰性の連絡があった時に、
ほっとしたのも記憶に残っています。陽性時にそなえて初めて
海外旅行保険に加入しました。コロナ禍、タイ人は暑いにもかかわらず、
マスク着用を守っていたのには感心させられました。

 8月のタイは雨期です。旅行中、晴天に恵まれたのは幸運でした。タイミング良く、
この様な家族旅行が出来たのもタイ在住の次男のアテンドあってのことと思っております。

 今回の旅では、出国時はワクチン接種証明書、帰国時はMy SOSと言うアプリが必要でした。
年寄りには、なかなかハードルが高いものでした。
 

 2020/11/26
                               西村 周一(Fクラス)


 スペイン風邪大流行以来
100年ぶりの脅威と言われる新型コロナ・ウイルスによる
度重なる感染の波により、自粛、自粛と金縛り状態に近い生活を余儀なくされて来た今年、
ストレスとフラストレーションが溜まり溜まって行ったらしい。

喘息を持病として持つだけに特に神経質になっていた妻ですらGo to キャンペーンに乗って
大勢の人が旅に出て行くのを
TV等で観ていて、「怖いけど、行ってみたい」気持ちに
なったらしく、それを察した娘が信州行きを計画してくれ、
11/13の旅程で出掛けることになった。 

最初の目的地は白馬山麓。11/1朝、大宮から新幹線で長野へ出て、
長野駅から白馬・栂池高原行バスで一路白馬村へ。
バスの車内は未だ十分空席があったが、新幹線車内は略満席状態。
Go toキャンペーンの効果絶大と感心。

我が家は全員、白馬が大のお気に入りだが、白馬へ来たのは4年ぶり。
正午頃には白馬バス停到着、昼食に目当ての蕎麦が美味しい「林檎屋」へ直行するも
店主が腰痛で手術を受ける為入院した直後で
closeと分かり、ガッカリ!
案内所へ戻って、地元で人気の他の店を紹介して貰い、その内の一軒、「膳屋」へ。
 着いて驚いたのは店の外で順番待ちする客の多い事。 
一時間程待たされて漸くありついた天せいろは期待を裏切らなかったが、家族全員、
「林檎屋のほうが良い」との結論になった。

印象的だったのはお店の感染防止対策の徹底ぶり。 
清潔な感じの店内に間隔を設けた客席、食事を終えて客がテーブルを離れるや
直ぐに従業員がテーブル・座椅子は元より、メニューの中までアルコール液で
消毒する姿を見て感心させられた。
 

-白馬山麓にて-


<蕎麦屋の前から白馬連山を眺める>
 

<膳屋の傍らの朴の巨木の黄葉>
 

 初日の天候は晴れ後曇りだったが二日目は雨模様との予想だったので、
初日の内に動き回ろうと決め、
先ず向かったのが最近人気の白馬岩岳マウンテン・リゾートのテラス。

 ゴンドラ乗り場に着いて順番待ちの長蛇の列に愕然となった。 
最低でも
2時間は待たされるとの見通しを聞いて、すぐさま二番目の候補地、
北尾根高原へ上がるリフト乗り場へ直行。
 「有名と無名」の違いか、此処では順番待ちも無く、直ぐにリフトで展望台へ。

 矢張り、上へ上がると気持ちが晴れ晴れする。 此処まで上がると
既に紅葉は終わってるが、その代わりに冠雪の白馬三山を眼前に見られる。
 

-北尾根高原にて-


 <展望台の広場>

    <冠雪の白馬三山を望む>
 

 (註)展望台の広場の奥ではキャンプもでき、キャンプ客用の入浴施設も整備されている。

   流行のアウトドア志向のニーズに応える為だろう。

 リフトで下ってからは宿泊先のホテル・シエラリゾート白馬へ移動。 3度目になるが、
 晩秋の紅葉に囲まれた風情も素晴らしい。
 

-ホテル・シエラリゾート白馬-


 <ホテルへのエントランスの紅葉>

<ホテル中庭と裏山の紅葉>
 

 二日目は予報通り朝から生憎の小雨とあって白馬村での行動は断念し、
昼前の長野行きバスで長野駅へ。
 駅構内で昼食を済ませてから、娘の運転するレンタカーで松代へ向かった。 
武田信玄と上杉謙信の戦った「川中島合戦場跡」の前を通って
30分もかからぬ距離にある。
僕が小学生の頃、長野へ出た時には木炭を燃料とする古ぼけたバスに揺られて大分時間を
要したものだが、今は道路も整備され、車の速度速く快適である。
 

尚、解説を加えて置くと、松代は亡父の故郷であり生まれて間もなかった僕が疎開して
3まで育った言わば心の故郷。
 先祖代々の墓も在り、従兄が引き継いで守っている。

「故郷は遠きに在りて想うもの」とも言われるが、齢を重ねて来ると望郷の念に
駆られていた亡父の心情が理解できるようになっている。

そんな気持ちを読み取ってくれたか、妻と娘の2人が旅程に松代を含めてくれた。
二人の思い遣りには感謝である。 

もう一つ注釈を加えると、松代は
①真田藩の元城下町・・・・関ヶ原の戦いで徳川方に与して戦った長男の真田信之に
元の居城のある上田から松代へ移封を命じられ、移って来て以来真田の城下町となった。

 江戸末期の学者で高名な佐久間象山は真田藩士。 

②第二次大戦末期に「本土最終決戦」の構想の下に、天皇一家及び軍部中枢を移すべく
大防空壕を突貫工事で造ったのも此処松代である。 
観光用として一部は解放されてるが、地震観測所としてずっと活用されて来た。

 貧乏な藩の元城下町ではあるが、静かな佇まいの処である。 
 気が向いたら気候の良い時にお出掛けください。
扨て、二日目の宿泊先は
国民宿舎の松代荘。半世紀近く前に建てられた施設だが新装成って綺麗な旅館である。
 

-松代にて-


             <松代荘> 

       <菩提寺の風情>
 

 最終日は、菩提寺を訪れ先祖代々のお墓の前で手を合わせた後は、暫し、
町内外を車で観て廻り、最後のお楽しみは長野から延びるアップル街道沿いのリンゴ園へ。
 
 リンゴ園となると、亡父の友人の営む信州中野のリンゴ園へ連れて行かれた時の
楽しい思い出が頭の中に深く刻み込まれて居り、
秋になるとリンゴ園で種々の林檎を食べ比べたい気持ちに駆られる。 
念願叶って行けることになったが、時間の制約もあり、
信州中野の手前の豊野の成田園というリンゴ園を選んで訪れることにした。 
街道沿いに林立する林檎の木々が沢山の真っ赤な実をつけて居り、真に可愛らしい。 
成田園到着後、園内の林檎狩りまでは出来なかったが、親子三人で暫し各種リンゴの試食。

 しっかり味見をした後で、好きな種類の林檎をたっぷり注文、
宅配便の手配をして帰途に着いた。
 いつか、再訪したい。 

-アップル街道沿い-

 
<赤い実をつけた林檎の木>
                                 以上

  2019/12/27 
                                  徳永興亜(Fクラス))
6月23日高校同期会の開催の日、高校時代バレー部にいた4人(高橋光子<荒井>、
児玉君子<岸野>
,石川、徳永)が、卒業以来やったことの無いバレー部同期会をやろうという話が出て、
まずはキャプテンだった
鴨沢君の都合を聞こうということで、彼に連絡したら、
同期で集まるのもいいけれど、
「バレー部全体の
2回目のOBOG会が9月29日あるぞ」と紹介があり
「それもいいね」ということで参加希望を募ったら、
石川君は都合つかなかったが、
鴨沢君と残りの3人が参加した。

当日総勢100人前後の皆さんが集まり、その中では、我々4人が最長老でしたが、
次の後輩は5年若く、
知らない人達でしたがバレーボールという共通の思い出で
楽しく会話が出来ました。その時の写真は、
下記の報告の最初写真の、
真ん中の4人が我々です。 

このOBOG会の中心は、やはり若竹会を引っ張ている、
4年後輩の富士高18期前後の後輩の皆さんです。

◆OBOG会報告 :右図をクリック  
 https://dousoukai.site/fuji-daigo-wakatakekai/1582/


これは富士高校 3年の時の 男・女バレーボール部メンバーの懐かしい、写真です。


     2019/11/08                                      野口博子(Eクラス) 
       
          :大隈講堂 前にて 
              
                 
              布施、野口、青野、杉本、今成 

  < 相倉合掌造り集落にて
           杉本、青野、阪、川船、野口、布施、上坂                                     
             6年前の春の北陸旅行と今年の秋の都心散策

◆20134月のこと

北陸新幹線金沢開業前、青野和子、川船紘子、阪喜久江、杉本良子、布施寿子さんと
私の6名で北陸旅行をしました。

初日は「和倉温泉」。宿泊先は有名な「加賀屋」の姉妹旅館の「あえの風」。
夕食後は、旅館の送迎で「加賀屋」に出かけ、館内を見学し堪能しました。
夜は和室に6人お布団を並べて、気分はまるで修学旅行生。

2日目は金沢市内を観光し、夕方には「高岡駅」前のホテルにチェックインです。

3日目は城端線の終点「城端駅」に9時頃到着し、駅で上坂さん夫妻と待ち合わせ。

挨拶もそこそこにすぐお二人の車に分乗して、五箇山の「相倉集落」と「村上家」を観光。
お昼は奥様のお友達の民宿で、「報恩講料理」の見事なお膳にビックリしました。

そこから新築なった上坂さんのお宅を訪問。お庭や手作りの弓道練習場など見学後に、
美味しいコーヒーをご馳走になりました。そして電車に間に合うように「城端駅」へと
送っていただいたのでした。「高岡駅」に戻った私たちは、
最後の目的地 国宝「瑞龍寺」を拝観して
3日間の旅を終え、9時頃には全員帰宅しました。

  ご案内と車の運転をお願いした上坂さん夫妻には、嵐のように感じられた
半日だったことでしょう。
そしてこれは、
70代前の活力があり好奇心旺盛だったからこそできた心に残る旅となりました。

◆201910月のこと

 「即位の礼」の翌日久しぶりの好天気に恵まれた23日(水)に、杉本さんの企画で、
 神田川沿いにある「永青文庫」に出かけました。全員参加は難しく、今回は青野、今成、
 杉本、布施さんと私の
5名が参加。川船、阪、菱野さんは欠席でした。

高田馬場駅から徒歩30分の文京区「肥後細川庭園」の池泉回遊式庭園を散策しながら
「永青文庫」へ到着。館内を見学後、再び庭園を散策して、近くの「リーガロイヤルホテル」
でランチ。ホテル隣接の「大隈庭園」は、青々とした芝生や木陰に何組かの親子連れや
若い人たちを見かけました。
(肥後細川庭園は20173月に新江戸川公園から名称変更となり、庭園・樹林部分の整備工事を
完了し、昨年
4月から全園開園とのこと。
庭園から「永青文庫」への山道は、ハイキング同好会の準備運動に最適かと。)

都心とは思えないほどゆったりと落ち着いた雰囲気と今までにない
風情を味わうことができる、シニアに快適なコースでした。
なお、細川庭園でも松の雪吊り作業をするそうです。

これからも同期の方たちと、好奇心をもって体力に応じた外出や楽しみを
見つけられたらと思います。



  2019/05/30
                             鈴木 一男(Bクラス)

先日、4月27日(土)に富士高校附属中学校で
「人権教室」を110分間、2年生全員の120名を
対象に多目的ホ-ルで行いました。
本年で8年目、8回目となりました。


内容は、全国中学生人権作文コンテスト
(法務省人権擁護局主催)で過去に
文部科学大臣賞を受賞した人権作文
「差別の世界へ」を題材として行い、生徒の
熱心な取り組みと学年の担任の協力を得て、
当初の授業の目的をかなり達成できたと
実感しました。
当日の写真を添付致します。 以上
 

 

講義中の鈴木先生
 

熱心に取り組む、学生諸君


      中高一貫校の中学の生徒さん
 2011/11/19
                             徳山 清子(Bクラス)

11月15日、山岡靖子さんとご一緒に浦木さんの
草木染展示会に行ってきました。とても精力的に作品に
取り組まれていて、感心しました。

今年はかさねの色を染めると言うテーマの通り
この色とこの色を併せるとこの色になると、
美しく展示して下さっていました。

浦木さんに色々とお話を伺い、すてきな作品と
それを制作するまでの過程などをお聞きできて
楽しいひと時を過ごさせていただきました。

 その後、靖子さんと短い時間でしたが、
卒業以来、心置きなくおしゃべりできて幸せでした。
                      (清子)

 (右半分は浦木さんの作品)


        

作品展示 (青色のセーターは浦木さん着用予定作品)
            
 

★昨年に続き、今年も富士高の
 ハイキング仲間等の同級生が沢山 
展示会に立ち寄ってくれて、嬉しかった

と浦木さんは仰っていました。

                 (HP管理者)


          
 2011/10/10
         吉田 祥子(Dクラス)、下田 汎子(Cクラス)

 0月3~5日、7人で尾瀬に行きました。初日鳩待峠、ミゾレの出迎えでした。

 尾瀬ヶ原は草紅葉ドンピシャリ。後に至仏山前に燧ケ岳、繰り返し現れる鮮やかな

 虹。この20日以上早い冷気は尾瀬の美しさを一段と際立たせるためと思える程。

 三日目、雨の中日光戦場ヶ原を散策。小田代ケ原は何時になく満々と水を

 たたえそこにかすみ佇む貴婦人と称される白樺。目から耳から皮膚から、細胞が

 入れ替わるような旅でした。
                                        (吉田)


尾瀬 鳩待峠にて

先ずは準備体操
 
地味な紅葉

紅葉を待つ

 憧れの草紅葉を求めて、尾瀬・奥日光へ。

足に自信がなく、10K,14Kの行程を踏破できるか

不安でしたが、美しい虹に向かって秋色の草原を

友と感動を共にし、凍った木道を歩き通せた喜び、
これからもまだ旅を楽しめそうだと
幸せ気分になりました。

 友に感謝。   
                 (下田)

尾瀬ヶ原に見えた大きな長時間の虹

宿泊した彌四郎小屋前にて

至仏山を背景に出発前の一行

尾瀬沼一望

尾瀬沼 大江湿原にて

尾瀬沼より 燧ケ岳2356mを望む

最後の晩餐

湖になってしまった小田代ヶ原(奥日光)

今回は、一部の人の要望から
堀野リーダーが企画した
中級者向けの2泊3日の
尾瀬が原、尾瀬沼周遊のハイキングを
小人数(7人)で行いました。

自信の無かった参加者は、
落後者も、大きな事件も無く
楽ではなかったけれど
達成感と、妙な自信がついた感じです。
60代のうちにみんなで一度高い山を
挑戦できたらと感じました。
参加者の感想は、次回のハイキングで
直接聞いてください。
                  (徳永)
終り

    2010/12/21      
                 池田 京子(Aクラス)他

*********************************************
 台湾四人旅・・・止まらないガールズトーク(?)
*********************************************
11月下旬に台湾一周5日間の旅、
とても楽しくあっという間でした。



夕方に台北に着いてすぐホテルからタクシーで夜市に。
驚くほど安い雑貨に我を忘れてお買いもの。
そして台湾最初の夕食は鍋専門店。
一人100元~120元(約300円)で十分満足、食後のデザートは屋台のフルーツ。
日本では見かけない釈迦頭(お釈迦様の頭みたいなので)
はとてもクリーミィーで美味でした。
釈迦頭は道中で何回も買って食べちゃいました・・・・。

バスで台南・高雄と南下して今度は北上、熱帯地域から亜熱帯地域へと北回帰線を通過して大理石で有名な花蓮へ。
翌日は大理石産地の太魯閣渓谷を観光して、花蓮→台北は列車で移動。台北で故宮博物館等を見学した後で、歩き疲れた足をマッサージでほぐしてもらいました。
夜市で最新ファッションをまたまた買い込んで、キャリーバッグのファスナーをエイヤッと閉めて帰途につきました。
どこの街にもスクーターが溢れていて、台数は人口に匹敵するほどとか。活気を感じる風景です。でも二人乗りどころか幼児を前に乗せて親子三人で飛ばしている人も。ひとごとながら気になります。毎日朝から夜までおしゃべりが尽きなくて、とても初めての組み合わせの旅行とは思えません。
これも50年前の1年C組共有体験があるからこそで、加えて同期会やハイキング等の参加で友情がよみがえっているおかげと思いました。           
                      池田京子





★夜市で、手前右が釈迦頭








★夜市での四人
 
ノリであっという間に決めてしまった台湾旅行。

5日間目一杯遊び、笑い通しでした。
芙久ちゃんと京子さんのかけあい漫才がおかしくて、
あんなに笑ったのは何年ぶりかな?

家族と行くのとは違う海外旅行、クセになりそうです。

                  浦木祀子
(Eクラス)

★中華料理でディナー
左から阪本、高橋、池田、浦木さん

数時間で行き先も日にちも旅行社も決めてしまった正に、
ぶっつけ本番の台湾旅行。
つきない話題、つきない笑い、つきない食欲、
頑張った若さ、本当に楽しい5日間でした。

富士高の縁の有難さを実感しました。
旅先でも五十年以上前からの繋がりをうらやましがられ、
年令を重ねた時、こういう友人のいる幸せを
しみじみ感じた次第です。
又何回でも愉快な旅を、と思い出し笑いをかみしめています。            
               阪本都紀子
(Aクラス)






ルンルン気分のガールズ4人

高1Cの4人が珍道中という感じで、
あまりに楽しくて笑ってばかりいて
みんな顔のしわが気になって
帰ってからは”パック”をしなければならないほどでした。

故宮博物館や高雄・太魯閣も良かったけど
なんといっても思い出深い台湾一周旅行でした。

                  高橋芙久
(Eクラス)

★タロコ国家公園・太魯閣渓谷の見事な大理石

台湾紹介 (おまけ)

台北故宮博物院には世界最多といわれる中国の
古美術品がコレクションされています。
収蔵されているめずらしい文物は70万点以上、
年代は五千年に跨るといわれます。


★スクーターで溢れる台北市内
 2010/11/25                                              奥田 智惠子(Aクラス)

  《 写真1↑》

 《 写真2↑》

 《 写真3↑》

 《 写真4↑》

 《 写真5↑》

 《 写真6↑》
    
        2010年ショパンコンクール ポーランド紀行

ショパン生誕200年をお祝いしてポーランド行きを実行したい、運良くコンクールもあるという事で昨年から夢がふくらんでいた。今年、二月富士校の湯河原幕山ハイキングの頃には大阪と東京のピアノ仲間を誘いツアー会社も決まった。4月には息子のいるニューヨーク行きがあり、その上私は子供たちにピアノを教えているので7月、8月と発表会、生徒たちの合宿で中断したが、いつもポーランドが頭から離れずクレージーな毎日であった。その間に嬉しい事があった。前にポーランドに行った事のある富士校1-C池田京子さんから資料や写真などを見せてもらえた事だ。お陰でポーランドに関する講座も知り、歴史や映画など知識を得た。ワルシャワからクラクフという古都(戦争で焼けない14C頃の建物がみごと)にも行く相談がまとまった。旧友とはいいものである。

さて10月7日夜ワルシャワ・フレデリック・ショパン空港に到着。真冬の寒さである。白い息で手を暖め乍らホテルにかけこむ。次の日はジェラゾヴァ・ヴォラにあるショパンの生家に遊んだ。

(写真1)庭園の中でポーランドの子供たちの遠足にぶつかった。子供たちはショパンの曲を静かに聴いているが私たちが近づくと「こんにちは!」と声をかけてくる。
(写真2)こんな遠くにきての日本語にびっくりしたが旅行中何回も「こんにちは!」を聞いた。戦時中に日本人がポーランドの人々をたくさん助けた事が親日の原因になっている、と偶然会った在欧の商社マンが教えてくれた。その方の話ではこの国は住みやすい国で4~5万円もあれば一ヶ月くらせるそうだ。「困ったらいつでもいらっしゃい。その代わり豆の入ったスープ、ジューレックなど同じものを
3日間食べて過ごすのが普通ですよ」と。これはガイドのモニカさんも同じ事を言っていた。これには考えさせられた。

9日からはいよいよワクワクの2次予選コンクールの始まりだ。
(写真3)これから
5日間は朝4時間、夜4時間毎日計8時間ショパンばかりを聴く。朝10時ピーンと張った空気の中、司会者がポーランド語で曲名を読み上げていく。一人50分のプログラムだ。一人目からさすがにうまい。1次予選を受けた80人を審査員アルゲリッチ、ハラシェビッチ、ダン・タイソン、アントルモン、ケビン・ケナー、小山実稚恵等が40人に厳選した18歳から29歳の方たちだ。日本人は一番多く、17人いたがすでに6人になっていた。私は旅疲れで眠らないために批評をノートに書きとめてみた。筆の音がすると親衛隊とみられる人たちがキッとにらむので気を遣いながら好きな所と嫌いな所などを書いていく。今回は、はっきり言って日本人は個性が感じられず音に魅力がなかった。端正に弾いていたのだがどこまでも音、音、音が大事、音の味が聴衆を惹きこんでいくのだ、と思った。今回の1位のロシア人、ユリアーナさんはアルゲリッチ以来40年ぶりの女性優勝者であった。彼女がヤマハのピアノを選んで弾いたのにはビックリした。私たちの憧れのスタインウエイでなかったので仲間同士「ヤマハで充分よね。」と訳の分らない事で喜んで帰ってきた。

クラクフは12日であった。26歳のポーランド人ガイドのモニカさんとは何回もパソコンメールでやりとりを重ねたので予定通り朝9時ワルシャワから特急列車に乗車。1日目にはバスでヴィエリチカの地下300Mの岩塩坑を見学。(写真4)
150M螺旋状の工事現場のような階段を下がっていく。するとたくさんのシャンデリアと幾つもの彫刻を備えた大部屋に行き着く。まるで巨大な蟻の巣穴のように大部屋がいくつも幾つも造られていて人間のなす力のすごさを知った。床もシャンデリアも周りの物すべて塩で出来ているが、汚いので舐めないように、とガイドさん。(確かにしょっぱかった)ここは13世紀から700年稼動していた。その頃クラクフはヤギュウ王朝の首都であったそうだ。

2日目はその頃のお城、ヴァヴェル城に歩いて行く。
(写真5)その中の教会に今年飛行機事故で亡くなったカチンスキーの立派なお墓も歴代の王と共に造られ、たくさんの人が献花にきていた。

(写真6)
帰りの列車から草原
(ポーランドは草原という意味もあるそうだ)に大きな夕日が沈んでいく美しい風景を見た。私はこの静かな国とショパンを愛する静かな人たちに又戦争などという愚かな事が起きないように祈らずにはいられなかった。

           2010 1125  奥田 智惠子

追記:ショパンコンクールの入賞者の演奏が視聴できます。 
視聴するには下の女性をクリックしてください。

  
       
そして画面左下の

賞受賞者のコンサート
 をクリックしてください。
演奏者を選択するには、右下のマイクの音声の大小のマークの
右をマーク(①の指す所)をクリックすると
演奏者と曲名のリストが出るのでそこから選んでください。

画面が小さい方はマーク②の指すマークをクリックすると全画面になります。

 2010/11/21                                              トマトのソムリエ


高校を卒業してから、何百回となく

新宿通りを行き来
しているというのに、

その後入苑したことがなかった


新宿御苑へ昨日行って来ました。

高校生の頃、よく行ったあの新宿御苑です。
              



樹木がのびのびと育ち、木々の葉も色づいて

都心とは思えぬ素晴らしい秋の景色。

入園料は200円。

卒業アルバムにも載っているプラタナスの並木が

朝陽を浴びて黄金色に輝いていました。 

                         (11/21) 

 

2010/11/13
                               高橋 芙久(Eクラス)

31日の若竹会総会が終わって京王プラザホルのクロークで同期の町田さんとともにお会いした
第五高女卒の大先輩のお話です。

「植木須美子さん」という方で1921年生まれの
89歳で現在新潟在住の女性。
その日31日から1週間横浜のJR港南台駅から
数分のところにある画廊で木版画展をしているのでもしよかったら見に来てくださいとのことでした。
 そこは私の家から車で15分位のところでしたので、時間をみつけて行ってみました。
植木さんは
私の顔も覚えていてくださってうれしかったです。

木版画はそれは素晴らしく心やすらぐ作品ばかり
で自然にほほえみがわいてきました。
そして画集や第五高女時代の授業中に
先生の目を盗んでかき集めた文やイラストなど
みせていただいtのですがどれも楽しく
驚くばかりのできばえでした。

彼女が第五高女時代に住んでいらしたところが
私の実家の番地と2番違いというご近所だったことがわかったり、私が新潟に疎開していたことなど
共通話題がいくつかあったこともあって3回も
画廊に通ってしまいました。

90歳が目の前というのにかくしゃくとして前向きに
生きていらして年寄りというよりむしろ若さを
感じて恐れ入りました。お話の仕方もとても品があってお顔もにこやかでお肌はつるつるしてとても
年齢には見えません。「かくありなん。」と
思いましたが足元にもおよぶことが
できそうにありません。 

                       (完)


           


                 
               案内のはがき

              植木先輩と一緒に

 2010/10/31
                 小出 瑞穂(Bクラス)

私達、秋の清々しい日(1014日、15日)に日光に行って参りました。

私達というのは写真に写っている左から松永まゆ薇子さん、小出、
(松永さんと吉田さんの雀友)、吉田祥子さんです。皆さん、
写真に撮られるのを嫌がられるので、これは貴重な一枚です。

14日に戦場ヶ原を歩きました。戦場ヶ原は40年近く前にいったきりですが、
そのときよりずっと素敵でした。せせらぎの脇の木道を歩きながら、
草紅葉を賞でました。その日は霧降の滝を眺めるレストランでランチを摂りました。


15日は東大の日光植物園と田母澤の元御用邸に参りました。
日光は東京から近いのに緑が深く、清流がいたるところにあります。



     
   富倉   茅根  お友達  中山 (旧姓)     

2010/9/30
                                西村周一(F組)

★8月25日~9月4日の日程で、サンフランシスコを皮切りにヨセミテ国立公園、ラスベガス、
グランドキャニオン国立公園と周遊。 同行のメンバーはいずれも大学同期生の親しい仲間7夫婦。
徳永夫妻も一緒でした。

9.11以降初めて足を踏み入れたアメリカ本土でしたが、入国手続きの厳格化、
機内持込み荷物の制限強化等々、矢張り煩わしさの増したこと実感。
国立公園は今回が初めての訪問とあって出発前から楽しみにしていました。
ゴールデンゲイト・ブリッジ:橋の袂まで行った
のが初めてなら、この橋(全長2,737)
渡ったのも初めてでしたが、この橋の完工が1937年
と知り、アメリカの技術力に脱帽。
食べ物は観光名所、フィッシャーマンズ・ワーフのシーフード・レストランよりも、
街中のベトナム料理店
蟹の方が遥かに美味でした。


            Golden Bridge

        ベトナム料理店の美味な蟹

ヨセミテ国立公園:サンフランシスコからチャーターしたバスで約4時間半かけて移動。
巨岩とジャイアント・セコイア古い大木の群れには瞠目。
春には雪解け水で遥かに迫力ある滝の光景でしょうが、残念ながら時期外れ。
それでも見応えはありました。広い公園内をシャトル・バスを使いながら歩いて見て周りました。

人気のアワニー・ホテル(=上高地の帝国ホテルに似た存在)にも1泊、よい想い出になりました。


エル・キャピタン(左)を望むヨセミテ渓谷

宿泊したアワニーホテル

ラスベガス:約30年ぶりのラスベガスは様変わりで「バブリー」の一語でした。
カジノで稼ぐのか、ホテル宿泊費の安いのには嬉しい驚き! 因みに、此処ラスベガスは過去10年間で
80万人増(1年平均8万人増)で現在は人口190万人と全米でも屈指の成長都市。
然し、皮肉なことにラスベガスの属するネバダ州は失業率が全米でも最悪の14%台とか。

ラスベガス~グランドキャニオン:往路はミニバンでフーバー・ダム(1931年着工、1936年竣工)、
Route66を通過して行きました。
写真で見るグランドキャニオンの光景が忽然と姿を現し、一同息を飲みました。
500~600万年という長い年月をかけて出来上がった途方もない大峡谷。
「地球の腸」と称する人も居るこの大峡谷は浸食したコロラド川の全長 443.2
km
平均的な深さが1,600
m、渓谷の幅は28.8km(=ガイドは東京~横浜間の距離に匹敵と説明)、
総面積160万
km2以上と、正に我々人間と言う存在の「何と小さいことか!」
と感じさせるに十分の迫力でした。

こんな荒々しい自然環境にも拘らず、リス、ミュール鹿、エルク等と遭遇しました。


       Hotel Bellagioの噴水

       グランドキャニオンにて徳永、西村

途方も無い大規模の自然、そして自然を保護する目的で世界に先駆けて制定された
最初の国立公園法は1917年に実施という意識の高さ。ヨセミテもグランドキャニオンも
豊かな自然を非常に清潔に保ちながら維持してるのには感銘を深くしました。 
同時に、原住民のインディアンを残虐な仕打ちで抹殺、追いやった歴史的事実に
アメリカの陰を見、類稀な先進技術を開発し、世界をリードしてきたパワーと合わせて、
アメリカの色々な断面を強く認識した旅でした。
 日本人は矢張り草食系人種なのかな?(完)

 2010/7/30
                           小出瑞穂B、中山祥子D、桑田治子F

桑田さん、吉田さん、小出の3人は
スイスツァーに参加しました。
松永さんも参加予定でしたが、
健康上からキャンセルしました。

日頃、晴れ女と信じている
吉田さんに祈ったせいか、
そのとおりスイス滞在期間中晴天でした。

3大名峰(ユングフラウ、マッターホルン、
モンブラン)はすべてくっきり見えました。

美しい山々と可憐な花々を見ながらの
ハイキングも楽しゅうございました。
ルツェルン、ジュネーブは湖があり、
絵にあるようなきれいな街でした。

日常生活から解放され、きれいな
景色に浸った8日間は
あっという間に過ぎました。

                  瑞穂 記


ユングフラウヨッホ(標高3454m)にて

73日~10日 スイスアルプス三大名峰と
氷河特急の旅に行きました。

鳥のさえずりで目が覚め、ユングフラウ、
マッターホルン、モンブラン、
山に咲き乱れる花々、
一つ一つの場面が心にしみる旅でした。

                  祥子 記

      朝日を受けたマッターホルンの勇姿 5:48


特にモンブランを観に行った時は、
この世のものと思われない
 天地創造?の瞬間?
今でも思い出すとジーンとくる景色を見たのは
初めての経験です。
モンブランの上にま~るく虹が出たのですから。
私達何もかもラッキーでした。
                
                 
 治子 記 


     


アレッチ氷河を背景に小出、  桑田、  中山

 2010/7/28
                             池田京子
(A組)

斉藤(沼)慧子さんから「大画面TV購入したので一緒に楽しみませんか」との嬉しいお誘い。
横浜市の小高い丘の上にある斉藤さん宅まで登って(笑)行きました・・・。
HPのハイキング報告写真で見かける元気いっぱいの同期生達が羨ましいとため息つきながら。 

メトロポリタン歌劇場で収録されたオペラ「タイス」を大画面で視聴、
ドミンゴによる衣装などの舞台裏解説も興味深く、
「タイスの瞑想曲」の素晴らしい音色に皆でうっとり。


ワインの酔いが残っているうちにと池田の下手なフルートを聞いていただき、
(次回はオカリナ・ヴァイオリンの参加も予定)いよいよおしゃべりタイム
の始まりです。久しぶりに会ったのに、たちまち話しに花が咲く気の置けない
同級生の有難さを実感しながら。

元気に仕事を続けている人・仕事の経験を活かしボランティアをやっている人・
趣味を楽しんでいる人・・・・。

それぞれに輝いていて、心地よい刺激を受けたり与えたり。時間が経過するのが
残念なくらいにおしゃべりは最後に行くほど盛り上がって、お別れが惜しかったです。

皆さん各自いろいろのグループとの付き合いがある中で富士校の仲間は格別ね!
との認識をあらたにした集まりでした。

          
              後列左から  斉藤(沼)慧子・植木(中谷)紀代・阪本(熊倉)都紀子            
        前列左から 池田京子・高橋(建部)芙久・松尾(大島)淑子・浦木(前谷)祀子



                          
                                      フルート演奏中の池田さん  

                2010/6/8
                                             徳永興亜(F組) 
6月8日富山合宿の帰途、ゴルフ組以外の8人が2台の車で、
どこか寄って帰ろうという事になり軽井沢レークガーデンが
候補に挙がりました。
軽井沢に行くなら、木村(平沢)清子さんの店に寄ってみよう、
ただこの日は確か営業をやっていないと
HPで見たような気がしたので、彼女に電話したところ、
8人行っても大丈夫という事になり、
急遽『長倉カフェ』を訪問しました。
今まで、何回か訪問した事はありますが、
いつも、他のお客さまもいらっしゃって、
彼女はお喋りする暇などなく、大変忙しく働いていました。
今回はたまたま、お客様が我々だけになった時間があり
見えない苦労話を聞き感動しました。
空気のきれいな、美しい自然に囲まれてのお仕事は、
都会の喧騒の中の我々には羨ましい限りですが、
経営は必ずしもeasyでは無い事も多いそうです。
みんなでエールを送り、頑張っていただきたいと思いました。

一緒に写真も撮れました。 木村ご夫妻有難うございました。

予定以上に長居してしまって、お天気が下り坂、夕闇も迫り
ガーデンには寄らずに 一路東京に戻りました。

 
   美味しいケーキと飲み物で歓談しました。
                
            (右から2番目
清子さん

       優しいご主人と二人三脚で頑張っておられます。


 後日、清子さんから下記メールが来ました。

皆様へ 先日は、遠くまでいらしていただき、
本当にありがとうございました。
写真も送っていただき重ねて、ありがとうございます。
御礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。
こちらは、夏の賑わいまでは、まだまだ遠く、
店にはお客様も少なく、静かな日々ですが、
繁忙期を控えて、せっせと仕込みをしている毎日です。

雨が続いて、辛抱の季節ですが、
皆様、どうぞ、くれぐれも、ご自愛ください。

 ありがとうございました。 木村 清子

  2010/5/28
                            山岡靖子(B組)

浦木(前谷)祀子さんの草木染展へ行って来ました。
ちょうど彼女も会場にいて染めの話をいろいろ聞けました。
化学染料で染めたものと違っていかにも自然素材を使って
染め出したらしい中間色が素敵でした。祀子さんは
長年続けた日本語教師の仕事を退いて以来、前にも増して
精力的に草木染に打ち込んでいるようで、のれん、
タペストリー、テーブルセンター、マフラー、セーターなど、
様々な種類の作品を出品していました。ピンクとベージュを
基調にしたチェックのマフラーはご自分で染めた糸を
自ら織り上げた力作で、完成までに一年を要したそうです。

彼女が染めた小豆色の絹のストールを購入いたしました。
いったん藍で染めた柔らかな風合いの絹の布を、
更に蘇芳(すおう)で染め上げたものだそうです。
微妙な色合いと手作りの暖かさが気に入りました。

    
 浦木さんは随分長く、草木染め、編物をやっておられるそうで
 18人の仲間と昨年同様、市ヶ谷のギャラリーで
 作品展を開催されました。(5/30まで)


中心上と下の暖簾が前谷さんの作品


会場での浦木(前谷)さん

中心のが毛糸を染色し手編みでの前谷さんの作品

 2010/5/19
                              堀尾真紀子(A組)

 先週、土、日、月と平城遷都千三百年に湧く奈良、飛鳥に過ごしました。

大遣唐使展、キトラの四神獣展、新平城宮…とどこも行列、行事もいっぱい、
それらはどれも見応えがありましたが、
16日夜、飛鳥の村ですばらしい光景を眼にしました。

下の写真は二上山に上がる月、そしてその上光るのは金星です。 
あまりの美しさに声もなく見守りました。

今週の土、日もまた飛鳥行きです。

行事の中の私の役割は「古代の色彩と染織」の講演、
飛鳥は今、緑かがやく好い季節、何度でも通いたい心境です。

    
  
                           2010/1/27

          永江利康(E組)


昨年の11月後半から3週間恒例のヒマラヤに

トレッキングに行きました。

今回は、エヴェレスト街道の終着点
カラパタール(5,545m)まで行ってきました。


永江君は、近年ヒマラヤ好きの仲間と何度か、
ヒマラヤに登っているそうです。
湯河原ハイキングに参加しますので、楽しい話が聞ける
かもしれません。(HP管理人)


          Himaraya01

          Himaraya02

          Himaraya03

  2009年12月16日
                          荒木 義雄
 誘われて2泊3日の京都の旅に出かける事となった。
目的は鞍馬寺と貴船神社参り。旅行会社から送られて来たパンフを
見るとラッキー。到着日翌日は嵐山花灯路開催初日となっている。
二日目の予定決定だ。
一週間前の週間天気予報によれば初日、
二日目とも雨。
今から雨予報なら晴れるだろうと安心していたら前日になって
やっと曇り後雨予報に。何しろ昔は「雨男」の異名を持つ小生も
今は立派な「晴れ男」。
この数年間ゴルフで雨に会った事がないのが自慢だ。と言ったら、
それは晴れがはっきりしている前日予約と当日の飛び込みの
せいでしょ。と揶揄が入る。ん、確かにその通り。
でも富士高コンペに二度参加したけれどいつも晴れだ。
まあ1回は強風注意報が出る程の強風が吹いていたけれど。。。

]当日曇天の京都到着。早速叡山電鉄で鞍馬口へ。
この電車は2両編成でバスと同じワンマン電車。乗客は一番前、
運転手の後ろの扉から運賃を運転手に払って降りる仕組みだ。
シーズンオフでしかも平日のこの日、終着間近の2両目は
我々の他無人。そうだ写真を撮ろう!デジカメを撮り出し
電源オン。オン。反応無し。
あれっ!あわててバッテリーチェック。あるハズの物が、
確かに数日前に充電したばかりの電池が入って無い!!カラ。

ショツク。いや待て、ここはポジティブシンキング。何てラッキー。
もし山の中で気付けばカメラは唯のお荷物、
電車の中で気が付くなんて今日はついてる。
駅前で電池を買えばいいのだ。でもこれボケの始まり?やばい、
ボケ封じの御願いもしなければ。

 大きな天狗の面が出迎えてくれる、ひなびた山すその小さな駅。
昔の駄菓子やさんを思い出す土産店が二つ、三つ。
「ゴメン下さ~い、単三電池有りますか~」「
350円です」。
やっぱり日頃の行いは正しくしておくもの。こんな時に
報われるのだよ。と自賛して、いよいよ鞍馬入り口仁王門へ。

 入山入り口から二つのコース選択がある。ケーブルを使って
1kmの登りセーブかそれとも歩いて鞍馬の火祭りで有名な
由岐神社を経由して行くか。でも悩み無用、
「本日点検の為、ケーブル運休します」の看板。
由岐神社入り口に
「これより神域」とある。霊気深深、そして巨大なご神木。
染み付いた邪気を払えそうな感じ。

貴船に向かう山道は仁王門から頂上付近まで約1.5Km
250
m登る事になるらしいが、その殆どが階段。当初予測して
いなかったので数えていないが数百段はあったに違いない。
さすがに紅葉も終わったシーズンオフ。殆ど人影を見る事がない山道を
ぜいぜい言いながら登って行くと
上から外国人カップルが爽やかに下りて来る。「ハーイ」と挨拶。
「コンニチワー」と返事。これって良くある光景かも!
途中木の根道というのがある。岩盤が固く地下に根をはれない杉の根が
地表に張り出しているのだ。
わずか
5cmの段差に躓く私には危険地帯だ。牛若丸はここで兵法の
稽古をしたらしい。
弁慶との立会い時や八艘跳びで見せた身の軽さも納得出来る。

大杉権現あたりからやっと下り道となるが奥の院魔王殿を過ぎると
急な下りの階段道が始まる。
既に足の筋肉は震え始め親指の付け根に痛みが走る。
我慢して慎重に歩を進めて行くとせせらぎの音が聞こえ始めた。
貴船川。
いよいよ貴船到着。既に時刻は1時を廻っている、
先ずは食事。しかし、しかし、
「本日休業」、「本日休業」
どこのお店も「本日休業」だらけ。
オフシーズンの平日のせい? 有りました。
開店の店、高級料亭?6千円メニュー。
取敢えずお参りを先行。貴船神社、中宮、奥宮とお参り。
いつもは運行されているバスもこの時期は週末のみとか。
きっとこの先、庶民向け食事所があるハズと
叡山電鉄貴船口駅まで約2
kmを歩いて行く。有りました。
やまかけソバ
1200円。こしがあり黒っぽい色の貴船ソバに
天然山芋は丸餅のようにぽってりと丸まっている。
うまい、大満足。そして「おおきに」という娘さんの京言葉。
いいね、アクセントが伝えられないのが残念。

鞍馬、貴船、神域の旅は心地よい疲労と満足の旅。
日頃の行いが占なわれた旅でもある。

「行いは 中くらいかな 我が評価」

エピローグ
翌日、足の筋肉痛がひどい。いつもなら忘れた頃にやってくる筋肉痛。
翌日に出て来るとは若返った??それとも神域に浸ったお陰??
取敢えず本日の嵐山散策は頑張らねば!花灯路たのしみ。
(終わり)




   鞍馬寺仁王門


 
 鞍馬寺奥の院魔王殿



鞍馬山といえば、やはり天狗様



源義経も歩いた木の根道

   2009年12月10日
                      トマトのソムリエ

50年という気の遠くなるような時の流れの末に、僕たちは再び出会えた。

杉並区立高南中学校の学び舎から一斉に大空へ飛び立った "幼鳥" が、
先月11月21日、夕闇の迫る新宿へ舞い戻って、初めての同期会が開かれたのである。

 先生6名に同期生38名の総勢44名の紳士淑女(?)が集い、実に50年ぶりの"ご対面"
実現した。直ぐに分かる方もいれば、先生かと見間違えてしまう方もいて千差万別。
半世紀の歳月は人当てクイズを一層難しくさせたが、それもつかの間、話していくうちに
昔の面影があぶり絵のようににじみ出てくる。
 時には、母校の会議室をもお借りして打ち合わせを重ね、ようやくと開催に漕ぎつけた。
幹事の一人が経過説明の中で、富士高へ行かれた女性たちの頑張りが大きかったと、
ねぎらいの言葉を述べる一幕も。

因みに当日出席した富士高の女性は佐藤田鶴子(B)さん、小栗多美子(B)さん、
若月睦子(D)さんのお三方。さしずめ彼女たちがテーブルを飾るメイン・ディッシュの
大トロ(?)なら、僕は刺身のつまという存在。富士高の男はいつになっても肩身が狭い。

 思えば佐藤田鶴子さんに「50年に1回なんだから ! 」 と頼まれ、しぶしぶ幹事役を引き受けたが、
終わってみれば、"やってよかった、会えてよかった"の一語に尽きる。
高校の同期会とは又、ひと味違った愉しい会となった。
昨秋、富士高の同期会が開かれた折、同じ中学の皆さんと親しく話す機会を得たことが、
この「50年目の同期会」につながったようだ。
                               (完) 
                      


  
2009年10月8日&2009年11月6日                         文:野口(溝口)博子   写真:柴田(沼生)貴美子
今日は強い台風で心配です。大事にならないことを願っております。
春のハイキング時に情報公開(?)のお話がありましたので、投稿しました。

9月中旬、川船(加藤)紘子さん、下田(山内)汎子さん、柴田(沼生)貴美子さん、
そして私の四人で、初秋の富山を旅行しました。
 (北前船で栄えた岩瀬浜・井波の瑞泉寺・国宝瑞龍寺・高岡古城公園など)

それは昨秋の「同期会」や、今春の「高尾観桜ハイキング」で、
釣巻さん、加藤さん、山内さん、沼生さん達と
お話したことから始まりました。

高校時代の一時期、同クラスだったとは言え、ほとんど?接点もなかった私からの
突然の旅行話に、
加藤さん山内さんが快く応じてくださり、沼生さんも参加となって話が進みました。

現地での「ミニ同期会」開催をお知らせした釣巻さんは、先約の旅行がおありで、
残念ながら不参加となりました。

東京駅の新幹線ホームで合流出発、翌日の夜には解散という一泊の旅でしたが、
同期のよしみもあり、天候にも恵まれた、思い出深い楽しい二日間となりました。
ご一緒くださった皆さん、本当にありがとうございました。
感謝しております。(野口 記)

108日の談話室で野口(溝口)博子さんが富山旅行について投稿をなさっておりました。
写真は柴田が送ることになっておりました。遅くなりましたが投稿いたします。 
(柴田 記)


917日富山に到着後、岩瀬浜の近くの
薬膳料理屋さんで昼食。 
その後、岩瀬の町並みを見学しながらの
そぞろ歩きをしました。

高岡の国宝瑞龍寺にて。同行者4名で記念撮影。
この旅は、偶然にも4名とも2年D組のメンバーでした。
   左から旧姓  山内、加藤、溝口、沼生
 




井波の瑞泉寺。伽藍彫刻で有名。(下田さん撮影) 







 

  高岡古城公園 :慶長14年(1609)、
  加賀藩2代藩主前田利長公が開いた高岡城は、
  大阪夏の陣の後廃城となりました。
  しかし、美しい水濠や土塁は残されて、
  約21万㎡の広大な城跡公園となり、
  四季それぞれに鮮やかな自然美を見せてくれます。
        (高岡市観光協会HP)

    2009年10月31日
                                 石川 勇

 初投稿です。
4年に1回の同期会に、数回参加しました神戸在住の
1年生の時、B組(桃原先生)の石川です。

 この度、熱海で大学の同窓会があり、そこから前日に徳永君に連絡したら時間があるなら明日会おうということになった。
折角なので、突然で無理かもしれないけど、
1年B組の女性を誘おうということになり、新宿で開いてくれたのが、このお昼の会食です。
永遠のマドンナ(山岡さん、金子さん)に声かけていただき、
昔話に花が咲き、それは楽しいひと時でした。

当日は、台風の雨の中、私(雨男)のために集まっていただき
感謝、感激でした。
チャンスがあれば、HPに紹介されている行事にも参加したいなと思いつつ夕方の新幹線で帰ってきました。
          
          10月26日


 
 左から 徳永   金子  山岡    石川

         新宿 小田急デパート 
        和食 膳菜 さがみ にて
 2009年7月31日
                     徳永 興亜
◆西村君の学生時代のクラスメート古矢さんの好意で、
 BS日本・心の歌の収録を見学した。
 実は、僕は3度目です。
 西村君は用事があり欠席だったが、山岡(C)さんと
 浦木(E)さんの3人で、渋谷でLunchの後スタジオに
 向かった。
◆収録は、大変な時間がかかる。 スケジュールを
 見たら早い人は7:00から、写真のフォレスタの
 女性のメンバーは 9:30からスタジオに入り
 終わったのは今回は18曲夜中の1時だったそうです。
 我々は、14:00-18:30まで9曲の収録を
 見学しました。
◆番組を見たことがある人も、あるかと思いますが
  BS日テレで  毎週月曜日 22:00から22:54
 日本のなつかしい名曲を聴かせてくれます。
 画像もややレトロなナレーションも素敵です。
 僕も、家では見るだけでなく大きな声で一緒に画面を
 見ながら歌っています。
◆我々の世代は皆知っている歌を若い世代の人たちが
  歌ってくれるのが、うれしいと同時に 別の新鮮さも
 あり ます。 彼女等は、理解できにくいおかしい歌詞にも
 遭遇しているのかもしれません。
 ◆歌の好きな皆さん 一度月曜の夜 BS日テレに
  チャネルを合わせて見てください。

 
 こんなに多くの美女に囲まれて写真を撮ってもらったのは
  はじめて
    ご機嫌です!!





コーラスグループ フォレスタについては、
現在は
 
BS日本テレの月曜 夜 毎週放映しています。

  2009年6月17日
                   渡邉 武

1.多古町

 今年の615日(月)に梅雨時のうっとおしい気持ちを
吹き飛ばそうと、香取郡多古町へ、あじさいの花を見に
行って来ました。
人込みを嫌って前日のあじさい祭りをあえて避けて
この日にしたのですが、途中車の中で聞いたラジオの
ニュースで、この日が千葉県民の日であることを知り
がっくりしました、案の定、目的地 の道の駅
「多古 あじさい館」の駐車場は満車でした。
しかし、あじさいは、川の両サイド2kmに咲いていたので、
堤を歩く人はまばらでした。あじさいの株数は、10,000株
だそうです。 栗山川から直ぐ近くのあじさい寺と言われている
日本寺へ、ついでに寄って見ましたが、私が行った時は、
数組の観光客にしか会わず、むしろこちらの方が本命の
栗山川沿いのあじさいよりも風情があり、得をした感じでした。
日本寺は、日蓮宗の檀林(仏教の学問所)であり、
あじさいが8000株が植えられています。


    多古町栗山川沿いのあじさい

   ②多古町日本寺の参道のあじさい

   ③多古町日本寺山門傍のあじさい


 服部農園あじさい屋敷のあじさい
 
 2.服部農園あじさい屋敷(訪問日 2005.6.14




茂原市にある個人の農園ですが、

200種、12,000株のあじさいは、

私が見たあじさい名所の中で、

一押しです。

    


.麻綿原高原(訪問日 2004.7.7) 

大多喜町と天津小湊にまたがる標高340mのところにあります。

平地に比べて開花は半月ぐらい遅く、通常見頃は7月上旬です。

天拝園と呼ばれている妙法生寺の境内を中心に2万株の

あじさいが咲き、ほとんどが日本あじさいで、

西洋あじさいのような華やかさはありませんが、

淡い青色が一色だけで高原一面に咲いているのは壮観です。
  



            麻綿原高原のあじさい  

                   2009年6月2日                               徳永興亜
今日は横浜の開港150年の記念すべき日、

HPのWhat’s Newでも紹介している、堀野君から

案内のあった伊能忠敬の完全復元伊能図のフロア展と

手許に入場券があった日本丸とみなと博物館の見学を兼ねて

久しぶりに、運動不足を補うつもりで横浜に一人で出かけた。

桜木町で下車、動く歩道わきの繋留された練習帆船

日本丸の船内を見学、54年間に11500名の実習生を

育てたそうです。東京商船大学の練習船だった期間が

一番長いはずです。同級生の現在パイロット:山岡君(C)も

その中の一人だと思いながらの見学でした。

          ★会場繋留の日本丸
その後、横浜みなと博物館で横浜港発展の歴史を学びました。

今日は、横浜市の小・中学校は休校の為沢山の親子連れで

賑わっていました。社会科の勉強には役立つ博物館でした。

右は、館内撮影禁止とは知らず入場前館外から

映した写真です。それでも、シャッターが光ったので、

係員から叱られました。 何故駄目なのか? と聞いたけど 

『海外は美術館でも写真OKの所が結構ありますよ』
と言ったら、『へー、そうですか』と言いつつ、決まっているから
駄目なのですとしか言われませんでした。

写真は没収されなかったので、お孫さんを連れていくには

いい所だと宣伝しておきましょう。

           ★みなと博物館
 
★フロアーいっぱいの日本図に立つ案内役? 堀野君
そして、本日の訪問は、既に皆さんに紹介した
  ここを
クリック

伊能忠敬のライフワークの伊能日本図を見に、堀野君が
現場にいると聞いた大桟橋ホールに行ってみた、
フロアーいっぱいの地図と色々なパネルの展示を見せて
もらい、帰りには近くのレストランでお茶をご馳走になり

帰り道は本日オープンの象の鼻パークから、
横浜港のエキゾチックな素晴らしい景色を見ながら、
1人で来るのはもったいないと思いながら、
家路に着きました。


この記事を見たら、5日までやってるこの会場を
訪問してみてください。堀野君が、左の会場を
案内してくれます。彼は長い間、日本地理院関連の
仕事をしているスペシャリストです。

                 2009年5月31日
                                         渡邉 武

         鳳台院のシャクナゲ


今年は、桜の花が長持ちしたため、その後、

春の花が一斉に咲き始めました。

各種の花の満開のタイミングに合わせての訪問は

大変忙しかったです。


       ①本堂の垣根の石楠花

   ②世界一大きい達磨大師の像と石楠花

     ③境内に植えられた2万株の石楠花

ゴールデンウイーク前は、柏市内でチューリップ、芝桜、牡丹、

藤、つつじ等を鑑賞し、連休明けの5月11日に、

昨年よりお気に入りに登録しておいた茨城県笠間市にある

鳳台院の石楠花を見に行って来ました。

今回は鳳台院の石楠花に絞った写真を掲載いたします。

従来私が見た石楠花は、登山、ハイキングで見た

野性のものが多かったのですが、

今回は、それとは違って人手をかけて植えられたものです。


   
    ④赤とピンクのコラボで咲く石楠花

     ⑤真っ赤な情熱的な石楠花
 
ここは石楠花寺と言うよりも、石楠花園といゆう感じ
でした斜面に2万本植えられている
石楠花は壮観でした。


写真では全貌を伝えられないのが残念です。




                2009年5月20日
                                         奥山劭成

行って来ましたよ。3月末カンボジア & 4月初旬韓国。        (富士高時代の奥山君)
それぞれ5日程度の短期間でしたが、月末月初の自社の経理処理を慌しく挟んで楽しんできました。

★カンボジア(アンコールワット)

出発日は仙台この冬最後の名残雪の降る零下の世界から、30度の高温多湿の国への旅立ちで、服装の選択に頭を
悩ましましたが、結局Tシャツを何枚も重ね着し、気温の変化に伴い1枚ずつ脱いでいくパターンで対処しました。

実は3月に入ってから、今年スキーを始めた孫たちにせがまれて皆にスキー一式を買ってあげるついでに、10年前に
すっかり足を洗った我々夫婦もウエアを含め一式買い込み再開したのです。無論以前のようにガンガンとは
行きませんが、やってみるとやはりすごく面白く、結局蔵王2回・安比1回と毎土日出かけていました。
すっかりスキーモードになってしまった我々は、なんとなくアンコールワット熱が冷め気味で、出かける前日まで
準備する気になれない有様でした。

現地は予想を上回る蒸し暑さでした。(6月以降はもっととんでもないらしいですが)
遺跡自体はそこそこでしたが、いまだ過去の内戦の後を引きずっており、何処に行っても汚く貧しく、
心が浮き立ちませんでした。

教育レベルが低いので仕方が無いのでしょうが、現地ガイドの質もレベルが低く、又、北朝鮮の工作の手が
入っているようで(これはあくまでも小生の感覚だけです)、時折「かなり洗脳されているのでは?」と
思わせる発言があったり、政府の力不足を反映して何でもありの状況をみると、先行き危ない国に
なってしまうのでは?と心配になりました。

★韓国

20数年ぶりの韓国が、どのように発展しているのか楽しみでした。

前回はまだ小中学生だった娘たちを連れての全くの個人旅行だったので、ソウルの町をぶらぶらしただけでしたが、何処に行ってもニンニク臭に悩まされ、町はいたるところ工事中で、戦後の日本さながらの状況で、あまり良い印象ではなかったのですが、今回はまず1年前にオープンしたインチョン国際空港に感心し、街が大都会に変貌していることにも驚きでした。経済的にも他の面でも「力をつけたな~!」と実感しました。

人々もすごく明るくなり(前は、話しかけても返事をしない人が多かったのですが)又、近年盛んな一般人レベルでの日韓交流のお陰で、日本に対するアレルギーも随分薄らいでいるように感じました。

ガイドの質も高く、又、日本をよく理解し好きであることが伝わってきて、楽しく気持ちの良い旅になりました。でも日本に対する対抗心は半端でなく、日本で「十六茶」があれば「十七茶」を作り、24時間営業の日本コンビニに対抗して25時間営業(どうやって??)をうたうコンビニを造ってしまうんだとの笑い話も聞きました。

桜はいたるところで満開でした。韓国固有の桜もあるとのことですが、今は在日韓国人が里帰りのたびに持ち込んだソメイヨシノが至る所に増やされ、さすがに古木は無いのですが、何処でも桜街道が続いていました。韓国では以前は日本統治時代の悪い印象があって、あまり桜は好まれなかったようですが、今は素直に桜のよさを愛でているようです。ただ、日本のように花見宴会の風習は全く無いようです。

最近、韓国旅行のリピーターが多いと聞いていましたが、成程!と納得させられるものがあり、アプローチの手軽さも含めて我々も「又気軽に来ても良いね~」といいながら帰ってきました。 (完)

HP管理人後記
 本来HPに投稿目的ではなかったものを、無理にお願いして訪問記にさせてもらいました。 海外に遊びに行かれた方は
 その時の雑感や写真を添えて投稿いただくと、談話室での会話の肴になってまた輪が広がる事を期待しています。


 2009年4月23日
                                沼生貴美子

423日に高尾のお花見の続きとして、個人的に新宿御苑に八重桜とハンカチの木を見に行きました。

    
 散り始めた八重桜


 八重桜
都心にあのようなオアシスがあるのは嬉しいです。
とはいえ、何年振りでしょうか。

お目当ての八重桜は終わりかけていました。
今年は昨年より1週間ほど早いようです。

しかし花びらの絨毯がきれいでした。

ハンカチの木は咲き始めていました。
風に揺られて気持ちよさそう!

白いのは葉(苞)で、
中にある黒っぽいのが花です。
ハンカチの木は小石川植物園が有名ですが
木が大きく、御苑の木のほうが花が良く見えます。

このほか、ユリノキがちらほらと咲き始めていました。
例年はゴールデンウィークに咲き始めますが
かなり咲いていました。

(2,3日後、国立博物館の正面にある
大きなユリノキは一、二輪でした。)

みどり色の桜で有名なギョイコウも終わりかけていました。

つつじはこれからが見ごろかなといった状態でした。

嬉しかったのは
オオヤマレンゲが咲き始めていたことです。



   ハンカチの木





   ユリノキ


         これからが見ごろの、御苑のつつじ

         ギョイコウ

       オオヤマレンゲ

                                   

 

2009年4月8日
                                渡邉 武(記) 


    今年(4月上旬)は、近場(家から10km以内)の桜を訪問、楽しみました。


写真は、私の家から100m(歩いて1分)
以内のところにある町内の桜です。

今年は、この桜の下で3月29日に自治会の
桜祭りを行ないましたが、開花後寒い日が
続いたため、その時は2分咲きでした。

この写真は、1週間後の4月5日のものです。

写真は、家から2km(自転車で10分)のところに
ある旧吉田邸の門の両側にある桜です。
(畑へ野菜作りに行く途中に、この桜があります)
 旧吉田邸は、ウインブルドンテニスダブルス優勝者
の沢松和子の嫁ぎ先です。
2004年に吉田邸は柏市に寄贈され、
現在、建物周辺の整備もほぼ終わり、
近々市民に一般公 開される予定です。
写真は、家から5km(車で10分)のところにあり、

関東3弁天の一つである布施弁天の桜です。

隣接しているあけぼの山農業公園の方が
桜の名所として有名ですが、
花見会場となっており露天商の店が風情を
壊しているので
今回は、写真紹介からは外しました。
写真右は、家から10km(車で20分)の所に
ある清瀧院の枝垂れ桜で、
樹齢400年と言われています。

場所は、流山市名都借にあります。
この写真は満開から5日程過ぎた時の
写真で、多少花が散り始めていました。

 紹介写真は全国的に知られた名所、
銘木の桜と比べると見劣りしますが、
人ごみのない所で桜を楽しめるので

満足しております。
(終わり)

    2009年2月5日                                       山岡靖子(記)

   
村山さんの航空写真を見て現在の富士高をこの目で見たくなり、春の暖かさに誘われて
ふらりと行ってみました。

母校を間近で見るのは40数年ぶりでした。
校庭の位置も建物もあの頃とは本当にすっかり変わってしまったのですね。
敷地は東西にかなり細長くて、
奥行きは昔思ったほどないんですね。
校庭の向こうの木造校舎の裏にちょっとしたスペースが
あったような気がしていたのですが。


 
西南の端にある通用門から見上げた校舎。
こんな綺麗な校舎でもう一度勉強をし直せたら・・。




ちょうど願書の受付期間中だったので保護者
みたいな顔をしてずんずん中に入って行くと、
「願書交付控え室」なる教室に行き着きました。

緊張した面持ちの子供たちがぎっしり座って
順番を待っていました。

思えば私達14回生が入学したのは
今からちょうど50年前の春でした。
今は昔のお話ですね~。


 
 ・正門は南側道路沿いの、昔よりやや奥まった位置にあります。
   2008年12月20日
                                       村山樹徳(記)

◆晴天の1126日、富士高     
 上空から訪問しました。     
昔の面影は写真右の赤屋根の
体育館が同位置にとどまるのみ、
校舎とグランドは東西に入れ替わり、プールと校舎中庭のテニスコートは北側に移っているようです。
天文台は伝統なのでしょうか
再建されています。
長い長い年月の経過を感じますね・・・。

当時の富士高は、私達の思い出の中に残るのみとなったようです。            


写真A: 中野通りの文字の上の赤い屋根が体育館
             
HP管理者より、追記
秋に、初めて同期会に参加してくれた、村山君(E)は、静かだった
印象がありますが

 『62
歳で、子供の頃の夢だった
   飛行機の操縦免許を取得し、  空の散歩の途中に
   富士高上空を飛んだ
という冒険野郎です。
羨ましい限りです。

別に彼からは、こんなコメントを頂いています。
平凡で平穏な日々のこの一年でしたが、
私にとって最高の出来事はやはり同期会でした。忘れられない思い出の年になることでしょう。本当に有難うございました。


写真B:写真Aとは反対側からの撮影(左下は立正佼成病院) 
左から 赤屋根の体育館、グラウンド、右に校舎
  2008年11月25日    
                                 金子昌子(記)

10月の富士高同期会で再会した杉並区立中瀬中学卒の私達。

池田さんのタイムリーな企画で50年ぶりに(半世紀です!)
恩師田中(旧姓谷口)先生を囲んで一時を過ごしました。

53年前、中瀬中学から7人が富士高へ入学。
その後 別々の道を歩み65才になってやっと全員が集合出来ました。
谷口先生は私達の10年先輩です。
2年生の時に富士高が共学になりお手洗いの改築に始まり、
上級生達がイケメンを見付けて”付け文”で積極的にアタックするなど大変な騒動だったとか。

若き日の秩父先生に国語を(怖かった!とのコメント有り) 
清水先生に音楽を(コーラスに熱中)教えていただいたそうで、
懐かしい先生方のお話しに花が咲きました。

とても真面目で どんな質問にも まず天を仰いで”ウーン”と一言、 
間を置いてから哲学者のような表情で真剣に答えて下さった谷口先生、
今日は笑顔と共に次々に愉快なお話しが出てきて 50年の歳月を感じました。

現在は視覚障害者の為の音訳に御活躍です。良き恩師であり先輩をお手本に
私達7人も最後まで充実した人生を送ろうと思いました。

(ランチの後 お茶だけで3次会まで楽しめた事、お酒の好きな私には嬉しい驚きの初体験でした)
  写真  撮影池田 
  
    後列 池田京子(A)・大森玲子(E)・番場暢子(E)・金子昌子(D) ・野口素子(C)
   前列 村木芙美(E) ・谷口共子(恩師・富士高先輩) ・中谷紀代(E) 旧姓・敬称略           

 (20081022日~24)
                              山岡靖子(記)

初日:兼松真琴さんと東京駅で待ち合わせ、
東北新幹線に乗っていざ志津子さんの住む仙台へ

志津子さん手作りの菜園で里芋と大根を収穫し、
広いお庭の一角にしつらえられた大きなカマドに
火をおこして野外芋煮会を楽しみました。
掘りたてのお芋の美味しかったこと!

二日目:早朝、夜行バスで駆けつけた金子昌子さんが仙台駅で合流。
4人で日帰りバスツアーに参加しました。
行き先は八幡平と玉川温泉。
「錦秋の乙女達」は目のさめるような紅葉を満喫しました。いかにも湯治場といった感じのひなびた玉川温泉には一同びっくり。酸性の強いまずい源泉もちゃんと飲み干しました。戸外の岩盤浴場では医者にも見放された肺ガンが治ったという男性の話を聞くこともできました。

その夜も志津子さんのご主人を交えてお喋りに
花が咲いたのは言うまでもありません。

最終日:思いっきり朝寝坊し、志津子さん心づくしの朝食とお昼をご馳走になり、訪問組は三人三様の都合に合わせて別々の新幹線で離仙しました。

女学生に戻ったような楽しい、楽しい3日間でした


 ◆ロスからお芋を掘りに来た() 兼松真琴さん


   ◆晴れていれば鳥海山と日本海が
    見えるハズの八幡平展望台で
 
   真琴さん、志津子さん、昌子さん、靖子さん

  
                         20089月30日 夕方訪問
                                        
 徳永興亜(記)

今日は、A組 堀尾真紀子(旧姓:金子)さんの勤務先、新宿にある、文化女子大学の16階にある研究室を訪問しました。
彼女は、簡単に紹介すると、現在、文化女子大学 造形学部 の教授 です。
NHK 「日曜美術館」の三代目の司会者をされたこともあり、その後ゲストとしても出演しています。
学外でも大変活躍されている現役教授です。
研究分野は、美学・美術史 、文化人類学・民俗学で 、
個人研究として
◆中南米の染織についての研究
◆色彩とその文化背景
◆フリーダ・カーロとメキシコ現代美術
◆日本の染織についての研究
などがある。

研究室での堀尾真紀子さん


僕は、彼女の学校での事はよく知らないが、学生さんにはとても人気があるようです。
個人研究の中で、メキシコの画家 フリーダ・カーロについては、僕は以前は知らなかったが、彼女の著作を読んで大変興味を持ったし、今回訪問した時も、この著作の続編(?)の原稿作成が完了したばかりで、間もなく出版されるそうで、それも多いに楽しみです。
ご主人は、東大名誉教授で、僕は遊びの場でお会いしたことがあるが大変気さくな方です。

フリ-ダ・カ-ロ  引き裂かれた自画像
 堀尾真紀子  中公文庫(中央公論新社) 1999/02

本人からの話ではありませんが、お二人の出会いは、堀尾青年が、東大赤門で写生をしていた芸大生の真紀子さんに声をかけた ( ナンパした ) のがきっかけらしい。

真偽のほどは、同期会で確認されたら!!

会場での呼び名は、金子さんか、真紀子さんですよ!  先生は禁句です。

鏡の中の女たち  女性画家の自画像
 堀尾真紀子/文化出版局
  2002/12

 
     
                 2009年9月2日 午前 訪問
 
                               
徳永興亜(記)

かねてより電話にて、先生はお耳が遠いので、
お世話をされている方を通して、日時はお伝えしていましたが、
同期会の詳細案内と実は、96歳の先生がどの程度お元気か
心配だったのでお顔を拝見しておこうと
嫌がられるのを覚悟で自宅を訪問しました。

最寄りの駅まで行って、「近くまで来たので、玄関先で
結構ですので、お渡ししたいものがあるので、、、」と電話で
お世話をされている方の許可を得て15分くらいで着きますと
伝えて歩いて、番地を頼りに訪問しました。
少し道に迷って、20分後に到着すると、思いもよらなかった事
ですが先生は炎天下アパートの前に立って僕が着くのを
待っていてくださいました。
手を振って、近づきご挨拶をして同期会の案内状を
お渡し説明すると、しっかりとした口調で、
ありがとう、嬉しいわ、同期会に行くのが楽しみなの
 長生きしていて本当に良かったわ

心から、嬉しさに涙声で仰りました。
思った以上にお元気で、心配が吹っ飛びました。
 
それでも 当日調子が悪くなることだってありえますからと
言ってその場合に備えて、写真を撮らせてくださいと言って
写したのが96歳とはとても思えぬ、お元気な自宅前での
右の写真です。

皆さん 先生を同期会に招待するのは今回が最後だと思います。
会場に足を運び、筆談で結構です。 青春時代に還りましょう。

金子さん  秩父先生   児玉さん 徳永

  
  案内状をお渡しする。