写真集 4-皆さんからの投稿
≪あの頃はみんな若かった≫ と ≪お知らせ≫のページ
★わが同期生の、堀尾真紀子さん(Aクラス)は40年続いている、NHK日曜美術館の3代目の キャスターです。彼女は1982-83年の2年間、和田篤アナウンサーと番組を担当されました。 来週日曜日10/4のNHK Eテレで 特別アンコールの番組が見れます。 皆さん、生前の池田万寿夫氏と若き日の真紀子さんに会うことが出来ます。 特別アンコール番組 2015 10月4日(日)放送 Eテレ(教育テレビ)あさ 9:00~9:45
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日曜美術館40年記念 特別アンコール
ことし、放送開始から40年目を迎えた日曜美術館。それを記念して、これまで放送した回からよりすぐりの番組を、特別アンコールでお届けします。 いままでに「アトリエ訪問 岡本太郎」「私と鳥獣戯画 手塚治虫」 「私と八木一夫 司馬遼太郎」「私とルドン 武満徹」を放送してきました。 今回は、作家・版画家の池田満寿夫さんが染色家の芹沢銈介(せりざわけいすけ) の魅力を存分に語った番組。放送されたのは1983年7月です。 (NHKのHPより) |
在校生にキャリア探究の一環とした卒業生の講演会をすでに2回実施していますし、
しっかりホームページも作っています。
同窓会は同窓生が楽しめる場を用意すれば、それで、いいのだろうか?
いや、世代間交流を進め、先輩が築いた伝統を守り、後輩を支援するのが、
同窓会のもう一つの大きな役割ではないか。
そう考えて、学校への人的支援、学校との交流を進めたことが、雑誌でも評価されたわけです。
同窓会は学校や在校生に貢献できる。
富士高校の「いま」を、理事の方々はぜひ、自分の目で見てくださいね。
相川浩之
週刊ダイアモンド 8月15日 より
(図書館に行ったけど貸し出し中で追加情報が得られませんでした:HP管理人)
その中から、夜空に輝く赤い月に想いを馳せて
選んだ
部活に励んでいたころ、富士高の体育館の壇上に
古びた
夕まずめ音楽担任の清水先生が「月光」
を一心に弾いていたのは、ほんの昨日のこと。
★富士高同級生 青木 勤 君の水彩画展のご案内
オランダ・ベルギーの風景をテーマに第3回個展を9月30日から開催いたします。 会場でお会いできるのを楽しみにしております。 |
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★こころの玉手箱 2014/1/30 トマソム | |
何処かで見かけたタイトルだが、これは 紛れもなく 捨てられない性分で今もって後生大事に 取ってある。 思えば今から54年前の昭和35年、僕らが 17歳の頃の ”遺物” だ。 末尾の頁には、今と変わらぬ拙い字で 2年F組と書き込まれたクラス名の後に、 名前、生年月日、住所、保護者名、 担任教諭の欄が続く。 さらに頁をめくると時間割が出てきた。 たしか100分 単位の授業が組まれていたんだ。 |
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★『女性画家10の叫び』出版 堀尾(金子)真紀子さんの10冊目の出版がこの夏にありました。 HP管理人の怠慢で、ご報告が遅れたことをお詫び致します。 |
盛夏の候、お変わりなくお過ごしでいらっしゃいますか。 このほど岩波書店より『女性画家10の叫び』を上梓いたしました。 岩波ジュニア文庫は、若い世代に多岐にわたる専門分野を、わかりやすく語りかけています。その一冊に女性画家を加えていただいたことをたいへんうれしく思っております。 ご高評賜りましたらありがたく、ここに謹んでお送り申し上げます。 2013年 盛夏 (一部略) 堀尾真紀子 とありました。 小生読み終わりましたら、下北沢 聖葡瑠の蔵書としますので、皆さんにも読んで頂ければと思いますが、定価820円の200ページ単行本で、読みやすく、お子様、お孫さんにも有意義な本と思いますので、購読頂ければと思い、ご案内いたします。 読後の感想を、著者に送って頂くには、ここ ![]() |
◆おしらせ 5月22日(水) 20時~20時54分 テレビ東京の、いい旅 夢気分に、当店が出ます。 この番組は、 (最新)さわやか軽井沢 新緑と歴史の小道めぐり の中でお店の紹介があるものです 27日(月)夜8時、BSジャパンで再放送があります。 |
皆さん、お元気でしょうか? こちらは、やっとシーズンが始まり、少しずつ忙しくなってきました。 |
HPはここを![]() |
木村(平沢清子)さんが軽井沢でご主人とやっているお店は、 HPを見て下さい。 軽井沢方面に出かけたら、寄ってみてください。 とても感じのいいお店です。 大変忙しく働いている時もあるので、対応が不十分の時も ありますが、それはご勘弁を。 by HP管理人 |
★思い出の陣馬高原 森がいる、安部がいる、釣巻がいる。 |
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![]() 上が、 かなりボケた写真だけれど、3年D組 荒木先生のクラス(内藤君提供)。 下が 3年F組 岡田先生のクラス。 ![]() 不思議だけれど、遠足に学生服やセーラー服で行った人がいるんだね!! その後ダサイ人生を送ったわけでもないのに |
★お知らせ: 『画家たちの原風景』の出版 堀尾(金子)真紀子さんが下記出版をされました。 興味のある方は、買って読んでください。 買わない人は、この本を下北沢の喫茶店:聖葡瑠<せいぶる: 諸星君(D組)経営の店>に置いておきます(1月15日以降)ので お茶飲んだついでに借りて読んでください。 ![]() ![]() |
2012/11/27 紹介 (上図:表紙) (清流出版263ページ ¥2300+税) |
◆浅野時一郎校長先生の著書 2012/8/16 髙橋阿津美 Eクラス | |
もう15年以上も前の話ですが、中村重太郎先生を通して浅野時一郎著『私の築地小劇場』に巡り合った感激を、皆様にお伝えいたします。中村重太郎先生がまだお元気で、1年C組のクラス会があった時(1996年頃だったかもしれませんが),先生に質問しました。 |
我々、卒業時の中村先生 |
浅野時一郎著 『私の築地小劇場』秀英出版 |
浅野校長の著書 『私の築地小劇場』 の表紙 |
築地小劇場は関東大震災の翌年の1924年 築地2丁目の築地本願寺のそばに創設され、1945年3月10日の東京大空襲によって消失するまで新劇を育てた劇場。
1923年9月1日の関東大震災で東京の下町は殆ど焼失し、大劇場は一つもなくなった。ドイツへ演劇留学中だった土方与志は予定を切り上げて帰国し、余った留学費用で震災復興のバラック劇場建築の特例法を利用し、師に当たる小山内薫を中心に六人の同人とともに新劇史上最初の常設小屋を建設した。 それで築地小劇場の出来る1924年(20歳)までに相当の蓄積があった。浅野校長の度はずれな芝居通いをみてその道に入るように勧めてくれる人もあった。 中村先生と浅野校長は秋葉原と池の端生まれの幼馴染で、中村先生が5歳年下と言う事でした。 戸板康二は「実際に回想録としてまとめられたのは、数年前なのであるが、浅野氏はむかし見たそれぞれの舞台を、俳優の演技、演出、装置、照明、音楽の広い範囲にわたっておぼえている。しかも、それを見た時点でのこころを忘れずその時の感動をそのままよみがえらせて、筆を執っているのである」と述べている。 私は「黎明期の新劇俳優 花柳はるみ」を『婦人雑誌にみる大正期』―『婦人公論』を中心に―(編集・発行 近代女性文化史研究会1995年東京都女性財団研究助成)に書いてはいたのですが、その後、浅野時一郎著『私の築地小劇場』も参考文献にして、「新婦人協会会員 花柳はるみ―黎明期の新劇俳優・日本映画女優第一号」を『らいてうを学ぶなかで 3』(編集・発行 日本女子大学 平塚らいてう研究会 2011年)に書くことができました。 新劇史上からも貴重本と思われる浅野時一郎著『私の築地小劇場』を、「早稲田大学坪内博士記念 演劇博物館」に寄贈したいと考えております。 (完) |
卒業アルバムにある 浅野時一郎校長 |
投稿者 高橋阿津美さんは、 近代女性文化史研究会に属し 大空社から出版の 『大正期の女性雑誌』 1996/8第一版発行 および ドメス出版から出版の 『戦争と女性雑誌』 2001/5第一版発行 と 『占領下 女性と雑誌』 2010/8第一版発行 の書籍の 出筆者のメンバーです。 (紹介:HP管理者) |
◆今日までそして明日から 2012/2/12 トマトのソムリエ | |
53年前に作られた文集『つぶやき』がきっかけとなって この写真は高3に進級して間もない頃の昭和36年 午後の柔らかい陽射しがこの若者達の屈託のない 残念なことに平山閑子さんは既に天国へ旅立ち、ここ ボクらは来年には70歳を迎えます。考えただけでも 私は 今日まで 生きてみました |
![]() 長島、小沼、 平山、馬場、 丸山、 上原、小澤、 永江 本間、 前谷 、 上瀬、 青木 (旧姓、敬称略) |
★投稿 『53年目のつぶやき』 平成23年2月1日 トマトのソムリエ |
![]() ![]() 黄ばんだ 『つぶやき』の表紙と目次 |
ボクの手元に今、53年前に発行された 破れてはいるが、『つぶやき』と書かれた 表紙をめくると、巻頭に「途方に暮れた青春」 と題する堤浩二先生の一文があり、 続いて52名の"作品"が掲載されている。 この文集は昭和34年、一年D組の生徒 全員によって作られたもので、一人ひとりが 油紙に鉄筆で書き込み、B5ほどの わら半紙にガリ版刷りしたものだ。 当時のインクと油紙の匂いが染み込み、 手に取れば青春のひとときを彷彿させて、 これに携わった"編集係り"の意義込みと ご苦労が感じとれる。 今どき "つぶやき"といえば、 インターネット上でやりとりする ごく短いメッセージの "ツイッター"を 誰もが思い起こすに違いない。 この古くて新しい 四文字を冠した、 まさに小鳥のさえずりのような「文集」に ふたたび光りをあてようと、納戸の奥を 探し回ってやっと見つけた。 温故知新といえば大袈裟だが、 古希を来年に控え、古きを尋ね新しきを 知ることは、そう悪いことではない。 「原稿の集まり方もだらだらと終わりが ないように続き、特に男子の一部が 協力してくれず困りました。」と 苦言を呈している。 その一節を読んだとき、これは恐らく 自分のことではなかったかと、 思わずつぶやいてしまった。 |
★投稿 『無常ということ』 平成23年2月26日 西村 周一(F) |
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高校に進学して、幾つか新鮮な驚きを感じたことがあるが、 非常な矛盾だが、英語は好きでも国語は嫌い、況して、古語の もう一つは、ニュージーランド、クライストチャーチの地震の被害。 地震は地球上、いつでも何処でも発生してる珍しくないことだが、6年前の今頃、南島を旅して周り、問題のクライストチャーチにも行き帰りで3泊、滞在を楽しんだ者としては今回の被害は悲しく残念なことである。被害で亡くなられた人達、未だ行方不明の人達、そしてご家族の失意、落胆、不安であの美しい街が覆われている。不運にして彼の地で死に遭われた人達には哀悼の意を表したい。 イギリスの習慣が根付いたのか、園芸の趣味から美しい庭園が此処彼処と見られ、個人の御宅の庭も拝見させてもらったものである。咲き乱れる花々の中でも多種多様のバラが美しかった。街中の甚大な被害を受けた大聖堂も勿論訪れている。 古いあの建造物が修復されることはあるのだろうか? イギリスのエイボン川を模して付けられたのであろう静かに流れる小川、エイボン川。 ボート遊びする人が居れば、川沿いに並ぶ店で食事する人在り、そこは静かに時の流れる空間であった。 その川沿いの被害も大きいと聞く。 近い将来、再び美しく再生されることを願いつつ、美しいGarden Cityの一面を写真でご紹介することでこの稿を締め括りたい。 |
![]() 在りし日のクライストチャーチの大聖堂 ![]() エイボン川河畔の豪邸 ![]() エイボン川の流れ |
お知らせ:
◆新春クイズ回答と解説 トマトのソムリエ 一昨年に続いて昨年も1月早々からシジュウカラのカップルがやって来た。 こんなにも こんなにも 空が恋しい・・・・
(中島みゆき "この空を飛べたら") ◆ クイズの答えは「小鳥のえさ箱」でした。ドンピシャの解答者、 |
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◆新春クイズ 設問 |
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お知らせ:アンケート結果(補正後)
◆アンケート あなたはどの程度パソコンを利用されていますか? 136名のPC保持者に送りました。 ご協力ありがとうございました。
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・回答が十分でないので、何とも言えませんが PCを使っている方は、毎日PCを立ち上げている 方が圧倒的に多いという事がわかりました。 ・回答が無くても、いつも、応答の速い方は 毎日使用にあてはめました。(補正) ・投稿はしないけど、結構富士高のHPを 楽しんでいますという方が 返信メモから分かりました。 ・PC勉強会があれば出たいという方は 、返信者のうち3名でした。 |
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★お知らせ: 『絵筆は語る』の出版 (下記参照) 多忙な堀尾(金子)真紀子さんが下記出版をされました。 興味のある方は、買って読んでください、(清流出版) 買えない人は、彼女の著書 『鏡の中の女たち』と『絵筆は語る』を 下北沢の喫茶店:聖葡瑠<せいぶる:諸星君(D組)経営の店>に 置いておきます(2月以降)のでお茶飲んだついでに借りて読んでください。 聖葡瑠に関する情報はここを ![]() 尚、絵筆は語るについては1月23日NHKラジオ第1 「ラジオあさいちばん」の『著者に聞きたい本のツボ』で 堀尾真紀子さんがインタビューに答えた音声(約10分)が ここ ![]() Meda Playerが動き、彼女のよそ行きの上品な言葉を聞く事が出来ます。 残念ながら、ラジオなので映像はありません。 |
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先日の筑波では久しぶりにたっぷり歩いて爽やかな一日を過ごすことができ、 ・・・・話題提供の同期生は中谷紀代E(植木)さんでした。 |
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★『思い出のバスケ合宿(後篇)』 2009/9/13 トマトのソムリエ(記) バスケットボールに明け暮れた高校時代、夏の練習が一番思い出 そんな午後の練習が終ると、ほとばしる汗を流そうと更衣室で水泳 今、
「都立富士高校」のHPを開くと、部活の案内と共に22名の若さ
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![]() "も一度会いたい級友" 上記 篠崎好二郎君と岡村武彦君は鬼籍に入られています。 |
★『地歴班の旅行の思い出 』 2009/9/6 その3年間の中楽しかった思い出一つを挙げるとすれば、 加わって最初の旅行は2年の夏休み、「平家の落武者部落を訪ねて」 祖谷、五家荘も落武者伝説で有名であったが、東京から行くのに 遊びばかりで終わらず、帰ってから秋の文化祭でこの旅の総括として研究結果なるものを発表したのは言うまでも無いが、個人的には旅行が全てであった。 3年生の時は奥州藤原氏三代の栄華の後を辿る旅で平泉が選ばれ、中尊寺の僧坊に2泊したのではなかったろうか? 此処も、 今回の寄稿に際し、写真を探したが、整理の悪い自分には湯西川温泉から奥日光への旅までしか見つからなかった。 最後に仲間として一緒に活動した平山閑子さん、 |
二年次・夏 地歴班 2年次 夏 地歴班 2年次 夏 文化祭 落武者部落研究発表 |
★『思い出のバスケ合宿(前篇)』 2009/8/23 トマトのソムリエ(記) 尾瀬の歌ではないが、夏が来れば思い出すことがある。 富士高生だった当時、女子バスケは都立高の強豪として |
![]() セピア色の写真 合宿練習中の筆者 ◆投稿者提案 夏枯れのせいか近頃、HPも投稿者が限定的に思えます。 マンツーマンの話題が多くて新規参入者も二の足を踏み勝ち。 そこで提案。「あの頃はみんな若かった」をテーマに"思い出 シリーズ"をやってみませんか。(当時の写真活用) 介護で苦労してる方、伴侶に先立たれた人、今の生活に飽き 足らない人、・・・そんな同期生にこのHPが少しでも役立つよう、 何かしらのメッセージが発信できれば、なんて考えてます。 |
★ 楽団 『仲間はずれ』 12月25日 トマトのソムリエ(記)
卒業時に開かれた謝恩会のプログラムに登場する、楽団「仲間はずれ」について話そう。
この "楽団 " は高校生活最後の文化祭となる三年次の富士高祭の折に結成された。
時は1961年(昭和36年) 9月30日のこと。
既に多くの学友が大学受験を目指して勉学に励んでいた頃であり、
この"異端児"の集まりとも思えるグループのネーミングには苦心した。
そんな意味合いから結局、自分の提案した「仲間はずれ」に落ち着いたが、
今思えば楽団「落ちこぼれ」のほうが良かったかも知れない。
演奏曲目をよく覚えてないが、唱歌、映画音楽など、当時のポピュラーな曲が多かったように思う。
中でも高妻邦光君(F組)のギターによるソロ演奏「禁じられた遊び」は会場(講堂)から大きな拍手が起こった。
自分もクロマチックハーモニカで「赤とんぼ」を吹いたが、
「禁じられた遊び」ほどの拍手はもらえなかった。
嬉しかったのは後に一年生の女生徒から"良かったです !"と告げられたこと。
あの一年生は今も元気でいるだろうか。五十年ほど昔の懐かしい青春の一コマである。
謝恩会のプログラムには、「ハーモニカ・・・B組」と記載されていたが、
自分にその記憶が全くと言ってよいほどない。
言ってみれば、謝恩会というファイルそのものが、耐用年数をとうに
過ぎてしまったこのハードデスクに残っていないのである。
トマトのソムリエ (談話室も合わせて読んでください)
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長島、齋藤、奥山、田中、金澤、末松、千野 白井、 小沼、高妻 敬称略 |
不思議なもので2、3年前は飲み会は開いていないのに、今年は同期会の前後にひらいている。 最初から当時の同級生の話で盛り上がり富田君の爆笑トークが炸裂、 富田君は元気で調子良さげであるから皆さん心配ご無用。 それとは別に中には大人びた高校生もいて試験が早く終了すると 参加者 熊倉(A),古川(E),三浦(E),諸星(C),広瀬,富田,白井,氷上(いずれもF): 敬称略 旧姓
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ジョッピンにて左から 白井、諸星、三浦、古川、熊倉、氷上、富田さん |
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鍋料理をたべて 左から諸星君、古川さん、熊倉さん |
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