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 ≪あの頃はみんな若かった≫ と ≪お知らせ≫のページ

わが同期生の、堀尾真紀子さん(Aクラス)は40年続いている、NHK日曜美術館の3代目の
キャスターです。彼女は1982-83年の2年間、和田篤アナウンサーと番組を担当されました。
来週日曜日10/4のNHK Eテレで 特別アンコールの番組が見れます。
皆さん、
生前の池田万寿夫氏と若き日の真紀子さんに会うことが出来ます。

特別アンコール番組 2015 104日(日)放送 Eテレ(教育テレビ)あさ 9:00~9:45

日曜美術館40年記念 特別アンコール  
「私と芹沢銈介 
作家・版画家 池田満寿夫」

ことし、放送開始から40年目を迎えた日曜美術館。それを記念して、
これまで放送した回からよりすぐりの番組を、特別アンコールでお届けします。
いままでに「アトリエ訪問 岡本太郎」「私と鳥獣戯画 手塚治虫」
「私と八木一夫 司馬遼太郎」「私とルドン 武満徹」を放送してきました。
今回は、作家・版画家の池田満寿夫さんが染色家の芹沢銈介(せりざわけいすけ)
の魅力を存分に語った番組。放送されたのは1983年7月です。
  (NHKのHPより)
                嬉しいニュースです。

富士高校 OB会 『若竹会』の理事 堀野君に加え 
女性で卒業時に理事となった 柴田貴美子さん(Cクラス)からの情報です。
彼女が、富士高校27回卒業生の若竹会で活躍中の相川浩之さんからの情報です。
ちなみに、我々同期生は富士高校14回卒業生ですが、同期生だけで楽しみ、
若竹会、在校生への貢献が殆ど出来ていないのが実情です。

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●週刊ダイヤモンドの「息子・娘を入れたい学校2015」の特集のなか、
 英語・キャリア・経営力で決定・新学校選びランキングというのがあり、
 都立富士高校は8位にランクイン。公立高校ではトップです!
 このことはFacebookでも紹介されているのですが、中身を見て、嬉しくなりました。

上位に来た理由は、英語教育もさることながら、「キャリア」という項目で高い評価を得たからです。
「キャリア」という項目がどういった要素で評価されているかというと、例えば、
「卒業生の集まりから成る、会則で定めた講演会組織がある」、
つまり同窓会組織がきちんとしていることがポイントになっているのです。
さらに見ると、「後援会組織のホームページやSNSがある」「社会人になった卒業生を招く
学校主催のイベントが毎年1回以上ある」ーーなどの項目が並んでいるではないですか!
よかった!

在校生にキャリア探究の一環とした卒業生の講演会をすでに2回実施していますし、
しっかりホームページも作っています。

同窓会は同窓生が楽しめる場を用意すれば、それで、いいのだろうか?
いや、世代間交流を進め、先輩が築いた伝統を守り、後輩を支援するのが、
同窓会のもう一つの大きな役割ではないか。
そう考えて、学校への人的支援、学校との交流を進めたことが、雑誌でも評価されたわけです。
同窓会は学校や在校生に貢献できる。
富士高校の「いま」を、理事の方々はぜひ、自分の目で見てくださいね。
                                        相川浩之


                
                      週刊ダイアモンド 8月15日 より
               (図書館に行ったけど貸し出し中で追加情報が得られませんでした:HP管理人)

お知らせ
 同期会の案内に、仕事で欠席の A組 堀尾〈金子)真紀子さんからのお知らせです。
ぜひ見て、感想があれば、本人かHP管理人にメールにてお送りください。

以下、ご本人からのメッセージです。
同期会のお知らせうれしく拝見、新緑の好い季節、皆さんにお会いしたいし、ぜひ参加したいなあ
と思いつつ、いつものように仕事に縛られ参加はかないそうにありません。
堀尾(金子)もどうやら元気にしています、のご報告の代わりに以下をご覧いただけたら
大変うれしくお知らせいたします。次回またお目にかかれるのを楽しみにしています。
512日好いお天気でありますように 
出演番組:「ザ・ドキュメンタリー」世紀の祭典・美智子様が嫁がれた日
放映日時:4月9日(木)19:00~21:00 BSテレビ朝日

<彼女のコメント>
2時間番組なので、多分私が出るのは真ん中あたり、30分ほど録画済みですが
編集されるので数分かもしれません。先日、佳子様の成人式のときも
テレビ朝日「モーニング・バード」に出演しました。ご覧いただいたかも?
何故私が呼ばれるのか、フリーダ・カーロならまだしもと思いつつ、時々お声がかかります。
                                                   以上

          皆既月食       2014/10/9            トマソム
 
 
昨夜(10/8)はおよそ3年ぶりの皆既月食。
飯も食わずに お月さまの追っかけをして
50枚ほどの写真を撮りました。

 その中から、夜空に輝く赤い月に想いを馳せて
選んだ4枚の写真。

部活に励んでいたころ、富士高の体育館の壇上に
古びた一台のピアノあり。

 夕まずめ音楽担任の清水先生が「月光」

を一心に弾いていたのは、ほんの昨日のこと。

  
 
                ②
   ③
 
              ④
  
 いつもマメな情報発信をしてくれる、トマソムさん
          有難うございます。

「皆既月食を見逃した方へHPを通して
見せてあげたい
との心遣いで、
 夜空に思いを馳せながらトマソムさんが撮影した
珠玉の4枚の映像を送ってもらいました。

午後6時15分頃に欠け始め、午後7時25分
から約1時間が皆既月食でした。


尚、
次回の皆既月食は来年の4月4日だそうです。
 

                  HP 管理人 
       富士高同級生 青木 勤 君ののご案内

オランダ・ベルギーの風景をテーマに第3回個展を9月30日から開催いたします。
前回来ていただいた方には案内状を送りましたがより見ていただく方の輪が拡がれば嬉しいです。
お友達をお誘いのうえ、鑑賞いただければ幸いです。
尚、会場は前回と違い銀座4丁目鳩居堂の2つ隣のビルの7階です。
 

会場でお会いできるのを楽しみにしております。
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青木 勤(Aクラス)
270-0101 千葉県流山市東深井1110-2-7-28 
自宅:0471546552 / 携帯:090-5405-9305Mailt-aoki@space.ocn.ne.jp

     水と緑の静寂 ブルージュ この絵は展示されている彼の水彩画の作品です。
                  こころの玉手箱        2014/1/30          トマソム  
  何処かで見かけたタイトルだが、これは
紛れもなく
高校二年生のときの生徒手帳。

捨てられない性分で今もって後生大事に
取ってある。

思えば今から54年前の昭和35年、僕らが
17歳の
頃の遺物だ。

末尾の頁には、今と変わらぬ拙い字で
2年F組と
書き込まれたクラス名の後に、
名前、生年月日、住所、
保護者名、
担任教諭の欄が続く。


さらに頁をめくると時間割が出てきた。
たしか100分

単位の授業が組まれていたんだ。
あの頃は
若気の
至りで勉強に身が
入らず、もっぱら体育の授業に

青春をぶつけていた。

 歩きながら諭す堤先生の英語の授業。教
室の窓
から見た6月の雨。この手帳にはそんな懐かしい情景が詰まっている。       (完)

昔の事はトマソムさんに聞け!!と僕は思っている。
玉手箱から、又懐かしい情報を同期会前に提供です。
時間割を見ると1,2と書いた部分が、連続100分授業
休み時間は10分だったのかな?
90分授業だった気もするが?
土曜日は、各週休みで 休みの土曜日に
新宿歌舞伎町に遊びに行き、補導されそうになった
話も聞いた事がある。 
こんな話題も同期会で聞かれるのかな?

ところでこの時間表、少し疑問があるけど?
世界史(社会科)は50分授業だったの?
生物(理科)は午前は100分、午後は50分だったかな?

         (HP管理人)

   
     女性画家10の叫び』出版 

       
堀尾(金子)真紀子さんの10冊目の出版がこの夏にありました。 HP管理人の怠慢で、ご報告が遅れたことをお詫び致します。

盛夏の候、お変わりなくお過ごしでいらっしゃいますか。
 このほど岩波書店より『女性画家10の叫び』を上梓いたしました。
岩波ジュニア文庫は、若い世代に多岐にわたる専門分野を、わかりやすく語りかけています。その一冊に女性画家を加えていただいたことをたいへんうれしく思っております。
ご高評賜りましたらありがたく、ここに謹んでお送り申し上げます。 
    2013年 盛夏 (
一部略)
         堀尾真紀子

とありました。 小生読み終わりましたら、下北沢 聖葡瑠の蔵書としますので、皆さんにも読んで頂ければと思いますが、定価820円の200ページ単行本で、読みやすく、お子様、お孫さんにも有意義な本と思いますので、購読頂ければと思い、ご案内いたします。 
読後の感想を、著者に送って頂くには、ここをクリックして、感想文を書き、メールを送って下さい。
          おしらせ
  5月22日(水) 20時~20時54分
テレビ東京の、いい旅 夢気分に、当店が出ます。
この番組は、
(最新)さわやか軽井沢   新緑と歴史の小道めぐり
      の中でお店の紹介があるものです

27日(月)夜8時、BSジャパンで再放送があります。



大変ご無沙汰しています。 

皆さん、お元気でしょうか? 

こちらは、やっとシーズンが始まり、少しずつ忙しくなってきました。 

私の店のTV放送が左の時間にあります。見て頂ければ幸いです。

 木村清子

HPはここをクリックして見て下さい。

木村(平沢清子)さんが軽井沢でご主人とやっているお店は、
HPを見て下さい。
軽井沢方面に出かけたら、寄ってみてください。
 とても感じのいいお店です。
大変忙しく働いている時もあるので、対応が不十分の時も
ありますが、それはご勘弁を。  by HP管理人

  思い出の陣馬高原

おそらく陣馬高原は52年ぶりのこと。
老体にムチ打って「遠足気分」でうかがいます。   
 左
この写真は三学年に進級して間もない
昭和36年(1961)4月、陣馬高原へ
遠足に行った折に撮られたもの。

森がいる、安部がいる、釣巻がいる。
シャッターを押したのは長島だったか・・・・。
遠い昔の思い出の一枚 !

    2013/5/17   トマソム


(残念ながら、足を痛め、ハイキングには、不参加だったが、
懐かしさのあまり、高尾駅まで参加者を
見送りに来てくれました)


上が、 かなりボケた写真だけれど、3年D組 荒木先生のクラス(内藤君提供)。 
下が  3年F組 岡田先生のクラス。

不思議だけれど、遠足に学生服やセーラー服で行った人がいるんだね!! 
    その後ダサイ人生を送ったわけでもないのに
 フランス             2012/12/30 徳永(広瀬)興亜 Fクラス

堀尾さんの著書『画家たちの原風景』を読むと、
巻頭言に
『初めての美術館体験は高校生のとき、
上野の東京国立博物館で見た「ルーブル・フランス
美術展」の衝撃は未だに心に残っている』

と書いてある。

それを読んで、思い出した。僕らFクラスのメンバーで
この美術展に行った右の写真が手元にある。
この看板を見ると 
ルーブルを中心とするフランス美術展
となっている。僕等、高校3年の時の11月3日から
1月15日まで開催されている。

何故行くことになったのか? 
何故このメンバーなのか?
は定かではないが多分、言いだしっぺは
高妻君だったかもしれない。
11月の終わりか12月の初めだったと思う。
その頃僕は日記を書いていたので何十年ぶりか
日記帳を開いてみたが、
この日のことは記録していない。

(敬称略)
 石黒、広瀬、高橋、高妻、鳥越、榊原、三浦、斎藤、石井

ついでにその前後の自分が何をしていたか読んでみた。
若き日の心の葛藤が記録されているではないか、
受験と家庭の経済的ピンチ、淡い恋心を抱いてそれにも悩んで、
自己嫌悪や自分を叱咤・激励している拙い文章があった。

この美術展で気に入った絵は、オディロン・ルドンの
右の絵、
「赤い舟」である。 

彼の名は、その時おぼえたが、後年、彼のいろいろな版画や
絵を見たがこの
(赤い舟)にはお目にかかることがなかった。

年末にふと、淡い 青春時代を思い出してしまった。


  ルドンについてはここをクリックして参照されたし。


オディロン・ルドンの「赤い舟」

お知らせ: 『画家たちの原風景』の出版
 堀尾(金子)真紀子さんが下記出版をされました。
 興味のある方は、買って読んでください。
買わない人は、この本を下北沢の喫茶店:聖葡瑠<せいぶる:
諸星君(D組)経営の店>に置いておきます(1月15日以降)ので
お茶飲んだついでに借りて読んでください。

               2012/11/27 紹介



(上図:表紙)
 

(清流出版263ページ ¥2300+税)




      浅野時一郎校長先生の著書    2012/8/16 髙橋阿津美 Eクラス

もう15年以上も前の話ですが、中村重太郎先生を通して浅野時一郎著『私の築地小劇場』に巡り合った感激を、皆様にお伝えいたします。中村重太郎先生がまだお元気で、1年C組のクラス会があった時(1996年頃だったかもしれませんが),先生に質問しました。
「花柳はるみ」と言う人をご存知ですか? 数日して先生から本が2冊届きました。
そのうちの1冊が私たちの時代の校長、浅野時一郎著『私の築地小劇場』(株)秀英出版 昭和45年9月1日 発行でした。


我々、卒業時の中村先生

浅野時一郎著 『私の築地小劇場』秀英出版
 昭和45年9月1日発行 定価2500円 について。
本の構成・目次は、下の写真のようになっていました。

 

   

 



 


浅野校長の著書
私の築地小劇場』
の表紙
 築地小劇場は関東大震災の翌年の1924年 築地2丁目の築地本願寺のそばに創設され、1945年3月10日の東京大空襲によって消失するまで新劇を育てた劇場。

1923年9月1日の関東大震災で東京の下町は殆ど焼失し、大劇場は一つもなくなった。ドイツへ演劇留学中だった土方与志は予定を切り上げて帰国し、余った留学費用で震災復興のバラック劇場建築の特例法を利用し、師に当たる小山内薫を中心に六人の同人とともに新劇史上最初の常設小屋を建設した。
上野広小路界隈で育った浅野校長の芝居通いは中学から、旧制高校に移った一七歳の時から始まった。寄宿舎生活の自由さが与えてくれた機会の利用だった。

それで築地小劇場の出来る1924年(20歳)までに相当の蓄積があった。浅野校長の度はずれな芝居通いをみてその道に入るように勧めてくれる人もあった。
浅野校長の本は、若き日に、客席から築地小劇場の第一期(1924年~1929年)の全ての公演を観た回想記録。小山内薫の死までと、その追善公演の時までのすべての公演を観ている。戸板康二は「一観客がある期間、ひとつの劇場に通った事実をもとにして、日記のように、年月を追って、その心的な歴史を書きとめた例は、これより前にはなかった。(中略)新劇史のためにも、えがたい書物が生まれたわけである。」と述べている。 

中村先生と浅野校長は秋葉原と池の端生まれの幼馴染で、中村先生が5歳年下と言う事でした。
浅野校長が築地小劇場で観た戯曲は117、その中の27が創作劇で、90が翻訳劇であったと書いてありました。

戸板康二は「実際に回想録としてまとめられたのは、数年前なのであるが、浅野氏はむかし見たそれぞれの舞台を、俳優の演技、演出、装置、照明、音楽の広い範囲にわたっておぼえている。しかも、それを見た時点でのこころを忘れずその時の感動をそのままよみがえらせて、筆を執っているのである」と述べている。

私は「黎明期の新劇俳優 花柳はるみ」を『婦人雑誌にみる大正期』―『婦人公論』を中心に―(編集・発行 近代女性文化史研究会1995年東京都女性財団研究助成)に書いてはいたのですが、その後、浅野時一郎著『私の築地小劇場』も参考文献にして、「新婦人協会会員 花柳はるみ―黎明期の新劇俳優・日本映画女優第一号」を『らいてうを学ぶなかで 3』(編集・発行 日本女子大学 平塚らいてう研究会 2011年)に書くことができました。

新劇史上からも貴重本と思われる浅野時一郎著『私の築地小劇場』を、「早稲田大学坪内博士記念 演劇博物館」に寄贈したいと考えております。 (完)

 
卒業アルバムにある
浅野時一郎校長


投稿者 高橋阿津美さんは、
近代女性文化史研究会に属し

大空社から出版の
『大正期の女性雑誌』
1996/8第一版発行

および

ドメス出版から出版の
『戦争と女性雑誌』
2001/5第一版発行

『占領下 女性と雑誌』
2010/8第一版発行

の書籍の
出筆者のメンバーです。


(紹介:HP管理者)


       今日までそして明日から     2012/2/12            トマトのソムリエ
 53年前に作られた文集『つぶやき』がきっかけとなって今、旧1年D組のクラス会の準備が進められています。
 この写真は高3に進級して間もない頃の昭和36年5月、旧2年F組の有志で鎌北湖へハイキングに行った折に撮られたものです。丸山徳治君がリーダー役となり、総勢13名の参加者のうち、8名が1Dのメンバーでした。

 午後の柔らかい陽射しがこの若者達の屈託のない笑顔を照らして、実に楽しそう。誰もその後の50余年にわたる "人生"なんて考えもつかなかったでしょう。

  でも、ボクたちは今、生きている。長い旅のいわば"終着"に来ているといってもいいでしょう。

 残念なことに平山閑子さんは既に天国へ旅立ち、ここにいない篠崎好二郎、若松洋司の両君も逝ってしまいました。この歳になると、逢いたいと思っても逢えない人たちがいます。寂しい限りです。

 徳さん、青木君、上原さん、上瀬さん、馬場さん、そして1年D組のみなさん、元気な顔を見せてください。

ボクらは来年には70歳を迎えます。考えただけでも恐ろしい歳です。身体も昔のように動きません。せめて"気持ち"だけでもしばしの間、昔に戻してみませんか。 

      私は 今日まで 生きてみました
 
   時には誰かの 力を借りて
   時には誰かに しがみついて
 
   私は 今日まで 生きてみました
 
   そして 今  私は思っています
   明日からも こうして 生きて行くだろうと
 
      吉田拓郎 「今日までそして明日から」より

 

     長島、小沼、 平山馬場、 丸山、 上原、小澤、 永江
               本間 前谷 、 上瀬、 青木       
               
                  (旧姓、敬称略)
投稿  『53年目のつぶやき』
              平成23年2月1日
               トマトのソムリエ
             
 
     
黄ばんだ 『つぶやき』の表紙と目次   
                         
  
        

 ボクの手元に今、53年前に発行された
手作りの文集がある。
北海道から九州まで、転勤のたびに
引越し荷物に紛れて生き
ながらえてきた文集だ。

 さすがに表紙は黄ばみ、ところどころ
破れてはいるが、『つぶやき』と書かれた
表紙をめくると、巻頭に「途方に暮れた青春」
と題する堤浩二先生の一文があり、
続いて52名の"作品"が掲載されている。


 この文集は昭和34年、一年D組の生徒
全員によって作られたもので、一人ひとりが
油紙に鉄筆で書き込み、B5ほどの
わら半紙にガリ版刷りしたものだ。
当時のインクと油紙の匂いが染み込み、
手に取れば青春のひとときを彷彿させて、
これに携わった"編集係り"の意義込みと
ご苦労が感じとれる。 


 今どき "つぶやき"といえば、
インターネット上でやりとりする
ごく短いメッセージの "ツイッター"を
誰もが思い起こすに違いない。
この古くて新しい 四文字を冠した、
まさに小鳥のさえずりのような「文集」に
ふたたび光りをあてようと、納戸の奥を
探し回ってやっと見つけた。


 温故知新といえば大袈裟だが、
古希を来年に控え、古きを尋ね新しきを
知ることは、そう悪いことではない。


 編集後記に、よほど腹に据えかねたのか、
「原稿の集まり方もだらだらと終わりが
ないように続き、特に男子の一部が
協力してくれず困りました。」と
苦言を呈している。


 その一節を読んだとき、これは恐らく
自分のことではなかったかと、
思わずつぶやいてしまった。

投稿  『無常ということ』
                平成23226
                    西村 周一(F)

高校に進学して、幾つか新鮮な驚きを感じたことがあるが、
その中で今でも鮮明に記憶してる一つは、古語の授業で鴨長明の
「方丈記」に触れたことだった。

非常な矛盾だが、英語は好きでも国語は嫌い、況して、古語の
授業は好きになれる筈はなかったが、「方丈記」にだけは感じる
ものがあり、「無常」という表現が以来頭にこびり付いて離れる
ことは無かった。 唯、それは表現が頭の隅に記憶として
止まっていたに過ぎず、観念的に理解し始めたのは多分齢50代
に入ってからであろうか。



考えてみれば、無常とは当たり前のことなのに、人間というもの
は現在あることが永遠にとまで行かずとも長く続くと知らず
知らずの内に思い込んでるようで、突如予期せぬ変事が
出来すると、驚き、困惑、たじろいでしまう。 肉親の死から
始まり、お世話になった人達の死も同様に、自分をはっとさせ、
この次にどのような変化が身の回り、或いは自分に生じるのかと
考えさせられたのが始まりであろうか。

この傾向は、60代に入って益々強まってきた。
3年前の同期会に体調不十分を押して参加してくれた富田君が
突如他界したのは昨年末のことであった。胃癌と戦って数年、
問題の癌も縮小し、よい方向に向かっていた筈なのに、
動脈瘤破裂という予想外の原因で。残念ながら、同期会以後
会う機会も無く、通夜の席で元気な時の写真と対面するしか
無かったが、野球好きの彼が奥様と昨秋の早慶戦を観戦に
出掛けたりと、最後まで元気に普通の生活を送られていた
らしいことを知っただけでも救いであった。


 最近、国外で想像外の出来事が相次いで発生している。
一つは、北アフリカのチュニジアで起きた国民のデモが
長期独裁政権を倒し、それがアラブ諸国に向っての狼煙のように
なって広がり、エジプトのムバラク体制の終焉、リビアの
カダフィ体制の崩壊を目前にしてるようであること。
現在でも尚、バーレーン、イラン、イェーメン、そしてアラブ圏
ではないが、隣国中国にもこの影響が及ぼうとしている。

新型インフルが地球上で流行するが如くである。


エジプトのムバラク体制が斯くも短期間に脆くも崩れ去るとは、
あのカダフィ体制が風前の灯になろうとは夢想だにしなかった
ことである。これも又、変わらぬものは無い事例の一つとして
歴史に記録されるのであろうが、現役時代、石油関連の仕事に
従事してきた自分としては、これらの波及現象の結果が石油の
供給不安・価格の高騰にどの程度繫がるのかと懸念して止まない。


いつ、どのようにして収束するか全く読めないこの状況が
経済面への重石になるは必至だろう。

もう一つは、ニュージーランド、クライストチャーチの地震の被害。 地震は地球上、いつでも何処でも発生してる珍しくないことだが、6年前の今頃、南島を旅して周り、問題のクライストチャーチにも行き帰りで3泊、滞在を楽しんだ者としては今回の被害は悲しく残念なことである。被害で亡くなられた人達、未だ行方不明の人達、そしてご家族の失意、落胆、不安であの美しい街が覆われている。不運にして彼の地で死に遭われた人達には哀悼の意を表したい。

イギリスの習慣が根付いたのか、園芸の趣味から美しい庭園が此処彼処と見られ、個人の御宅の庭も拝見させてもらったものである。咲き乱れる花々の中でも多種多様のバラが美しかった。街中の甚大な被害を受けた大聖堂も勿論訪れている。 古いあの建造物が修復されることはあるのだろうか? イギリスのエイボン川を模して付けられたのであろう静かに流れる小川、エイボン川。 ボート遊びする人が居れば、川沿いに並ぶ店で食事する人在り、そこは静かに時の流れる空間であった。 その川沿いの被害も大きいと聞く。

近い将来、再び美しく再生されることを願いつつ、美しいGarden Cityの一面を写真でご紹介することでこの稿を締め括りたい。
 
              個人の庭 


      在りし日のクライストチャーチの大聖堂

           エイボン川河畔の豪邸

              エイボン川の流れ

             

お知らせ

          おしゃれに自分磨き
 小出瑞穂さん(旧姓茅根)の
投稿が朝日新聞『ひととき』に
掲載されました。

誰かが見つけ、談話室にも1/22チェリーさんが
自分磨きの題名で投稿していただきました。

本人の了解を得て、新聞掲載記事を左にご紹介します。
 
下記は、掲載に先だって本人の投稿動機を伺いました。

                         (HP管理人)

                              

 たまたま主人が外食で、テレビの番組も見たいのが
なかった夜に投稿しました。

最近、桑田さんや吉田さんや松永さんと旅行や会食で
お会いして、皆さんがいつも素敵できれいにしていらっしゃるのに
刺激を受けておりました。

人生を活き活きと楽しんでいらっしゃるので、
私も真似をしようとそれを書きました。
「ひととき」にはあまり主張がなく、生活のなかで
小さな楽しみを求めているという文がよく掲載されるようなので、
そのようにしたつもりです。

それにしてもチェリーさんの奥様は
軽妙でチャーミングな方のようですね。

                   小出 瑞穂

            



新春クイズ回答と解説             トマトのソムリエ

       "学鳥"ノススメ 『この空を飛べたら』

 これはロッテのキシリトールの粒ガムが入っていた容器。空になったプラスチックの
容器の底辺部に穴を開けて菜箸を通し、左右に1センチほどの穴を開けたもの。

ここまで話して、何だかお分かりになる方は相当な "熱中人 " と言える。
これは
何を隠そう野鳥の餌箱 (バードフィーダー)

愛鳥家のブログを覗くと、ペットボトルを使って給餌筒を作る写真をよく見かけるが、
それにヒントを得て作ったシジュウカラ専用の給餌筒。いわば僕のオリジナル作品。
普通の餌箱では、スズメの群れが目ざとく見つけて瞬く間に餌を啄ばんでしまい、
野鳥の口に入らない。これだと穴を突っつかないと餌が出てこないから、
シジユウ
カラの習性を巧く利用した餌箱だと言える。

 一昨年に続いて昨年も1月早々からシジュウカラのカップルがやって来た。
ところが
好物の落花生を餌箱へ入れても、瞬く間にスズメたちが横取りしてしまう。
何かいい
知恵はないかと考えたあげく思いついたのがこのバードフィーダー。

おかげで昨年の春は、毎日と言ってよいほど餌を食べに来てくれた。
5月になると、
かつて卵を産んだ巣箱を出たり入ったり。
ああ、そろそろ巣作りが始まるなと見ていた
ら、
何が気に入らなかったのかその後、突然姿を消してしまった。

"中古"の巣箱が
機嫌を損ねたか、それともすきま風を嫌ったのか、
今もって見当がつかない。

 12月に入った先月、冬枯れで餌にも不自由しているだろうと、落花生を入れた
給餌
筒を再び春と同じテーブルの上に置いてみた。
それから4、5日経った中旬のとある日
の午後、妻が "来てるわよ ! " と言う。
目をやると、盛んに二羽のシジュカラが給餌筒を突っついている。
              (胸の縦縞が太いのがオス)


このロッテの空箱に落花生があるのを知っているのはあの鳥たちの他にはいない。
間違いなくここで卵を孵したカップルだ。夏の間は"避暑地"へでも行っていたのか。
それとも年がら年じゅう一緒に野山を飛び回っていたのか。実に半年ぶりの出会いだ。

僕に翼があったら、この空を一緒に飛べたのに。
無事に戻ってきたシジュウカラたちを眺めていたら、
飲みかけていたコーヒーも忘れる
ほど胸が熱くなった。

    ♪ ああ 人は昔々 鳥だったのかもしれないね

      こんなにも こんなにも 空が恋しい・・・・   

                                        (中島みゆき "この空を飛べたら")

                 
----------------------------------------------------------

◆ クイズの答えは「小鳥のえさ箱」でした。ドンピシャの解答者、
 
色は匂へど浦木さんのお二人には 特製柚子ジャム" をお送りしました。






春クイズ 設問
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

右の写真:これは何でしょう
お分かりになる方は答えを「談話室」へ書き込んでください。

先着3名の正解者へ、みつわ台ファーム特製の

2009
年ボジョレ・ヌーヴォーならぬ
"特製柚子ジャム" を進呈いたします !  
                         出題: 
トマトのソムリエ

HP管理者コメント
・いい加減な面白い答 歓迎です。

 HPを楽しくするため よく投稿をしてくれている トマトのソムリエさんが
 賞品スポンサー兼 出題者になっています。

 
  締め切り1月10日としておきましょう

お知らせアンケート結果(補正後)

アンケート
あなたはどの程度パソコンを利用されていますか?
136名のPC保持者に送りました。 
ご協力ありがとうございました。
 
Daily 71
Weekly 8
Monthly 4
返信有答不明 1
携帯中心 1
返信なし 50
アドレスERR 3
合計 136


・回答が十分でないので、何とも言えませんが
 PCを使っている方は、毎日PCを立ち上げている
 方が圧倒的に多いという事がわかりました。

・回答が無くても、いつも、応答の速い方は
 毎日使用にあてはめました。(補正)

・投稿はしないけど、結構富士高のHPを
 楽しんでいますという方が
 返信メモから分かりました。

・PC勉強会があれば出たいという方は
、返信者のうち3名でした。
お知らせ: 『絵筆は語る』の出版  (下記参照)
 多忙な堀尾(金子)真紀子さんが下記出版をされました。
 興味のある方は、買って読んでください、(清流出版)
買えない人は、彼女の著書 『鏡の中の女たち』と『絵筆は語る』
下北沢の喫茶店:聖葡瑠<せいぶる:諸星君(D組)経営の店>に
置いておきます(2月以降)のでお茶飲んだついでに借りて読んでください。

                                               聖葡瑠に関する情報はここをクリック

尚、絵筆は語るについては1月23日NHKラジオ第1
「ラジオあさいちばん」
『著者に聞きたい本のツボ』
堀尾真紀子さんがインタビューに答えた音声(約10分)が
ここをクリックして、写真の聞く➔をクリックすると


Meda Player
が動き、彼女のよそ行きの上品な言葉を聞く事が出来ます。

残念ながら、ラジオなので映像はありません。

★  『記憶の隙間                  2009/12/2
                              池田京子 (記)

先日の筑波では久しぶりにたっぷり歩いて爽やかな一日を過ごすことができ、
幹事さんや参加の皆さんに感謝です。
お礼といってはなんですがささやかな話題を。
HP上の在学中の出来事についてほとんど記憶にない・・・・という
情けない私ですが、この「手ぬぐい」で「勝負!!」(笑)です。
同期生の皆さん!覚えていらっしゃいますか50年前のこの手ぬぐいを?
ましてや保存されている枚数となると・・・・??
この手ぬぐい、多分2年生か3年生のときに貰ったものと思います。
富士高は1919年12月創立なので創立40周年というと
私たちが入学した年(1959年)にあたるはず。
たしか1年生のときは各クラスが一学期ごとに交替?で古い校舎
(窓ガラスに第五の文字が)で授業を受けた記憶があります。
きっとそれを最後として古い校舎はお役ごめんとなり、
取り壊されて新校舎落成となったんでしょうね。
当時セレモニーでもあったのでしょうか、どなたか記憶の隙間を埋めてください。
最近隙間のほうが大きくなってきた私の記憶力、
下手すると昨日の晩御飯もアヤシイ(笑)のです・・・自慢じゃないけど。
実はある同期生がこの手ぬぐいをアイロンの当て布として
いまだに使用中のものです。
『パソコンがないので』ということ私が投稿を依頼されたもの。
本当は私もまるっきり記憶にございません。
人の記憶で勝負!とはトホホです。それにしても時代を偲ばせるデザインですね。
タオルではなく手ぬぐいなので保存状態がいいのでしょう。
まだまだ使用に耐えられます。

・・・・話題提供の同期生は中谷紀代E(植木)さんでした。

  池田さん
                                     中谷さん
『思い出のバスケ合宿(後篇)』    2009/9/13
               トマトのソムリエ(記)

バスケットボールに明け暮れた高校時代、夏の練習が一番思い出
深いのだが、特に夏休みの合宿が忘れられない。
上半身裸、短パン一つで体育館のコートを走り回ると、30分も経たない
内に身体から額から汗が吹き出てくる。その汗が目に入って沁みる。
タオルで額の汗を拭きながら3、4時間は練習を続けただろうか。

 そんな午後の練習が終ると、ほとばしる汗を流そうと更衣室で水泳
パンツにはき替え体育館の隣にあったプールに飛び込む。
夏の太陽が沈み、辺りは夜のとばりが降りて暗い。プールサイドの灯り
を点けると、闇夜の中からエメラルドのプールが浮かび上がってくる。
光りが屈折し幻想的な水中へほてった身体を沈めると、瞬く間に体温が
下がってゆく。その数分間の水浴は今もって忘れられない"心地よさ"
鮮明に脳と身体に焼き付いてしまった。
 今この歳になっても、畑仕事を終え汗だくの身体に冷水のシャワーを
浴びるとあの時の感触が鮮やかに甦ってくる。
まるでそれはベルを鳴らしただけでよだれを出すバブロフの犬のようだ。      

 今、 「都立富士高校」のHPを開くと、部活の案内と共に22名の若さ
溢れる女子バスケ部員の笑顔に出会える。夏季合宿も行われていて、
脈々と伝統が受け継がれていた。
 同期のみなさん !  時には50年前のエネルギッシュだった頃を思い
起こしてみよう。
そして出来たら、早世した仲間たちのことを思い出してみよう。




           "も一度会いたい級友" 
      左から篠崎、秋永、岡村、小沼
        ('6110月の水泳大会より)

   
                   

HP管理者追記
上記 篠崎好二郎君と岡村武彦君は鬼籍に入られています

地歴班の旅行の思い出 』     2009/9/6  
                               西村周一(記)

富士高に入学して、堤先生のクラスに配属され自分の座る席はと見れば
周囲は女生徒ばかり、男子生徒は散りじり、加えて同じ中学出身者もゼロと緊張の強いられた暫くであったが、馴れてみれば意外に心地よく何となく楽しい3年間を送ってしまったというのが実感である。

その3年間の中楽しかった思い出一つを挙げるとすれば、
地歴班に加わって岩田先生、小宮先生等先生方、先輩、後輩と一緒に
研究旅行と称するものを含めて数回に亘り旅を楽しんだ事と思う。
 中学時代は陸上競技と軟式テニスを掛け持ちでやった経緯から、
入学時には躊躇わずに軟式テニス部を選択したものだったが、
練習時の先輩の態度について行けないと感じて、さっさと退部。 
次に
tryしたのは同級の小沼君、丸山君、黒田君の入部していた
バスケット部、此処でも中学時代から続けて来た級友達の
技量・体力と己の現状を冷静に見比べて、直ぐに退部。
 そのような回り道の期間をを経て入ったのが、地歴班であった。
中野十中出身の白井君が、そして同級の大石君、馬場さん、
平山さん等が加わってた親近感もあったが、
何よりも「地理、歴史を勉強しながら旅行をする」という
catch-phraseが気に入ったからである。
まさか、文化部に入るとは思わなかった自分だが、先生方に恵まれ、
先輩、同期生、後輩に恵まれて楽しい2年強だったと総括する。

加わって最初の旅行は2年の夏休み、「平家の落武者部落を訪ねて」
のテーマの下に、栃木県の湯西川温泉が選ばれ、
湯西川温泉(伴久旅館)と川治温泉(川俣温泉だったかも)に1泊ずつして、最終日の三日目は峠を越えて奥日光湯本の湯の湖に出、バスで戦場ヶ原を抜けて華厳の滝へでて帰京の旅程。

祖谷、五家荘も落武者伝説で有名であったが、東京から行くのに
近くて便利との判断から選ばれたのだと記憶する。 
その後50年経ての湯西川温泉は無論俗化、見る陰も無いが当時は未だ「落武者部落」の伝説が頷ける雰囲気があったように思われた。
 旅行中、台風の影響だったのか、鬼怒川の水嵩は増し、激流となっていた。
2日目の宿はこの鬼怒川沿いで露天風呂も大きな石を隔てて向うは激流の鬼怒川と、激しい自然の中で温泉浴を楽しんだこと、翌日山越えで奥日光へ出るのに宿の先の鬼怒川を渡る橋が流されていて、板と太い丸太等で即席の橋を作って貰い渡ったのも
今となっては忘れえぬ懐かしい思い出である。

遊びばかりで終わらず、帰ってから秋の文化祭でこの旅の総括として研究結果なるものを発表したのは言うまでも無いが、個人的には旅行が全てであった。

3年生の時は奥州藤原氏三代の栄華の後を辿る旅で平泉が選ばれ、中尊寺の僧坊に2泊したのではなかったろうか? 此処も、
今や観光スポット化して当時の素朴な佇まいの面影は無い。 
当時は、中尊寺へ上る参道の入口には何も無かった。
 中間地点の展望台からは、当時広く親しまれ歌われてた「北上夜曲」の北上川の流れるのが見渡せ思わず口ずさんだものである。 
夜、僧坊での夕食の後、余興に男女でペアを組んで漆黒の闇の参道をこの展望台まで下る肝試し大会をやったが、これも刺激的で且つ非常に楽しい思い出として記憶の引出に残っている。
想定外のことだったが、時折、参道の脇、木々の間からふわりと音も無く白いものが湧き出るように現われる度に同伴の女の子はキャッとばかりに悲鳴を上げてしがみ付いてきたこの幸福感、「この状態が暫く続いて欲しいな」と思うも間も無くゴールに着いた時の無念さ。
 冷静になって考えてみれば、寺の若い修行僧だったろうと思われた。
 無事、展望台に集合した後に、夜空を見上げ、発見した数限りない流れ星も忘れられない思い出である。 ペアを組んだ女の子が誰であったか名前までは残念ながら思い出せない。 然し、その時、胸をわくわくさせる程に可愛い女性であったのは間違いない。

今回の寄稿に際し、写真を探したが、整理の悪い自分には湯西川温泉から奥日光への旅までしか見つからなかった。
それ以外は残念ながら見当たらない。
もし、当時一緒に旅をした馬場さん、酒井さんなりが、これに目を通し、足らずの処を補足して続編を書いて下されば幸いである。

最後に仲間として一緒に活動した平山閑子さん、
彼女が既に鬼籍に入られたことは、昨年秋の同期会後、窪谷さんから教えて頂いた。 今日の長寿時代に惜しまれる「早過ぎる死」、寂しく残念である。

彼女のご冥福を祈りつこの稿を終えることとしたい。 (完)



二年次・夏



地歴班 2年次 夏



地歴班 2年次 夏



文化祭 落武者部落研究発表
『思い出のバスケ合宿(前篇)』    2009/8/23
             トマトのソムリエ(記)   
 尾瀬の歌ではないが、夏が来れば思い出すことがある。

富士高生だった当時、女子バスケは都立高の強豪として

名を馳せ、
男子バスケの倍ほどの部員がいた。

教育大の現役選手をコーチに迎え、週3度の練習をこなし

充実した
クラブ活動を実践していた。

 部を任されるようになった2年の夏、女子バスケが毎年、

旅館に
泊まって合宿するということを聞きつけ、それなら男子

もと思い立って
青梅街道沿いの旅館を数軒当たってみたが

体良く断られてしまった。


後で分かったが、それはいわゆる連れ込み旅館だったようだ。

 結局、予算と参加者が少ないこともあって、その年は残念ながら

男子バスケの合宿は実現には至らなかった。

 3年になると、校舎の一角に食堂が設けられ、ここに畳みを

敷いて
合宿することが許された。アルバムを見ると
7月29日~8月3日と記
されており、五日間も寝泊りしたのかと

驚いてしまう。記憶が定かで
ないが、確かこの食堂は定時制の

生徒のために造られた施設だった。


合宿中の食事はこの食堂のおばちゃんが全て賄ってくれた。

 かくして念願かない、最も暑い夏の6日間、汗だくになって

コートを
走り回ったのである。三年生の参加者が自分だけだと

 いうことなど
全く気に留めることもなく、ただひたすらボールを

 追い続けた6日間
だった。                  



             セピア色の写真
            合宿練習中の筆者


              ◆投稿者提案

 夏枯れのせいか近頃、HPも投稿者が限定的に思えます。

マンツーマンの話題が多くて新規参入者も二の足を踏み勝ち。

そこで提案。「あの頃はみんな若かった」をテーマに"思い出

 シリーズ"をやってみませんか。(当時の写真活用)

 介護で苦労してる方、伴侶に先立たれた人、今の生活に飽き

足らない人、・・・そんな同期生にこのHPが少しでも役立つよう、

何かしらのメッセージが発信できれば、なんて考えてます。


            ◆HP管理者追記
トマトのソムリエさん 提案ありがとうございました。

提案に大賛成です。貴方の今回の投稿を第一弾としましょう。

 HP眺めるだけでなく、是非皆さん投稿ください。

写真の送付方法など、技術的な事は管理者が丁寧にサポートします。

ご協力ください。


★ 楽団 『仲間はずれ』              12月25日 トマトのソムリエ(記)

卒業時に開かれた謝恩会のプログラムに登場する、楽団「仲間はずれ」について話そう。

  この "楽団 " は高校生活最後の文化祭となる三年次の富士高祭の折に結成された。
時は1961(昭和36) 930日のこと。
既に多くの学友が大学受験を目指して勉学に励んでいた頃であり、
この"異端児"の集まりとも思えるグループのネーミングには苦心した。
そんな意味合いから結局、自分の提案した「仲間はずれ」に落ち着いたが、
今思えば楽団「落ちこぼれ」のほうが良かったかも知れない。

 演奏曲目をよく覚えてないが、唱歌、映画音楽など、当時のポピュラーな曲が多かったように思う。
中でも高妻邦光君(F)のギターによるソロ演奏「禁じられた遊び」は会場(講堂)から大きな拍手が起こった。
自分もクロマチックハーモニカで「赤とんぼ」を吹いたが、
「禁じられた遊び」ほどの拍手はもらえなかった。
 嬉しかったのは後に一年生の女生徒から"良かったです !"と告げられたこと。
あの一年生は今も元気でいるだろうか。五十年ほど昔の懐かしい青春の一コマである。

 謝恩会のプログラムには、「ハーモニカ・・・B組」と記載されていたが、
自分にその記憶が全くと言ってよいほどない。
 言ってみれば、謝恩会というファイルそのものが、耐用年数をとうに
過ぎてしまったこのハードデスクに残っていないのである。          
                                
         トマトのソムリエ   (談話室も合わせて読んでください)

長島、齋藤、奥山、田中、金澤、末松、千野
    白井、        小沼、高妻
敬称略
 「SNACKじょっぴん」での集い11月17日(月)氷上直紀(記)

不思議なもので2、3年前は飲み会は開いていないのに、今年は同期会の前後にひらいている。
これも同期生同士の懐かしさから生まれてきているのだろうか?

ともあれ同期会で1ケ月前に会っているが一足早い忘年会を兼ねて
三浦清枝さん経営のの店(西荻窪)「SNACKじょっぴん」に集合した。

そもそも六本木、同期会の2次会で古川克子さんと話しをしていたら
西荻のSNACKの存在を知り(以前から時々話しには聞いていたが)今まできっかけがなく、
今回はちょうど良い機会
なので諸星君、富田君、白井君に声をかけた。
熊倉都紀子さんは是非参加してもらいたい要望があり声をかけた。

最初から当時の同級生の話で盛り上がり富田君の爆笑トークが炸裂、
さらに欠席のはずの広瀬君乱入でさらにヒートアップした。

今回参加の地元の古川さん、熊倉さん、三浦さん達は高校時代と変わらぬ面影があり、
女性がからむとさらに話が熱くなりどんどんエスカレートし当時の裏話がでた。
(必ず出てくるのが恩師:岡忠からの縁談話)

富田君は元気で調子良さげであるから皆さん心配ご無用。
白井君は病気シラズで・・・は風邪ひかない。聖葡瑠のマスター諸星君は
下北沢のオバチャマ達に変わらぬ人気、だけど店が暇。

広瀬君は囲碁合宿旅行から帰ったばかりなのに疲れ知らずで、トークが少しとばしすぎ。

高校時代の話しになると色々出てきたが舞台見物では能、狂言、それにマナー教室の話しと、
映画「風と共にさりぬ」を学校から観に行った話がでた。    

6人は記憶が定かでないが、2人は記憶があるそうです。
同期生の皆さんは学校から京橋のテアトル東京まで観に行った記憶ありますか?
映画好きの人はおぼえているでしょう、教えてください。

それとは別に中には大人びた高校生もいて試験が早く終了すると
学校からタクシーとばして映画に行く姿を目撃されている。
休みの土曜日に歌舞伎町で女学生が補導された話も出ましたね!

不思議なもので高校時代は話したこともなかった人も、同期生ということですぐに溶け込めた。
あっと言う間に10時をまわり話し足りないが帰宅時間が2時間もかかる人がいるので
お開きになった。

「じょっぴん」 とは北海道の言葉で 鍵の意味だそうです。 

参加者 熊倉(A),古川(E),三浦(E),諸星(C),広瀬,富田,白井,氷上(いずれもF): 敬称略 旧姓

ジョッピンにて左から
白井、諸星、三浦、古川、熊倉、氷上、富田さん
鍋料理をたべて 
左から諸星君古川さん、熊倉さん